<72> 餞別
収穫祭最後の夜は大広間での晩餐会だった。
コの字型に並べられた沢山の円卓に国賓の諸外国の王族や高位貴族が上座の方に着き、それ以外の国内の貴族が下座の方についている。
最も上座のルーデンスからは離れていたものの、ナナエは幸いにもアマークの王子、ディレックのすぐ近くとなった。
右隣がナテル、左隣がディレックで、向かいにはリッセとゲイルが座っている。
顔見知りが少ない身としてはその配慮がありがたいと思った。
(…って良く考えてみたら逃亡防止の包囲網じゃん)
などと思っては見るものの、それがナナエの落ち着く席次でもあるわけなのだから、多少なりともの配慮はあったはずだ。
以前庭園で会った、なんとなく怖いボーっとした男性はナナエの席からはかなり遠い。
そんなところにも少しほっとする。
知らない人たちが沢山居るけれど、同じ円卓を囲むのは顔見知りしか居ない。
それが凄く居心地がいい。
「ナナエ様、顔が赤いですけど本当に大丈夫ですか?」
椅子に深く腰を掛けて幾分猫背気味になっていたナナエに、ナテルが心配げにそれとなく声をかける。
それに対してナナエは目立たないように浅い息を繰り返しながら小さく頷いた。
夜が近づくにつれて魔力もどんどん溜まってきている。
この調子だとあと2,3時間で歩けなくなるかもしれないとナナエは予想する。
(それまでにやらないと…)
チャンスは必ず来る。
姿は見えないけれどトゥーヤたちもここに来ているはずなのだから。
緩慢な動作でグラスを引き寄せると、シャンパンを口に運ぶ。
相変わらず美味い。
どんなに体調が悪くても、これだけはいける。
(また皆で楽しくシャンパン飲みたいな…)
なんて感傷に浸ってみたけれど。
よくよく考えてみたらシャンパン飲んでたのはいつもナナエ一人だった。
シャンパンを飲んで、飲みすぎて皆に絡んでいただけだ。
楽しかったのはナナエ一人である。
そのシャンパンのお陰で食糧危機になったこともあった。
(…思い出さなくていいこと思い出した)
一人反省会を脳内で開いていたとき、不意に背後に人の影が重なった。
ナナエが振り向くよりも早く、ナテルが反応し、口を開く。
「…オスカルさん」
──ブーーーーーッ。
思わず口に含んでいたシャンパンを吹き出す。
ゲインが迷惑そうにハンカチで顔を拭いているが知ったこっちゃ無い。
「お久しぶりです、ナナエさん」
「り、リフィンさん…」
「オスカルです」
「リフィンさん、どうしてここに」
「オスカルです♪」
リフィンはニコニコと微笑みながら背後に立っている。
どこかに隠れているとばかり思っていたナナエは、あまりにも堂々と現れたリフィンに度肝を抜かれたみたいに表情を引きつらせた。
そもそも未だにオスカルを名乗っているのも不思議である。
ナナエがいつも、リフィンの名が呼ばれるたびに微妙な気持ちで腹筋と戦っていたのを知っているのだろうか。
それを知っていて、のやり方だろうか。
隣のナテルも”なぜ堂々とここに?”と言った感じの衝撃を受けているようだった。
「ガルニアの第一王子って、私の兄の教え子、なんですよね」
サラリと”シューゼルハ王子の付き添いで来ました”なんて言いながら笑ってみせる。
遠くの席のルーデンスから、妙な殺気が飛んできている気もするが、さくっと無視することにした。
空席になっている席にちゃっかり、するっと座ると、ナナエにシャンパンのボトルを向ける。
「いつもすまないねぇ」
とかナナエが言ってライドンに居た頃と同じように空のグラスを差し出してたら、リッセが非常に困惑した顔をしていることに気づき”自重、自重!”と改めて肝に銘じる。
全く慣れというものはおそろしいものである。
乙女というよりおばちゃんに片足を突っ込んでるような言動は自重せねばなるまい。
注がれたシャンパンをゴキュゴキュ飲みながら、微妙な雰囲気の円卓をこっそり盗み見る。
ゲインはあからさまに不審そうな目をリフィンに向けているし、ナテルは至極真面目な顔で…胃の上あたりを手で押さえている。
リッセは…リフィンの顔に見とれている様子だ。
流石は腐っても国一番と名高い美男子だ。…腐ってないけれど。
ディレックだけが状況を飲み込めずにきょとんとしている。
真面目な青年の呆けた顔は結構可愛い。
「まぁ、分かってるとは思いますが。本日ナナエさんを連れて帰りますので」
ニコニコ笑いながら宣戦布告。
(…リフィン…おそろしい男!)
その言葉にリッセが明らかに青ざめた。
リフィンはリッセが人質になっている事を知らないだろうから仕方が無いのだが、申し訳なくてナナエは居た堪れない思いでいっぱいだ。
広間の中央では品のいい音楽家たちの雰囲気のいい音楽で和やかな空気が作り出され、みなそちらばかりに集中して、ナナエたちの円卓が微妙な雰囲気に包まれているのに気づいていない。
唯一、大広間の一番奥に居るルーデンスだけがとても難しい顔をしてナナエ達の円卓の方をを睨んでいた。
「それは、無理な話ですな」
そう口を開いたのはゲインだ。
ワインを片手にその厳しい顔で笑ってみせる。流石は年の功である。
ナナエの隣で青ざめて胃の上を押さえながら眉尻を下げているナテルとは貫禄が違う。
「娘の命がかかっておりますのでな。全力で阻止させてもらいますぞ」
チラリとリッセを見ながらゲインが言ったその一言で、リフィンにはどういう状況かが即時に把握できたようだった。
一瞬だけ眉を不快そうに歪め、すぐに澄ました顔に戻る。
「相変わらず、下衆なことがお好みな様で。女、子どもを拐かしたり、人質にしたり、と」
悠然と微笑みながらリフィンがそう言うと、ゲインの瞳に剣呑な光が宿った。
ゲインは主君をあからさまに侮辱されて黙っているような男ではないのだ。
「分かっていて侮辱されるのか?」
「はて、どなたのことでしょう?」
表面上笑顔なのにどす黒いオーラしか見えない。
──つんつん。
右側から肘でナナエの片腕をつついている者がある。
ナナエがちらりと横を見やると、ナテルが非常に青い顔をして縋るような目で見ている。
『…なんとか、してください。』
不穏な空気に包まれる2人の方を、ナテルはテーブルで隠れた位置から指を差して小声で訴える。
そんなナテルにナナエは極上の笑みを返した。
『いやデス』
偉い人は言いました。”触らぬ神に祟りなし”!
手酌でシャンパンを再び注ぐと、そのままぐいっと呷る。
(…ああ、酒が美味しい)
──つんつん。
再び右隣からの催促。
『だが断る』
ナテルは居た堪れないらしく、胃を抑えて微妙に唸っている。
神経がか細い人は可哀想だな、とナナエは同情した。同情しただけだが。
「あぁ、次は曲芸が始まるみたいですよ?」
さらりと話題を変えるように優しい声がナナエの左から聞こえた。
流石は王子様である。
やり方に実にスマートである。
「あ、カルデラ一座だね!私、楽しみにしてたんだよ~」
ナナエが目を輝かせて体の向きを少し変える。
瞬間、ズキンと大きく体が痛み、ナナエはバランスを崩した。
(…やばっ)
慌てて手を出すが、その手も宙を切るだけでそのままイスから落ちそうになり、床との接触の衝撃を予感してきつく目を閉じた。
…だが、ナナエはイスからすんでのところで落ちずにすんだ。
誰かの力強い腕がナナエを支えたからだ。
ホッとして目を開けると心配そうに覗き込むディレックの姿があった。
「体調が優れないようですね?お部屋までお送りしましょうか?」
その親切な申し出に、ナナエは静かに首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
そういうと少しだけ心配そうな顔のまま笑顔を作り、ナナエを座りなおさせた。
そのディレックの左手の中指に嵌められている、銀の指輪がふと目に入った。
アイビーの葉をモチーフに、その葉が指に巻きつくような独特なデザインになっている。
その葉の一つ一つには青い小さな石が嵌められていた。
以前会ったときはそんな指輪をしていなかった筈だった。
ナナエがその指輪を凝視していると、それに気づいたのかディレックがその指輪を外して見せた。
「気になりますか?」
手のひらの上に乗せて指で少し転がせるようにしてナナエに見せる。
青い宝石が角度によってキラキラと反射して違う色にみえて美しい。
「触ってもいいですか?」
ナナエが聞くと、ディレックはニッコリと微笑み、小さく頷いた。
手にとって光に当てて見ると、その宝石は白くキラキラと輝く。
興味本位にナナエもその指輪を手のひらの上で転がしてみる。
すると、その白く輝いていた宝石はだんだんと赤みを帯び、ピンクになり、そしてルビーのような赤になった。
「これ、凄く綺麗ですね。デザインも面白いです」
指輪を外してディレックに返そうとすると、ディレックは目を細めて笑った。
「これはアマークの技術で作られた珍しい指輪なのです。気に入られたなら差し上げます」
そう言って人差し指を口元に当てて「ね?」といいながら少しだけ首をかしげた。
その仕草が普段の真面目な様子からは少しだけ違っていて、なんとも可愛らしいとナナエは思ってしまった。
「いえ、確かに気に入りましたけど…頂く理由がありませんので」
やんわりとナナエが断ると、ディレックは静かに頭を振った。
そしてナナエが差し出した指輪を押し戻すようにして、ナナエに握らせた。
「お守り代わりに持っていてください。お餞別です」
そう言ってディレックは再び笑った。
先程のリフィンの言葉から何かを感じたのかもしれなかった。
”餞別”と言われたら、断りようもなく、ナナエは小さく”ありがとうございます。大事にします”と頭を下げて左手の中指に嵌めてみる。
すると、嵌めたときはブカブカだった指輪がするするっと縮み、瞬時にナナエにぴったりのサイズになった。
「…これ…外せないとかないですよね?”ナナエはのろわれてしまった!”とか」
一抹の不安を覚えてディレックに尋ねると、ディレックはぷっと吹き出し、さもおかしそうに笑ってみせる。
ナナエは訝しげに指輪を見ながらそーっと指輪を外してみる。
すると、予想に反して、指輪はスルリと引っかかりもせずに抜けた。
それを見て安心して指輪を嵌めなおす。
「餞別に呪いの品をあげたりはしませんよ」
未だおかしそうに肩を震わせてディレックは言った。
ナナエの反応がよっぽどツボに入ったと見える。
「す、すみません…ありがとうございます」
「いえいえ。その指輪は持ち主を守る魔法がかけられた魔道器でもありますので、持っていて損はないでしょう」
笑いをかみ殺しながら言うディレックを見て、ナナエは少しだけ首を傾げる。
よくよく考えてみると妙である。
確かにリフィンが連れて帰るといった。しかし、”どこに”など全くその辺のところは言及していない。
にもかかわらず”お餞別”が必要なほど離れた場所に行くと、何故わかるのだろうか。
いや、逆に考えればディレックがこの城を出るということも考えられる。
で、あるとすれば。
身を守る必要があるのはディレックの方と言う事になる。
ならば、指輪を早々簡単にナナエに贈ったりするのだろうか?
そう考えると、やはりディレックはナナエが今日ここを出て行くつもりであることを知っていて、それを確信しているのではないかと、むくむくと疑問が頭をもたげた。
しかし、ナナエが出て行くことを確信して身を守る魔道器を贈ったということは、少なくともルーデンス側ではない、ということだ。
ならば好意は甘んじて受けるべきだとの結論に達する。
不確定要素の出現が多少不安といえなくもないが、なぜかディレックがナナエに敵対するとは到底思えなかった。
「ナナエさん、そろそろ剣舞が始まるみたいですよ」
すっかり指輪のことで頭がいっぱいになり、楽しみにしていたカルデラ一座から視線を外していたのを、リフィンのその一言で思い出す。
ナナエは指輪を見せるように少し持ち上げ、ディレックにもう一度軽く頭を下げてカルデラ一座の方に視線を戻した。
相変わらず体が軋んで痛い。
しかし、この痛みはナナエの賭けには必要なモノだ。
きっと後もう少しでチャンスが来る。
──あとは、そのチャンスが来る瞬間の訪れを待つだけだった。




