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<70> The Point of No Return

貴賓室に入ると、そこには大層不機嫌な顔をした浅黒い肌に赤い髪を持つ横柄な若い男が居た。

身なりからすると、どうやらこの男がガルニアの第一王子シューゼルハであるらしい。

シューゼルハはルーデンスの姿を見ると酷く面倒そうに腰を上げた。


「ようこそおいでくださいました」


ルーデンスが一礼をすると、シューゼルハも美しい礼をとってみせる。

表情だけは不機嫌なままで。


「妹の…アディールの行方はまだ掴めてないのですか?」


社交辞令の挨拶の手間を惜しむようにシューゼルハは本題を切り出してきた。

世継ぎである第一王子がノコノコと妹を殺した相手の国に単身で来るとは、非常に滑稽な話である。

心中ではいささか小馬鹿にしながらも、ルーデンスは表面上沈痛な面持ちを作ってみせた。

表情の一つ一つが外交の武器になるのだから、その瑣末なことにも気が抜けない。


「残念ながら…非常に心苦しく思っております」

「本当は探すおつもりなど無いのでは?」

「…滅相も無い。私も姫とお会いするのを楽しみにしておりました」

「の、割には、収穫祭とやらで国中浮かれているご様子」


不満を隠そうともせずシューゼルハがルーデンスに詰め寄る。

どうやらぬくぬくと育ってきた”王子様”らしい。


「収穫祭は1年に1度。民が一番楽しみにしております行事ゆえ」

「主君の婚儀の方が大事ではないのですか?」


──甘すぎる。

ルーデンスは思わず鼻で笑いそうになった。

王妃にもなっていないたかが他国の姫のために、国を挙げての催事を取りやめるわけが無い。

この3日間は国内の金が、市場が大きく動く日なのだ。

早々簡単に王の意思だけで辞めたりなど出来ないのだ。

その余波でどれだけ国民が苦しむのか理解が出来ないと見える。

典型的な貴族脳だ。


「諸外国からも国賓が沢山見えられています。申し訳ありませんがご理解ください」


アホらしく思っている心中を誤魔化すように、ルーデンスは申し訳なさそうに深々と頭を下げる。

そうすることでシューゼルハは少しだけ溜飲を下げたのか、不承不承と言った感じで長いすに乱暴に腰掛けた。

表情や態度からも思考が筒抜けだ。

(…何とも浅慮な王位継承者ですね)

横目でチロリと見ながら呆れる。

すると、その視線を感じたのかシューゼルハは口元をわずかに歪めた。


「…せっかくだから、その収穫祭とやらを私も見させていただきましょうか」


そのシューゼルハの言葉にルーデンスは耳を疑った。

ルーデンス自身が対応することで、出来るだけ早く追い返すつもりだったからだ。

今現在ガルニアの王族など邪魔以外の何者でもない。


「…よろしいのですか?妹君は」

「その妹を差し置いてまでのソレを拝見しようと思いまして」

「ソレとは…?」

「もちろん?収・穫・祭ですよ。まぁ、その国賓と言われる方々の中に友人がおりましてね。今年は面白いものが見れるとか」


シューゼルハはふんぞり返って、長いすの背もたれの部分に肘を掛け、ニヤニヤと笑う。

そのあからさまな態度に、ルーデンスは眉ひとつ動かさずに笑顔で応える。

随分とオラグーン側は、色々な仕込みをしてきているようだ。


「そうですか。それではこちらでお部屋をご用意させていただきます。…どうぞ、ごゆるりと」


侍従を呼び、シューゼルハを早々と部屋から追い出すことにする。

顔に笑みを貼り付けたまま優雅に礼をし、静かに扉を閉めシューゼルハを送り出した。

そうして一人になったのを確認するやいなや、ルーデンスは忌々しげに正装のマントを脱ぎ捨て、ドサリと腰を下ろした。


ナナエのこと、ガルニアの姫のこと、オラグーンの王弟のこと。


考えねばならないことが、警戒せねばならないことが山積みになってきている。

収穫祭は明日が最終日。

そこまでが山だ。

明日を乗り切れば片付く問題がいくつもある。

後のことは後で考えればいい。

出来ることを今はするしかない。

組んだ両手の上に額を乗せ、深くため息をつく。


今回もやはり自分の手をすり抜けていってしまうのだろうか。


そんな後ろ向きな考えにとらわれる。

何から何まで邪魔ばかりだ。


ナナエとの会話を思い出す。

──この方法じゃダメだということを確認できただけ成功だ

他人の受け売りだとしても、それを信じられる前向きさがルーデンスにも必要だった。


そして。

自分の状況がまさに”この方法じゃダメだということを確認できた”状況なのを思い出して苦笑する。

ルーデンスにとって一番ダメなのはナナエの態度でも、ガルニアの横槍でも、オラグーンの邪魔でもない。

ほかならぬ、ルーデンスがルーデンスだからダメなのである。

だがそのルーデンスを捨てることは簡単なことではない。

望まないもののために望んでいるものを捨てなければならない状況が酷く滑稽だ。

だが。

ここまで来たら、もう諦めるつもりは無い。

オラグーンが、ガルニアが、どのような妨害をしてきたとしても、ナナエがどのような方法を取ってきたとしても。

最後まで喰らい付く覚悟でいくしかない。



──もはや退けないのだ。










ゲインは相変わらず仏頂面のままでイスに座り、目の前で楽しそうにお菓子を食べる囚われの娘と己が娘を見た。

──この状況がよくわからない。

今朝早く、ルーデンスに招集され、出てみれば、ライドンで拐かしてきた娘が逃げないよう、また外部のものから危害が加えられたり、連れ去られないように護衛と監視の任をゲイルは受けた。

拒否したり失敗すればリーセッテを…娘を殺すとルーデンスに言われてはゲインは頷くほかは無い。

リーセッテと共に囚われの娘の部屋に行き、ゲインは部屋の前の廊下に陣取った。

青い顔をしたリーセッテは促されるままその囚われの娘の部屋へ入っていく。

それから数十分もしないうちにナテルが入室するようにゲインを呼んだのだ。


「ちゃんとした自己紹介がまだでしたよね?ナナエ・キリヤです。よろしくお願いします」


部屋に入るなり、ナナエという囚われの娘はゲインに自己紹介を始め、ペコリとお辞儀をした。

まずそこからして、普通と違っていたのだ。

普通の娘であるならば、しくしくと泣いて過ごしたり、陰鬱な表情になってみたりと儚げにしている物なのではないだろうか。

それよりも、だ。

ゲインがナナエを間近で見たのは初めてだったのだが、その余りにも余りな、なんというか”ソレ”に落胆を感じ得ない。

あの冷静沈着で他人にも自分にも厳しく、勤勉で有能な王が求めた娘が”コレ”だとは信じがたいとゲインは頭を振った。


平均よりは多少良いかな程度の顔に余り肉付きのよくない幼児体型。(…いや、多少尻が大きいか)

背は低く、肌の色が飛び抜けて白いわけでもない。

おまけに上品さや優雅さはまるで無い。

貴族の子女と聞いていたのだが、一体どこでどう間違ったのだ。

あえて言うなら元気な町娘と言ったところだろうか?

この娘のどこにルーデンスを惹きつけたものがあるのかが分からない。

以前、ナテルが普通の人間以上の魔力を持っているとは話してくれていたが、その魔力とやらはルーデンス自身がつけた魔道器具によって完全に押さえられている。


魔力を感じないこのただの小娘にどのような魅力があるのかゲインには皆目検討がつかなかった。


「殿下より護衛を仰せつかったゲインと申します。お見知りおきを」


ナナエに習って、短く自己紹介をするとリッセの横の席を勧められる。

護衛として断るが、頑として譲らない。

結局、ナテルにも勧められるまま席に着き、あまつさえ一緒にお菓子を食べるはめになった。

護衛としてコレでいいのだろうか。

──いやよくない。


不本意な同席を求められ、勧められるまま、先ほどからずっとお菓子を食べさせられている。

ナテルはそそくさと退出し、ここにはゲインとナナエとリーセッテの3人しか居ない。

ナナエはゲインとリーセッテをもてなそうと先程からずっとお菓子をすすめたり、お茶を入れなおしたりしている。ちなみにお茶は美味しくない。

そうこうしているうちに、ナナエが全くお菓子に手をつけていないことに気づく。

取り分けてはリーセッテの皿かゲインの皿に足しているのだ。


「この菓子はナナエ様にご用意されたものでしょう。少しはお食べになったらどうですか」


護衛される側、監視される側に気を使われるのも変な話である。

居心地の悪さを十分に感じていたゲインはそう思い切って口にしてみた。

するとナナエはまるで悪戯を見つかった子どものようにぎこちない笑顔を浮かべる。


「そうですわ。お姉様、先程から何もお召し上がりになっていませんもの」


ゲインの言葉を援護するようにリーセッテが言葉を重ねると、ナナエははっきりとわかるぐらい固まった。


「イエ、モウ、オナカ、イッパイ、ナノデ。ドウゾ、タベテ」


カラクリ人形のようにぎこちない動きである。

そもそも、ナナエにと宛がわれた菓子と言うことは、出所はルーデンスに違いない。

それを贈られた本人が食べないで、他人に配るのはマナー違反ではないのだろうか。


「でもお姉様、わたくしこれ以上食しましたら…太りやすいので困りますわ」


そうリーセッテが訴えると、ナナエはガバッと両手で顔を覆い、泣きまねを始めた。


「わ、私だって太りたくないのにぃぃぃ。毎日毎日お菓子が食べ放題とか虐めにさらされて…。お菓子を食べさせて太らせるとか、きっといずれ鍋に私を入れて食べる気なんだわ」

「…はぁ」

「きっと私はその時こういうの。”ナナエスープ惨状!”」

「参上って微妙に発音が違くないですか?」

「そんなことは些細な問題よ!変だと思わない?何、このヘンゼル&グレーテルリンチ!!!」

「えっと、お姉様?ただご好意で用意してくださったんだと思いますわ?」

「違うのよ。何度も、何度も、何度も言ってるのに!!毎日毎日食事以外の時間には常にお菓子が目の前に並べられるのよ!しかもエーゼルウォーカーで評判の店のスイーツばっかり!!なにこれ!なんていう拷問なの!!」

「でも、お姉さまはまだそんなに太っていませんし、多少食べても問題ないかと…」

「まだってなに…?そんなにって…太り始めてるって事じゃないのよぉぉぉ!!うわぁぁぁぁぁん」


大げさにテーブルに突っ伏して泣きまねをするナナエと、慌てふためいて慰めるリーセッテ。

──なんだ、この茶番は。

というかどっちが子どもだ。


ひとしきりリーセッテを困らせて泣きまねをした後、ナナエはガバッと顔を上げてゲインに向き直り、口を開いた。


「と、いうわけなので。まぁ、リッセちゃんを殺させるようなことは絶対しないから、コレ、処理してね?」


とテーブルの上を指す。

確かに女性一人分にしては菓子の量が多すぎる。

しかし、サラリと”リーセッテを殺させるようなことはしない”などと言ってはいたが、信用が出来るのだろうか。

聞いたところによると、リーセッテとナナエは以前に一度会ったきりだと言う。

そんな顔見知り程度の物の命と引き換えに、自分の自由を売り渡すものなのだろうか?

そうとは考えにくい。

これはゲインを安心させて隙を作る為にやっているのではなかろうか。

用心には用心することに越したことは無い。

ゲインが肝に銘じてそろそろ席を辞そうとしていた時だった。


「ナナエ」


聞き覚えのある声がして戸口に向けば、ルーデンスがナテルを伴って部屋に入ってきたところだった。

眉をひそめる程度しか見たことが無いルーデンスの酷く渋面した姿にゲイルはただただ驚いていた。

機嫌はすこぶる悪そうだ。

眉間に深く皺が刻まれている。

そんなルーデンスにナナエは踊りだしそうなほど軽い足取りで近づき、突然宣戦布告をした。


「受けて立つ」とか「吠え面かかせてあげる」とか…

きっと気のせいだ。

貴族の子女がそんなことを言うわけが無い。


頭を振ってもう一度ルーデンスの方を見れば、今度は頬を力いっぱい左右に引っ張られている。

眉間に皺を寄せた表情のままで。


「やめなさい」


ルーデンスが一言そう言って軽くナナエの額に手刀を当てると、「うあぉぉっ!」とか言って大げさに頭を押さえて仰け反っている。

…貴族の子女があんなリアクションとるわけが無い。

貴族の子女と言うのが気のせいに違いない。


だが。

そこでゲインは見てしまった。


額を押さえて俯くナナエと微かに表情を緩め目を細めて笑うルーデンスの顔を。


それは恐らく本人も自覚していない程の短い一瞬のことだったが、ゲインは確かに見たのだ。

ソレを見てしまってはゲインは更に仏頂面をせずに居られなかった。


これではもう文句も言えまい。

あんな表情を見せる主君を、そんな表情にさせる娘を、この時を。

奪われてはならない。

娘の命も大事だが、それと同じぐらい王の心の平穏も大事だ。

両方とも守ってみせねばなるまい。

例え誰であろうと、何者にもこの娘を連れ去らせるわけには行かない。

そう心に固く誓った。

失敗を犯せば、リーセッテの命、ルーデンスの心の平穏、そしてゲインへの信頼。

その全てを失うのは分かりきっていた。



──もはや退けないのだ。



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