<60> チョコレートの裏
「今日はあんまり出かける気分じゃないんだけど」
ナナエは馬車の中で相変わらず魔術書に目を落としながらナテルに抗議をする。
ここ何日かはずっと本を読みっぱなしだ。
元々図書館の司書をやるぐらいなのだから、本を読むのは苦ではない。
目的があってやっているならなおさらだ。
(──これ以上みんなの足を引っ張りたくない)
その一心だ。
ナナエはぶっちゃけて言えば体育会系ではない。
バリバリの文系タイプだ。
だからこそナナエが自分で出来ることと言ったら勉強ぐらいしかないのだ。
自分一人でも何か活路を見出したいと思っていた。
ライドンに居たときのように、なにか力になりたいのだ。
あの時はたまたま商売と言う分野だった。
自分が仕事の暇な時間に読みかじった、コトラーだとかポーターだとかそこら辺の本の内容をうっすら覚えていたから成功したようなものだ。
それも、この世界限定である。
元の世界での成功例を知っているからこそできたのだ。
だが今は違う。
この状況を脱する為に何を学べばいいか正直分かっていない。
だから、手始めに魔力や魔法についてもっと深く知識を得るべきだと思った。
それに付随して、錬金術の勉強もした。
そこに、この首輪の構成を握る鍵もある気がしたからだ。
まだまだ学ばなければならない。
定期的にルーデンスに訴えてはみているものの、ナナエはもうとっくにルーデンスに外してもらうことは諦めていた。
外してもらえないなら、外す方法、壊す方法を探せばいい。
そういう結論にナナエは至ったのだ。
──だから、1分1秒でも惜しい。
仮にナナエがみんなの元に帰れたとしたとする。
だが、その首輪が外せなければナナエはまた皆に迷惑をかけることになる。
この首輪は絶対に外さなければなら無いのだ、とナナエが思い込むのも無理は無い。
「すみません、行かなきゃいけない所があって」
「何しに?」
「書状を届けにいくんですよ。そのついでに見学をさせてもらおうかと」
「ふぅん。私は留守番でも良かったのに」
「外の空気を吸った方がいいですよ。それに、一緒に行って損はさせません」
「だと、いいけどね~」
ナナエは話半分に聞き流しながら本に集中する。
そんなナナエを苦笑して見ながら、こんな本もありますよと『エーゼルウォーカー』という情報誌をナテルが差し出してきた。
これは使える!っとナナエはサッと目を通す。
とにかく何も出来ないなら色々な知識や情報を蓄積すべきだ。
最後に勝つのは知識や情報である事なんてよくある話だ。
だから偉い人が言ってたではないか。
──情弱、ダメ、絶対!
情報は大事っと、もちろんキチンとエーゼルウォーカーにも隅々目を通す。
よし、パンのおいしい店、チョコの美味しい店はもうチェック済みだ。
(ああ、ドーナツの店が出来てる。帰りに寄ってもらおう)
いや、待った、違う。
頭に叩き込むべきは食い倒れマップではなく、そのマップに記載されている細かい抜け道だ。
(──危うくナテルの姦計にハマるところだった!!)
ナナエは”ふう~っ”と深呼吸しながらまるで額の汗を拭うかのような身振りをする。
ナテルには気をつけなければいけない。
つい昨日も本を集中して読んでいる時にお菓子を大量に用意され、完食してしまったのだ。
おかげで体が重い。
このままでは何かあったときにすぐに逃げられないではないじゃないの!っとナテルを軽く睨んでみる。
ナナエの菓子好きを知ってのあの策略は軽視できない。
ヘンゼル&グレーテル作戦には絶対乗ってやるものかとナナエは固く心に誓う。
「ああ、そうそう。朝トーデンのパン屋でチョコがけワッフル買ってきたんですけど、食べます?」
「食べます」
ワッフルを片手に、再びエーゼルウォーカーに目を落とす。
──はむはむ。
なにぃ!あの商店街にクレープの店が出来た、だと…?
──もぐもぐ。
要チェックや!
──はむはむ。
あれ、カルデラ一座も収穫祭にきてるんだ。公演日は…っと。…また見に行きたいなぁ。
──もぐもぐ。
「あの~ナナエ様?」
「ん~?」
不意に声を掛けられて雑誌から顔を上げる。
その先には戸惑ったようなナテルの顔。
「口元がチョコだらけです…」
呆れたような、笑いをかみ殺したような顔をして、ナテルは親指でナナエの口元を拭った。
そこで、ナナエは我に返る。
「あああああ~~~~~っ!!!」
突然悲壮めいたナナエの声にナテルは驚いて目を丸くした。
しかし、ナナエにはそんなこと構っていられない。
頭を盛大に抱えて体を丸めた。
「ど、ど、ど、ど、どうかしたんですか??ナナエ様??」
ナナエの行動に驚いてナテルはわたわたと慌てふためいている。
「ワッフル4つも食べちゃったじゃないのよぉぉぉぉ」
頭を抱えて呻くナナエと、それを見て酷く呆れた表情で苦笑いしているナテルが対照的である。
が、ナナエにとっては大問題なのだ。
昨日もお菓子を大量に食べてしまったと言うのに、今日もこうして間食してしまっている。
摂取カロリーが恐ろしい。
どう考えても、成人の女性が摂取してはいけないデッドゾーンを遥かに越えている。
このままで行けばビヤ樽一直線だ。
またナテルの姦計にまんまとハマってしまったのだ。
ナナエは悔し紛れにナテルをキっと睨む。
しかしナテルは困惑した表情を返すだけだ。
「ワッフルならまだ沢山ありますから、4つぐらい食べてもなくなりませんよ?」
とか的外れな返事をしてくる。
もう我慢の限界である!
ナナエはナテルに一言物申してやろうと勢いよく立ち上がった。
──ゴンッ。
「ああぁぁぁぁぁ…」
ナナエは再び頭を抱えてうずくまる。
ここは馬車の中だと言うことをすっかり忘れていたのだ。
「だ、大丈夫、ですか?」
何がしたいんだかわからないといった表情で、ナテルは大いに困惑していた。
違うのだ。
びしっと人差し指を突きつけて、女性にお菓子を大量に与えてはいけないと説教しようと思っただけなのだ。
ただそれだけなのに…恥ずかしさの余り胸が痛い。いや頭が痛い。
この乙女心を理解できないナテルは、男として失格だ。
「とりあえず、もっと食べますか?足りなければ買って来るんで」
こらそこ!ワッフル差し出すな!
──あ、いいにおい。
違う!違う!ダメだ!孔明の罠だ!
これ以上食べたら確実に太る!
「食べます」
太るんだってばさ…。
散々お菓子と格闘した後、ナナエは諦めて完食した。
要は食べた分だけ消費すれば良いだけなのだ。
ともかく、これから先の移動は爪先を上げていこう!
少しでも消費カロリーを増やすのだ。
そんなナナエとお菓子の格闘を見届けたように、馬車は目的地に着いた。
巨大な門の奥に見えるのは質素ではあるがとても大きい建物だった。
門の横のところには大きい表札みたいなものが出ている。
──エーゼル国立魔道研究所
ナテルが「損はさせません」と言ったとおりだったのだ。
セレンの魔封じの腕輪がオラグーンの王立魔道研究所で作られたものだと言うのなら、ナナエの首輪はここで作られているに違いない。
それならば、何か壊す為、外す為のヒントが眠っていてもおかしくはないはずだ。
だが、敵であるはずのナテルが何故、ナナエの手助けをするようなことをするのだろうか。
「ここです、ここです。ナナエ様、ここなら錬金術を見せてもらえますよ」
にこやかにナテルが言う。
(そっか。錬金術を見たいって私が言ったから…)
ナテルに二心など無かったのだ。
ナナエがこの首輪を外そうとか、壊そうと思っていることを、ナテルは知っているはずがない。
なぜなら誰にも言っていないのだから。
ナナエはナテルの裏を疑ってしまった自分を少し恥じた。
いつも親切にしてくれてるのに、その裏を疑ってしまったのだ。
ナテルの屈託のない笑顔が胸に痛い。
ナナエは少し自己嫌悪に陥る。
そして、胸も痛いが、頭も痛い。
その上、胃が重い。
全くナテルはなんと罪作りな男なのだろうと、ナナエはちょっと八つ当たり気味にナテルを睨んだ。




