<63> 悪徳の栄えるとき。
不機嫌そうな男の前で、たおやかで美しい娘が上品にカップを口元へ運ぶ。
男は酷くイライラしていた。
「お父様ぁ~少しは~落ち着いたらどぉですか~?」
「コレが落ち着いていられるか!すでに2ヶ月だぞ!未だ王子の行方の手がかりも掴めぬ」
「死んでしまってくれていると、楽なんですけどねぇ」
「アレがそんなに簡単に死ぬような玉か!」
のんびりとした娘とは対照的に男は部屋の中を行ったり来たりと実に忙しない。
それでも、娘はさもどうでもいいような顔でお茶を飲む。
「本当にその腹の子は王子の子なのだろうな?」
男が眉を吊り上げながら娘に詰め寄るが、娘は魅惑的な笑みを浮かべる。
男の名は宰相バドゥーシ。
娘の名はイザーナ。
オラグーンの王族に反旗を翻し、謀反を行った張本人たちだ。
「もちろんですぅ~」
優に数拍ほどバドゥーシの反応を楽しむようにしてイザーナは口を開いた。
バドゥーシは眉をひそめ、己が娘の顔をじっと見る。
──わが娘ながら、考えていることがさっぱり読めぬ。
2ヶ月前、酔いつぶれている王子を娘の寝台に上げ、なんとか既成事実を作ろうとした。
しかし、それはどうみても成功するようには思えなかった。
それなのに、娘は懐妊した。
そして、王子の持つ正妃に渡されるべき指輪を持っていたのだ。
全てはバドゥーシが思い描いた通りに事は進んでいる。
娘はその腹の子の父親である筈の王子に全く興味を示さない。
それどころか、先刻のように”死んでいたら楽なのに”といったようなことを言う。
権力にも、金にもあまり興味がないように見える。
それでも、バドゥーシの計画に異を唱えない。
昔からこんな娘だったろうか?
いや、昔からこういった娘だったはずだ。
父であるバドゥーシに逆らったことなど一度もない。
だが、この違和感は何なのだろうとバドゥーシは不安に駆られる。
何かがおかしい。
それが分からないから余計にイライラする。
──コン、コン。
控えめなノックの音と共にバドゥーシの右腕のシウルクの声がする。
「バドゥーシ様、執務室のほうへお願いいたします。密使にございます」
その言葉にバドゥーシは唇をかむ。
ドゥークよりの密使だ。
ご機嫌伺いという名目の密使がこうやってこの2ヶ月の間頻繁にやってくる。
目的は不明だ。
何を要求するわけでもなく、ただ土産を持参してご機嫌伺いに来るだけなのだ。
それが不気味なのだ。
この謀反を起こす時に、確かにドゥークに手を借りた。
それも運命がバドゥーシに向かって流れていたからだ。
数年前。
どういった経緯かはわからないが、当時はまだ第5王子であったドゥークの王がオラグーンに忍んでいた。
怪我負い、身動きが取れなかった時に運良くバドゥーシと出会ったのだ。
最初は単純に恩を売ってやろうという気持ちだった。
オラグーンの王にも誰にも報告することなく匿った。
将来何かの駒に使えれば、と思ったのだ。
彼は当時とてもバドゥーシに感謝していた。
必ず恩は返すと繰り返していた。
国に帰った後も度々書状をよこしては、丁寧に礼を述べられた。
そうして年月がたち、ある日突然、だ。
──その彼が王位を継いだ。
第5王子が王位に付くなど通常ならありえなかった。
どんな魔法を使ったのか。
それすらも不透明のままだった。
王や上の王子たちがはやり病で死んだとか、暗殺されたとか。
様々な憶測めいた情報は沢山手に入れたが、真相のところは杳として知れなかった。
それでも、王になる前と変わらず相変わらず書状をよこしてきた。
恩は返す。
バドゥーシが王になりたいのなら協力は惜しまないと。
まるで紙にこぼれた水がどんどん広がっていくように、その考えはバドゥーシを侵食していった。
──あの日。
王子を娘の寝台に上げた少し後、娘が部屋から出、あの指輪をバドゥーシに見せたのだ。
そして自分の腹を撫でて見せた。
「きっとここに赤子が宿っております」
そう言って笑ったのだ。
あの後、王子は不快そうにして帰っていったが、もう遅かったのだ。
娘を好いてくれれば話は早かったのだが、そうではなかった。
でもそれも、もうどうでもいい。
恨むなら、正体不明になるまで飲んだ王子自身の愚かさと、その節操のなさだろう。
指輪の存在だけでも、もう謀反を起こすのに十分だった。
バドゥーシには何時までも無能な王の元で身を粉にして働く気などなかった。
王子も含め殺してしまえばいい、そう思った。
そんな黒い感情が高まったときに、ドゥークの王より書状が届いたのだ。
隣国アマークの王都、キリリク陥落の報。
──今ならすぐにでも兵をお貸しできますとの甘い言葉が添えられて。
それからはあっという間だった。
確かにドゥークの王はバドゥーシに恩を返した。
王城はあっけなく陥落し、バドゥーシは王座を手中に捕らえる。
無能な王と王妃は死に、邪魔な王太后も排除した。
そして、それを後押しするように確かに娘には懐妊の兆候が現れたのだ。
全てが順調に進んでいる。
何も不安に思うことはないのだ。
後は王子を殺すだけだ。
だからなんとしても王子の居所を突き止めなければならぬ。
「バドゥーシ様?」
シウルクの声が再びする。
バドゥーシは思考を止め、イザーナを見る。
相変わらずわずかな歪みも見せず微笑んでいた。
「お父様~早く行かれませんとぉ」
ゆったりと語尾をのばし、首をかしげる。
──何かがおかしい。
だがそんな不安をバドゥーシは押し込めた。
今はドゥークの密使の元へ急がねばならない。
扉を開け、シウルクに目配せする。
するとシウルクは黙って部屋に入る。
娘の護衛兼監視だ。
今、娘を失うわけにはいかない。
娘が居なくなったら全てが水の泡だ。
そしてこの違和感を振り払うためにも娘の監視も怠れない。
心得たようにシウルクは頷く。
バドゥーシはそれを確認するとドゥークよりの密使が待つ執務室へと足を向けた。




