<6>
とてもさわやかな目覚めだった。
ナナエは軽く目をこすると、ゆっくりと体を起こす。
「あ~…やっぱり、夢じゃないんだよねぇ」
ぼそっと呟いて苦笑する。
昨日は流血やら異世界での不安や痴漢やらで興奮してみっともなく泣いてしまった。
思い返すと流石に恥ずかしい気がする。
(まぁ、王子を殴ったり花瓶投げつけたのは反省してないけど!)
とにかく、一晩寝たら幾分気分も落ち着いてスッキリした。
サイドテーブルの水差しを引き寄せ、コップに注ぐ。
そして、おもむろに立ち上がり腰に手を当て、一気に飲み干す!
「っくーーー!やっぱ朝は常温の水に限るね!」
「…どこのオヤジだよ」
「うぼわぁっっ!!」
間髪入れずのツッコミにびっくりしたナナエは、思わず変な声を上げる。
「女の悲鳴じゃないだろ、それ…」
そして、サイドテーブルとは反対の別途の脇に可愛らしい長い耳を見つけてナナエは微笑んだ。
「おはよっ!」
ワーラビのカイトだ。
間違っても、ワラビーではない。
ワーウルフとかワーキャットとかと同じような種族、ウサギ人間の種族らしい。
「あ~~~…おやすみぃ」
ずいぶんと精細の欠いたけだるい声でカイトが答えた。
心なしかつぶらな瞳の下にクマができてるような気がしなくもない。
目も幾分あか…いのは元からだった。
「もう朝だけど?まだ寝たりないの?」
「俺は一睡もしていないんだが…」
黒目がちの丸い大きな瞳で首をかしげるナナエを見てカイトはため息を一つつく。
昨夜離宮に連れて来られたナナエは、一人が不安でカイトに帰らないで欲しいと懇願したのだ。
男女が同室で一晩を明かすなど常識はずれだと何度説き伏せても首を縦に振らず、挙句の果てに『ウサギのクセに細かいこと拘らないでよ!」というナナエの逆ギレにカイトが折れた。
キングサイズのベッドで一緒に寝ようと言うのを”それだけは勘弁してくれ”と丁重に辞退をし、結局ベッドの横で座って一晩を明かす羽目になったのである。
ナナエが寝入るまでしっかりカイトの翼を摑んでいたのは言うまでもない。
「そっか…なんか、ごめんね。私、もう起きるからベット使って良いよ」
少し寝乱れているシーツをナナエがパタパタと軽く叩きながら皺を伸ばす。
「ん~…女性のベットに上がるのもなぁ…」
「まぁ、もともと私のベットって訳じゃないし。そんな気遣いいらないんじゃない?」
「…んじゃ、ちょっとだけ…お言葉に甘えて」
そう言うとカイトはベッドにのそのそと這い上がり横になり、数分も経たない内に安らかな寝息を立て始める。
しばらくそんなカイトの寝姿を見、可愛らしい耳をモフモフと丹念に撫で回した後、ナナエハ満足したように窓際のイスへ腰を落とした。
コン、コンッ。
窓から遠くの森のほうをボーっと見ていたナナエは幾分遠慮がちなノックに気づき室内にしては大きすぎる扉に目をやった。
「失礼致します、ナナエ様?」
見知らぬ女性の声に躊躇しながらも、カイトを起こさないよう静かに小走りで扉に向い静かに開ける。すると、そこには温和そうな美しい女性が立っていた。年のころは30前後といったところか。
「お待たせしてすみません」
ナナエが頭を下げようとすると、女性は軽く手で制し、微笑んで首を振った。
「お初にお目にかかります、ナナエ様。私はアンナ・ヴァルーナと申します。セレン王子様よりナナエ様の世話係及び教育係を拝命いたしました。どうぞお見知りおきを」
柔らかな声でにこやかに告げると、アンナはドレスの裾を綺麗に広げ、優雅にお辞儀をした。
「えっ…あ、桐谷 奈々江です。よろしくお願いしますっ」
そんなアンナに合わせようと、ナナエは慌てふためいて急いで頭を深々と下げた。
するとアンナは「いけません」とナナエを軽くたしなめる。
「世話係などに頭を下げてはなりません。ナナエ様はセレン様の大事なお客様にございます。セレン様よりくれぐれも丁重におもてなしするよう言付かっております」
やんわりきっぱりと言い微笑むアンナに、ナナエは少しだけたじろいだ。
「えっと…でも…お世話になるんだから頭を下げるぐらい…」
「なりません」
笑みを全く崩さずナナエの言葉をさえぎる。
「でも、私、偉い人でもなんでもないので…」
「なりません」
「………」
取り付く島もないというのはこういうことなんだろうな~っとナナエは苦笑した。
「お部屋に入れていただいてもよろしいでしょうか?お召し替えのお手伝いをさせていただきます」
そう言ってアンナは再び頭を下げた。
「あ…えっと、今カイトが中で寝てるので。それに着替えぐらい自分で出来ますし…」
「失礼ながら、ナナエ様」
ナナエの言葉をさえぎるようにしてアンナは顔を上げた。
「カイト、とはもしや森番の、でございますか?ナナエ様のベッドで?」
「あ、そうだけど…昨日色々迷惑をかけちゃって。眠いみたいだからベッドに寝てもらった…」
「失礼、いたします」
ナナエの言葉を最後まで待たずにアンナは部屋にスッと入り込みカツカツとヒールの音をさせてベッドへと歩み寄り…
「カイト・ヴァン・ヴァルーナ・ナーティス。今すぐ、起床するのです」
静かに厳しい声が部屋に響いた。
その声にベッドの上のカイトはうっすらと目を開け、アンナの姿を確認するなり慌てて起き上がろうとして…ベットの向こう側へ派手な音を立てて落ちた。
「これはどういうことなのですか?あなた如きが王子の賓客、しかも女性の寝台で眠るなど。恥を知りなさい」
口元は笑みを絶やさずにカイトの方を向いてはいるが、目が笑っていない。
ナナエは他人事ながら背筋に冷や汗が落ちるのを感じた。
「ね…姉ちゃん…」
ピンクの毛並みがすっかり水色へと変わってしまったカイトが信じられないようなものを見る様にアンナを見た。
「姉上とお呼びなさい」
ピシャリと言い、更にカイトを震え上がらせた。
「あ、姉上…なぜ、ここに…」
驚愕の余りか、長い耳をそわそわと動かしながらベットを盾にするようにカイトは陣取る。
そんな彼を背筋をピンと伸ばし冷たい視線を注ぐアンナ。
「ア…アンナさんっ、私がベッドを使うように勧めたので…カイトは悪くな…」
「そもそも」
ナナエの言葉をさえぎるようにしてアンナはジロリとカイトを見る。
「未婚の女性の部屋、しかも寝台の上に裸で上がるとは何事です」
アンナの言葉に今度はナナエが驚愕する番だった。