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<67> 望むものは。

部屋に戻るなりナナエはルーデンスの手を力いっぱい振り払った。

ディレックの部屋からナナエの部屋まで引きずるように強引に連れて来た為、つかまれた腕はわずかに赤くなっている。


「あの態度は失礼でしょ、ルディ」


腕を組み、柳眉を吊り上げてナナエはルーデンスに抗議をする。

退出の挨拶もそこそこに力ずくで連れ出したのだ。

ディレックに対してとても失礼な振る舞いでもあったし、そんな振る舞いをさせたルーデンスにも腹を立てているようだった。

しかし、ルーデンスはそんななナエの方を見向きもせず、居室奥の長いすにツカツカと歩み寄ると、乱暴に腰をかける。


「ちょっと、聞いてるの?」


同じように派手に足音をたててナナエは向かいの長いすにドスンと座る。

すると、ルーデンスは不満そうに足を組んだ上に肘を付き、顎を乗せてそっぽを向いた。


「聞いて、いますよ」


そう言って黙り込むルーデンスを見て、ナナエはわざとらしく大きくため息をつく。

聞いているといいながらも、ルーデンスは何故か心ここにあらずといった感じだ。


「何を考えてるの?」

「色々と」

「…そう」


追求するのも馬鹿馬鹿しくなり、ナナエは長いすにドサリと背中を預けた。

背もたれに頭を預けるようにして上を向き、目を瞑ると、心地よい疲れが襲ってくる。

先ほどの晩餐で飲んだシャンパンも程よく体に回り、いい気分だ。

そのまま上半身を倒し、長いすに横になると、今度はルーデンスが呆れたようにナナエを見た。


「そこで、寝ないでくださいね」

「…ちょっと休むだけ。自分の部屋なんだし、何したっていいでしょ」


座面に頬を押し当てるようにして、頬と手でその柔らかな感触をにやけながら楽しんでいると、ルーデンスは短くため息をついて少し笑った。

その、ルーデンスの妙に困ったような呆れたような微妙な笑顔がナナエは何となく好きだ。

彼の一番人間らしい素の表情に見えるからだ。

いつもは怒っていても笑っていても、何となく人形のような感覚を受けるのだ。

何処か何か抑えているようで、わずかに違和感を感じる。

だから、ルーデンスの困ったような笑顔が好きなのだ。


「ねぇねぇ、ルディ」


座面に頬をすり寄せ相変わらずにやけた表情のままで、ルーデンスに話しかける。

ルーデンスは未だ困ったような笑顔を浮かべたままナナエを見た。


「首輪、外してよ」

「外しません」

「だよね~」


ナナエはいつもと変わらないルーデンスの返事を聞くと、おかしそうに笑った。

それをルーデンスは不思議そうに見つめている。


「何がそんなにおかしいのですか?」

「…吠え面かかせてやろうと思って。想像したらおかしくなっちゃった」

「吠え面って…もう少し上品な言葉で話したらどうです?」

「嫌だったら帰らせてよ」

「嫌ではありません」

「じゃあ、文句言わないの」


そう言ってナナエが笑うと、また困った様にルーデンスは笑った。

すっかり不機嫌さをなくしたルーデンスは、腰を浮かせるとナナエのすぐ横に膝をつく。


「ナナエ」

「ん~?」


気持ちよさそうに座面に半分顔をうずめるナナエの髪を弄びながら、ルーデンスは口を開いた。

相変わらずちょっと困ったような笑顔のままで。


「私と結婚、しませんか?」

「しません」

「ですよね」


サラリと言われたプロポーズを、ナナエはにっこり笑って断る。

しかしルーデンスは全く気分を害した様子も無く、逆におかしそうに笑った。


「何がおかしいのよ~?」

「いえ、絶対に”はい”と言わせようと思いまして」

「全力でお断りです♪」

「今は、ですよね?」

「今も、だよ?」


そうナナエが言うと、ルーデンスはやっぱり困った様に笑った。

困ってるような、呆れてるような、それでいて少し楽しげな笑い方だ。

ルーデンスはそんな表情のまま、右手をナナエの肩に沿え、軽く後ろへ押しやり、上を向かせる。

そうして、いつものようにナナエに口付けるのだ。








「…抵抗、しないのですね」


されるがままになっているナナエに、少しだけ唇を離し語りかける。

ナナエは相変わらず笑ったままだ。


「ここ何日か、嫌がらないのはどうしてですか?」


あれほど嫌がっていた魔力を抜くその行為を、ナナエはすっかり受け入れているような態度を取っていた。

それを不審に思いつつも、ルーデンスは今日まで聞けずに居た。

その裏を知るのが怖いと言う気持ちも幾分かあったのは確かだ。


「…聞きたい?」


ナナエは薄く目を閉じたまま、少しだけ笑って答える。

そんなナナエの唇を数度ついばむ様に口付けながら、ルーデンスは「もちろんです」と短く答えた。

するとナナエは「終わったらね」と笑って言う。

それに誘われるまま、ルーデンスはナナエに深く口付けた。


ナナエの魔力はルーデンスにとって酷く心地がよいものだった。

鼻腔を抜けていく甘やかな花の香りと、今日は少しだけ酒の味がする蜜のような口内を十分に堪能する。

体の中に魔力がみなぎると同時に、酒を飲んだときのような高揚感を感じる。

それと同時にいつも沸き起こる劣情を、いつものように押さえ込む。

ルーデンスだって好んでナナエに嫌われたいわけではないのだ。

出来るならナナエの意思を尊重したいと思っている。

だからいつもここまでという線引きをきちんとしているのだ。

それでも、いつもよりも十分すぎるほどナナエの口内を味わい、ルーデンスは体を少し離した。

ナナエは酷く疲れたように、少しだけ眉間に皺を寄せ、浅く息をしている。


「教えてください」


それでも、そう言ってルーデンスが尋ねると、薄く目を開け挑戦的に笑った。


「…いざと言うときに、体が動かなかったら困るでしょう?」


その言葉でルーデンスは納得する。

つまりナナエは、いつでも逃げることが出来るように魔力を貯めて体調を崩すことは避けたいと言っているのだ。

それは、”ルーデンスから必ず逃げてやる”と言った意味にも取れた。


「なかなか強かですね」

「怒った?」


くすりと笑いながらナナエが言うと、ルーデンスは再び困った様に笑った。


「怒りましたよ。押し倒したいぐらいには、ね」


そう言ってルーデンスはナナエの両肩を長いすの座面に強く押し付けるようにすると、再びナナエの唇を塞いだ。

ナナエは驚いたように目を見開き、先程とは違ってすぐに抵抗を始める。

しかしルーデンスはそれを露ほども気にしていないように、貪るように乱暴に口内を蹂躙した。

余りの激しさにナナエは息が出来ないように苦しそうな表情をしている。

その表情にルーデンスは更に煽られ、ナナエ頬を押さえ込むようにして持ち上げ、己の唾液を流し込み、混じり合わせる。

その唾液を嚥下しながら、より一層苦しそうにするナナエの表情がルーデンスにとっては媚薬のような効果をもたらしていた。

ナナエの頬に当てていた手を背中に回し、その華奢な体の手触りを楽しむ。

そしてその手が腰まで下りようとしたとき、息も絶え絶えと言った様子のナナエが小さく「お願い、やめて」と言った。

ルーデンスが理性を取り戻すにはそれで十分だった。

一瞬だけ悲しそうな表情を見せ、ルーデンスはナナエから体を離した。

そうして肩で息をするように喘ぐナナエの唇を親指で乱暴に拭う。


「逃がすつもりはありません。…あなたがそのつもりなら、魔力を抜くのを止めましょう。自力では寝台の上から離れられないように」


いつものように淡々とした口調でルーデンスは告げる。

しかし、その表情はやりきれなさがにじみ出たような苦々しいものだった。

未だ起き上がれずに居るナナエを乱暴に抱き上げると、寝台まで運び、そのまま踵を返す。

その仕草も全て、怒っていると言うよりは悲しそうだとナナエは感じていた。


「…ルディ」


その背中に小さく呼びかけると、ルーデンスは足を止めた。

そしてゆっくりと振り返り、壁に背を預けて腕を組む。

ルーデンスは先程とはうってかわって、表情をなくした人形のような青白い顔になっていた。


「あなたが私の子を孕めば、逃げる気をなくすのでしょうか」


酷く冷たい声で己が足元見ながらルーデンスは言った。

ナナエはその言葉に何も答えられず、ただただルーデンスを見つめている。


「私はそうしても許される立場なんですよ?」


酷薄とした笑いを浮かべて、己の顎に手をやり唇を擦るように人差し指で何度もなぞる。

その言葉と仕草には言った内容とはまるで逆の、他のものを全て拒絶するような棘を含んでいた。


「誰が許しても、…私が許さないよ」


呟くようにナナエが言うと、ルーデンスはチラリとナナエの顔を見てため息をついた。


「今更もう、あなたの意思など関係ありません」


そう言い捨て、再び踵を返すようにしてルーデンスは部屋を出て行った。









魔力を思った以上に抜かれた。

酷い倦怠感に体が悲鳴を上げている。

のろのろと手を上げ、額にかかった乱れた髪を直そうとしたとき、不意にそれを冷たい手が押しとどめた。


「大丈夫ですか?」


その声を聞いて、ナナエは安心したように体の力を抜き、手を下ろす。

見れば寝室の窓が少し開いている。


「ん。へ~き」


ナナエが短くそう答えると、顔に水で塗らした冷たい布が当てられた。

それが心地よくて、その手に頬をすり寄せる。


「トゥーヤ、ここまで来てくれたんだ」


微笑みながら言ったナナエとは対照的に、トゥーヤは酷く心配げに顔を覗き込んできた。

額にかかった乱れた髪も優しく払ってくれる。

その少し冷たい手が心地よくてナナエは目を細めた。


「殺して、しまおうかと思いました」


何の表情も浮かばせずにポツリとトゥーヤが言った。

それが何となくおかしくてナナエは笑ってしまう。


「”殺す”とかいわないの。怖いじゃない」


全く怖がったそぶりも見せずに笑いながらナナエは言う。

そんなナナエを見て、トゥーヤは幾分ホッとしたようだった。


「もうすぐ皆に会えるんだね」


確かめるように聞くと、トゥーヤは小さく頷いた。

それを聞けば満足だった。


「お待たせして申し訳ありませんでした」

「ほんとね。ほんっと長かったわ~」


くすくすと笑いながら言うと、トゥーヤも少しだけ口元を緩める。

そして、トゥーヤは黙ったまま寝具を直すと、ナナエの肩口まで引き上げて優しく掛けた。


「少しお休みになられたほうがいいでしょう」

「うん。…トゥーヤ」

「はい?」


トゥーヤが返事を返すと、ナナエは再び頬に当てられていたトゥーヤの手を自分の手で上から押さえるようにしたまま、反対側の頬を枕に少しうずめた。


「少しだけこのままで居て。冷たくて気持ちいい」


そういって、ナナエは本当に気持ちよさそうに目を閉じた。

体力の限界だったのか、すぐさまナナエの呼吸が深い寝息へと変わる。

そんなナナエの額を軽く撫でて、トゥーヤはその額に触れるか触れないかの軽い口付けを落とした。


「おやすみなさい、ナナエ様」


そうして、再びトゥーヤは窓の外の闇の中へと姿を溶け込ませていった。

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