<66> 亡国の王子
初めて会ったその人にナナエは、何となく親しみを感じているようだった。
黒い瞳に黒い髪、そして少し黄色味がかった白い肌。
彼はナナエと全く同じ瞳の色や髪の色、肌の色を持ち合わせた長身の青年だ。
人は自分と似た外見を持つ人には親しみを沸きやすいと言う。
彼のその姿はナナエの警戒心をとだいぶ和らげているようだった。
「ディレック様、こちらはルーデンス様の遠縁に当たられますナナエ様でございます」
「お初にお目にかかります。ナナエ・キリヤです」
ナテルの紹介と共にナナエが腰を落としてお辞儀をすると、デレックは丁寧にお辞儀を返す。
そして、涼しげな声で「ディレック・ノトーラ・サウル・アマークです」と言った。
切れ長の一重の目がとても印象的な整った顔である。
「ナナエ様、こちらがアマーク国の第一王子ですよ」
ナテルがこっそりナナエに耳打ちすると、ナナエは軽く頷いた。
ディレックはどこからどう見ても王子然としていて、優雅なのに無駄な動きはなく、とても上品に振舞っている。
そんな偉い王族相手に粗相があっては大変だ、とナナエは珍しく緊張しているようだった。
ルーデンスも王族…というより王様そのものなのだが、ナナエにとってそれは既に忘却の彼方ってことらしい。
「立ち話もなんですし、食事を頂きましょうか」
ディレックは右手を軽く差し出し、ナナエの手を取ると優雅に手を引く。
そして、ナナエを席まで案内すると優しく席に座らせた。
ナナエはぽ~っと見惚れているようだった。
「な、ナテル…」
ナナエは小さくて招きをして、小声でナテルを呼んだ。
この感動を誰かと分け合わねば!っといった感じだ。
両手ともこぶしを上下に振り、かなり興奮しているようだった。
ナテルは苦笑しながらナナエの傍に歩み寄り、耳元を近づける。
「…す、凄いよ!本物の王子様だよ!上品かつ優雅!プリンス・オブ・プリンスの振る舞いだよ!!!」
「ルーデンス様も上品で優雅だと思いますが…」
「ぁ゛?」
ナテルの反論にナナエは眉間にしわを寄せる。
何も間違ったことは言ってないはずなのだが、ナナエにとっては不服らしい。
「王子っつーのはね。かよわい婦女子を攫ったり監禁したりしないものなのだよ」
ニッコリと笑って人差し指を立て、ナテルに言い聞かせるように言った。
か弱いかどうかは別として。
…その目が笑ってない。怖い。
むしろ”お前だって良く知ってる筈だろ?”っと凄んでいるようにすら見える。
「ルーデンス陛下には随分とお世話になっています。本当に感謝し切れません」
「そうなんですか?」
ディレックの言葉にナナエは首をかしげる。
ナナエはくだらない情報は沢山仕入れたが、他国間の情報などはとんと疎いのだ。
それはそういう情報を触れさせないようにしているルーデンスの意向でもあったし、ナナエ自身が必要としていなかった。
「ご存知ないのですね。…わが国は2ヶ月ほど前、ドゥークに落とされたのです」
”ドゥーク”と言う言葉を聞いて、ナナエは一瞬だけ表情を強張らせ、ぴくりと肩を震わせた。
ナナエがライドンの町にやってきたのはオラグーンの王都をドゥークに落とされ、追われたからだ。
そのナナエにとってもドゥークは決して好意的には受け入れられない言葉なのだろう。
「申し訳ありません、食事には似つかわしくない話でしたね」
ナナエが黙り込んだのに気づいたディレックが申し訳なさそうに頭を下げると、ナナエは我に返ったように急いで小さく手を振って「気にしないでください」と告げた。
するとディレックはふと何かを思い出したように顔を少し上げてナナエを見る。
「…ああ、そうです。先日は薬水をありがとうございました。ナナエ様がおつくりになられたとか。お礼が遅くなりまして申し訳ありません」
突然ディレックにお礼を言われてナナエは首をひねっていた。
ナナエがディレックと係わり合いを持つのはコレが初めてなのだ。
お礼を言われる覚えが無いのだろう。
仕方なく、ナテルはフォローするように耳打ちをする。
「この間依頼して作っていただいた風邪の薬水はディレック様用だったんですよ」
「………!!!!」
そのナテルの言葉を聞いて、ナナエの顔が幾分青くなったようだった。
「あ、あ、あ、あ、あ、アレを飲ませたの!!!!????」
ナナエは慌てふためいて立ち上がってナテルに抗議をする。
ナテルは大体察しが着いているので深くは語らない。
ルーデンスも人が悪い。
誰に飲ませるかと言わずに、”私のために風邪を治す薬を作ってください”とナナエに言ったのだ。
確かあの時、あの薬水は小豆色したクリーミーな液体になっていた気がする。
匂いも相当きつかったような…。
「飲ませたのはルーデンス様ですよ」
「取りに来たときに教えてくれればいいじゃない!!!!」
「教えるなと口止めされていたので」
「ルディのためにわざわざドリアンと蛸と鯵を手間隙かけてすりつぶしたって言うのに!」
…あの強烈な匂いはドリアンと魚類か。
「えっと、その。…申し訳ありませんでした?」
ディレックはその薬水がルーデンスの為のものだったと知って、申し訳なさそうに頭を下げる。
しかし、ナナエはそれを慌てて否定する。
「ち、違うんです!ルディが飲むと思ったから、悪戯したんです!ごめんなさい」
──ゴンッッ。
勢いよく頭を下げたナナエは、勢いをつけすぎて額をグラスにぶつける。
そして”ぬおぉぉぉ”とか言いながら涙目で額を押さえた。
グラスに入っていた赤ワインが額にかかり、まるで流血沙汰だ。
そんなナナエを見てディレックの方も緊張を解いたようだった。
「くっく…大丈夫ですか?」
笑いを堪えきれないといった感じで口元を押さえる。
困ったように眉尻を下げながら笑いを耐える姿はとても優しげだ。
「だ、だいじょうぶです…ごめんなさい。…アレ、不味かったですよね?」
額を押さえながら申し訳なさそうにディレックの顔を覗き込むようにしたナナエに、ディレックは優しく微笑みかけた。
「確かに個性的な味ではありましたが、効き目は確かでしたよ。ありがとうございます」
あれを個性的で流せるのは相当器が大きい、とナテルは感心する。
「ごめんなさい…絶対ルディに仕返ししておきますから!」
ナナエは恥らうように顔を赤くし、両方の手をきつく握りながら宣言する。
(…ルーデンス様……合掌)
仕返しにルーデンスは何をされるのかが怖いが、密かにナテルはそれを楽しみにしている。
元々はそうなると分かってて、そういう風に仕向けたルーデンスの責任であるし、ここはナナエにきちんと怒られていた方が良いとナテルは思った。
この世のものとは思えない匂いとドロドロ状の薬をディレックが飲み干すかどうか賭けていたのだ。
まぁ、ナテルもルーデンスも”ディレックが飲み干す”方を選んでしまったので賭けは成立しなかったのだが。
そもそも、ディレックのように真面目な男性が、世話になっている人からもらった薬を飲まないわけが無かった。
つまりディレックはただネタにされるためだけにあの恐ろしく不味そうな薬剤を飲む羽目になったのだ。
まぁ、次の日にはきれいさっぱり治っていたので、流石はナナエの薬といったところだろう。
ナテルがそうやってボーっと考え事をしているうちに、ナナエとディレックは程よく打ち解けたようだった。
薬剤の調合の仕方から王都のワッフルの話まで、実に色々な話をしていた。
ナナエがこれほどまで素直な態度を見せたのは彼が初めてではないかと言った感じで、それはオラグーンの王弟との晩餐を早めに切り上げてきたルーデンスが明らさまに不快そうな顔をしたぐらいの仲の良さだった。
波長が合うというのはこういうことなのだろう。
「ナナエ様、そろそろご迷惑ですからお暇しませんと」
たしなめる様にナナエに声をかけると、至極残念そうに「はぁ~い」と渋々返事をした。
それがルーデンスにはまた面白くなかったようで、「では失礼」と、本当に失礼な態度でナナエを引っ張ってディレックの居室を後にした。
残されたのはナテルとディレックの2人だけだ。
「…ルーデンス様が申し訳ありませんでした」
ナテルがルーデンスの非礼を頭を下げて詫びると、ディレックは少し困った顔で「気になさらないでください」と首を横に振った。
「あの冷静沈着なルーデンス陛下があのような顔をなさるとは…、大事なお方なのでしょうね」
ディレックはそう言って目を細め、優しく笑った。
それを見てナテルも苦笑する。
ルーデンスがディレックに嫉妬していたのは誰が見ても明らかだったと言うことだ。
「まぁ…反論のしようが無いです」
あれではルーデンスの弱点がナナエだと言いふらしているようなものである。
あの態度については後でルーデンスにきちんと忠告をしておかないといけないなとナテルは思った。
「にしても」
少しだけ難しい顔をしてディレックが口を開いた。
ナテルはディレックが何を言いたいのか分からず首を傾げてみせる。
「ナナエ様はどちらのお生まれなのでしょうか?貴国の民には見えませんね」
そのディレックの鋭さにナテルは冷や汗をかく。
元々ルーデンスの遠縁など、ナテルの口からでまかせなのだ。
便宜上その方が便利だし、いちいち説明に回るのも面倒ということで、ナナエもそれに従っていた。
それをさらりと”おかしいと”言い当てられるとは思わなかった。
「かなり遠縁ですからね。アマークの民の血も入ってたと思いますが」
苦し紛れにそう言って何とも無いそぶりを見せる。
ディレックとナナエの身体の色の特徴は似ている。
だからこそアマークの血が入っていると言えばごまかせるだろうと踏んだ。
「なるほど。確かにわが国に多い色をお持ちですね」
そう言ってディレックは狙い通り難しい顔を止め、微笑んだ。
ナテルにとっては笑い事ではないのだが。
(…あっちもこっちも嫌に鋭いのばかりいて、無駄に胃が痛い…)
ナテルはそうと知れないように、こっそりと胃の上を押さえた。
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