<75> 王太子
身なりを整えて戻ってきたアディール姫はそれはもうあでやかで美しかった。
褐色の健康的な肌に大きな瞳、赤く長い髪に魅惑的な唇。
誰が見てもうっとりするようなプロポーション。
まさに、太陽の女神とでも呼べそうな程、快活な感じの美人だった。
そんな彼女をこれまた見目麗しい王子といった様相で着飾ったセレンがエスコートをして入ってきたのだ。
広間に居たもの皆、その艶やかな2人組、セレンとアディールに注目していた。
セレンは当然とでも言うようにアディールをルーデンスのすぐ左の席まで案内する。
そして、ルーデンスにアディールの手を高く掲げて差し出すと優雅に一礼をした。
そのまま、今度は人形のように整った姿のルーデンスがアディールに手を添えて座らせる。
まさにおとぎの国の出来事のように、その場所だけ光を放っているようなきらびやかな雰囲気だった。
「とても、素敵ですわね」
夢を見ているようにリッセが小さな声で呟いた。
そう、本当に素敵なのだ。
それは誰が見ても明らかだった。
「やっぱり、王族ってオーラが違うねぇ」
ナナエはシャンパンを呷りながらリッセに同意する。
そのナナエの言葉に、リッセははっとして口に手を当てた。
「お姉様…すみません」
「ん?なにが?」
「いえ…私は、陛下とお姉様の方がお似合いだと思ってますから!」
両手を握り締めるようにして、リッセはナナエに訴えてくる。
それをナナエは苦笑いで見返した。
「いや、私とルディがお似合いでどうするって言う…」
「陛下はナナエ様の事を愛してらっしゃいますでしょう?」
「ん~…ないない。どっちかっていうと所有物への執着でしょ。私へのは」
「…ナナエさん、人は物ではありませんよ?エーゼル国王ともあろう人が人間を物扱いするわけがありません」
「まぁ、普通はそうなんだろうけどさ…」
「少なくとも私たちはナナエさんを物などと思ったことはありません」
困惑した表情を浮かべるナナエをすかさずリフィンがフォローするように言葉を紡ぐ。
(…つくづく食えない男だ)
それを横目で見ながらゲインは嘆息した。
ああやってフォローを入れることで、相対的にルーデンスの評価を下げて、ナナエの気持ちをルーデンスから離している。
あの男の言う”私たち”のなかにはルーデンスが入っていないことは明白なのだから。
そして、ナナエの右隣の空席になった場所を見る。
先ほどルーデンスからの使いがあって、ナテルは引きずられていった。
内容は大体把握している。
知らないのはナテルぐらいだろう。
いや、以前から何度もルーデンスが打診しているのだから、うすうす感づいているはずだ。
いつまでもふらふらと他人の振りなんてしていて良い訳が無い。
大体、貴族の中でも知らないものは殆ど居ないぐらいの公の秘密なのだから。
だが、こんな急に明かすと言うことは、ナテル自身を使わなければならない理由が出来たと言うことだ。
それがどのように使われるのかは分からない。
だが、ナテルがルーデンスを裏切ることは無いだろうし、ルーデンスのためにならナテルは大抵の事はするはずだ。
あの2人の結束の高さは誰もが認めているところだ。
澄ました顔でアディールやセレンと談笑するルーデンスを視界に入れながら、ゲインは黙したままワインを呷った。
海の娘と孤独な王子の悲恋を描いた歌劇がちょうど終わったときだった。
広間中央を辞する演者たちと入れ替わるようにルーデンスと、文官らしき従者が中央に立った。
国賓は何事かと顔を見合わせヒソヒソと話をし、国内の貴族たちは逆に、さも既知のことであるかのように黙している。
「宴もたけなわと言った所ですが、ここで国王陛下より重大なお話があります。皆様方、お静かにお願いいたします」
文官がそう言い、一礼をするのと入れ替わりにルーデンスが中央に立ち、優雅に右手から左へと順番に両手を広げて、少しだけ頭を傾げて一礼をした。
頭には王冠を戴き、真っ白な生地に金の刺繍が施された立派な服に薄い紫色のマントを着けている。
それはどこからどう見てもナナエとは縁遠い世界のもののようだった。
「此度はわが国の収穫祭のために皆様方に足を運んでいただき、うれしく思います。無事にこうして最終日を迎えられたのは国民をはじめここにおられる皆様方のご尽力あってこそです。改めて感謝の意を表したいと思います」
そう言って、国賓の席に向かいルーデンスは左手は広げたまま、胸に軽く右手を当て小さく頭を下げた。
顔には悠然とした笑みを湛え、余裕そのものの態度だ。
「ちょうどいい機会ですので、我が国にかかわる重大な事案を国賓の皆様方の前で発表したく思います。ナテル、ここへ!」
そのルーデンスの呼びかけと共に広間の入り口の扉が開かれた。
そこには従者を2人両脇につき従えたナテルの姿。
落ち着いた臙脂の生地にに金の刺繍がされた豪華な服で、赤いマントを羽織り、頭には冠を戴いている。
「…仮装パーティでもはじまるの…?」
思わず呟いたナナエの言葉を聞いて、リッセが小さく笑った。
ゲインは全く動じてもおらず、リフィンは訝しげな視線を送っている。
「お姉様はご存じなかったのですね?ナテル様はルーデンス様の異母弟なのですわ」
「…え??じゃあ、なんで王弟が侍従みたいに働いてたの?」
「あれは、ナテル様ご自身の意思でもありますし、ナテル様の母上様は貴族でも正室でもあらせられませんので…」
「この国って側室ダメなんだよね?」
「はい…ですから、公の秘密ってことだったのですわ」
「この機会に立太子したのですよ、ナナエ様」
ゲインがリッセの話に付け足す様に説明する。
ルーデンスには親族が居ない。
数年前にあった謀反でルーデンスの近い親族は殺され、また謀反を行った親族は粛清されたというのだ。
つまり、ルーデンスに何かがあった場合、王位が空いてしまうのだ。
そこで前々から公の秘密であった王弟ナテルをルーデンスの子が生まれるまで王太子として立たせる案が出ていたらしい。
「…なんか、アレ嫌がってるように見えるけど?」
ナナエがよくよく見てみると、ナテルは青い顔して俯いて…微妙に震えているようだった。
それを両脇に控えた侍従が半ば引きずるような形でルーデンスの元へナテルを誘導している。
完全に衣装負けだ。豪華な衣装がもったいない。
「ナテル様は、王族に連なることを恐れ多いと言って辞退していらしたので…」
「まぁ、あの性格じゃ、ね…」
同情の目をしながらリッセとナナエはナテルを見る。
ナテルは今にも倒れそうな程青い顔で視線を泳がせていた。
そんなナテルがやっとのことでルーデンスのところまでたどり着くと、ルーデンスは再び口を開いた。
「兼ねてより国内外からご心配の声を頂いていた空位の王太子に我が弟ナテルが着任致します。また、ご存知のとおり、アディール姫への襲撃の話も聞き及んでいます。ですから昨今の近隣諸国の情勢を鑑みましても皆様のご協力の元、国内外の平定に努め、数年の間はナテルと共にこの体制を崩すことなく、我が国を盛り上げ、尽力していこうと思っています」
ルーデンスがそこまで言ったときに、ガルニアの王子がガタンと派手な音を立てて椅子から立ち上がろうとしていた。
それを隣に座るアディール姫が押しとどめているようだった。
明らかにガルニアの王子は激昂しているといった感じだ。
国賓だけで無く、ナテルが王太子に着くと知っていた筈の国内貴族たちですら騒然としている。
ふと、ナナエがリフィンに目を向けると、いつも穏やかな表情を崩さないリフィンが無表情な冷たい目をルーデンスを向けていた。
その様子にもナナエは首を傾げるしかなかった。
リッセも同じく何があったのか分からないといった感じで首をかしげる。
ゲインだけは口角を上げてニヤリとしながらワインを口に含んでいた。
「…ゲインさん、ルディは何かおかしな事言ったの?ガルニアの王子様が怒ってるみたいだけど…」
「私にも訳が分かりませんわ。お父様、どういうことなんですの?」
全てを承知したと言った風情のゲインに水を向けると、ゲインはおかしそうにくっくっくと笑った。
「噛み砕いて、分かりやすく言うとですな。”ナテルを王位継承者1位にします。ガルニアは国内が安定しないようですね。迷惑です。そっちが落ち着くまでは結婚するつもりはありませんし、仮に子供が生まれても王位は上げません”って言ったんですよ」
「うわ…」
あまりに露骨な物言いにガルニアの王子が怒ったのも至極当然のことだった。
「盗人猛々しいとはこの事でしょうね」
ルーデンスの方を向いたまま小馬鹿にするようにリフィンが鼻を鳴らした。
それをさも面白そうにゲインが見ている。
「ガルニア国内で姫が襲撃されたのは事実ですからな。おまけに襲ったのはガルニアのものと言う話ではないですか」
「ガルニアのものと言う証拠が残っていた、と言うだけです。ご存知でしょう?」
「それだけで十分なのですよ。…それ以上は口をお控えになった方がよろしいですな。確証も無いことで我が国を侮辱することは許されませんぞ」
ニヤリとした笑みを崩さないゲインと無表情なままのリフィンが…怖い。
ナナエは聞かなかったことにしてシャンパンを再び呷る。
酔いが回ってきたためだろうか、アレほどまで痛んでいた体の痛みが和らいでいる。
相変わらず息苦しさは残ったままだったが。
それとなく、上座のセレンの方を見やると、ナナエが庭園で会ったあの奇妙な男となにやら真剣な表情で話し合っている。
あの男性はどうやらセレンの知り合いだったらしい。
騒然とした広間内を諌めることも無く、ルーデンスはひとしきり挨拶を終えると、ナテルと共に上座の席に戻っていった。
ざわざわと貴族たちの憶測やら噂話が飛び交い、その五月蝿さにナナエが顔をしかめた時だ。
突然、水を打ったように、騒然としていた城内が静まり返った。
ガルニアの王子がワイングラスを引っ掴み、中身をルーデンスにぶちまけたのだ。
侍従や護衛の兵士立ちに緊張が走り、すぐ傍で控えていた騎士は、腰に下げていた剣に手を添えた。
弾かれた様にアディール姫は慌てて立ち上がり、ルーデンスの元に跪く。
そして「申し訳ございません」と青い顔で頭を下げていた。
ルーデンスの真っ白な正装はワインが滴り、血のような花を咲かせており、顔にもかかったそれは、彼の人形のような顔を一際美しく見せている。
そしてそのまま優美に、そして冷たく笑って見せると、ガルニアの王子は息を呑んだように硬直した。




