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<57> 懐かしい声

明かりもついていない真っ暗な部屋に引き込まれ、そのまま拘束される。

思わず声を上げそうになるが、その口も手で塞がれてしまった。


「ん~~~!!!んっん!!!」


声も上げれずに呻きながらジタバタすると、不意に聞きなれた声が耳元から聞こえた。


「お静かにお願いします」


その一言で、誰がナナエをこの小部屋に引き入れたかが分かった。

淡々としているその丁寧な口調に、ナナエは体の力を抜き、思わず涙をにじませる。

ナナエが大人しくなったのを確認すると、その手はナナエの拘束を解こうとした。

が、逆にその腕をナナエは縋り付くように押さえる。

離れていく懐かしい温もりが耐え切れなかったのだ。


「トゥーヤ」


短くそう呼ぶと、その腕の主は小さく”はい”と返事をした。

それだけで十分だった。

皆がナナエを忘れたわけじゃないと思い、嬉しさの余りそのままトゥーヤの体にしがみつく様に抱きついた。


「…遅いじゃないのよ」

「申し訳ありません」


文句を言うナナエに、トゥーヤは幾分ホッとしたような笑い混じりの声で答える。

部屋は暗くて表情はまるっきり見えないが、声がいつもより優しい、と思った。

トゥーヤの手は今にも泣き出しそうなナナエの背を優しくなでている。

久しぶりすぎて優しく感じるだけなのかもしれないが、その声を聞けたこと、その存在を近くに感じられたことだけで酷く嬉しかった。


「連れて帰ってくれるの?」


ポツリとそう聞いてみる。

そうであって欲しいとは思ってはいるが、無理そうだなとも分かっている。

どう考えてもナナエが足手まといだ。

トゥーヤ一人なら抜け出すのも入り込むのも容易なことなのだろうが、ナナエが居るだけでそれは不可能なことになる。


「すぐではありませんが、近いうちに」


その言葉で十分だった。

ナナエは小さく”うん”と返事を返す。

また皆のところへ帰れると分かっただけで再び涙で瞳が潤む。

そしてふと、背中に当てられていた手が首もとのスカーフの上から首輪をなぞる様に触っているのに気づいた。

トゥーヤのことだ、恐らくその目隠しに巻かれたスカーフの下を気づいているのだろう。


「苦しいですか?」


その言葉は酷く弱々しく発せられた。

後悔の滲む様な、そんな口調にナナエは驚く。


「ううん。きつくはないよ。ただ、時々、魔力が溜まると…」


慎重に言葉を選びながら言う。

トゥーヤ自身がナナエをこのような状態に置かざるを得なかったことを後悔しているのが伝わってきたからだ。

それなのに余計なことを言ってしまったと気づき、誤魔化すようにトゥーヤの胸元に顔をうずめ語尾をぼかす。

それを知ってか、トゥーヤはナナエの肩に触れた手で優しく体を押し戻し、もう片方の手で唇に触れた。


「知っています。見ていました」


トゥーヤの声がそう告げるのを聞き、ナナエは頬が赤くなる程の驚きと胸のチクリとした痛みを感じた。

その短い言葉と行動の中で分かってしまったのだ。

いつの事だか分からないが、トゥーヤは”ルーデンスがナナエから魔力を抜くところを見ていた”と言っているのだ。


「…や、やだなぁ。見てたなら助けてよ」


震える声を抑えつつも、笑いながら言う。

決して望んでの行為ではなかったが、人から見られていたと思うと恥ずかしい。

そして、それ以上に胸が苦しい。


「…申し訳ありません」


トゥーヤは短くそう言う。

自分が迂闊にもふらふら出歩いたのがそもそもの原因だったというのに、結局こうやってトゥーヤを責める形になってしまっている。

その自分の理不尽さが苦々しかった。

思うようにいかない生活を強いられ、それでも助けられるのを待つしかない自分に腹が立った。

思わずこぼれた涙が、頬を伝い、唇に触れていたトゥーヤの手に届いたようだった。

トゥーヤの体が一瞬ピクリと反応し、息を呑んだようだった。

(…こんな風に泣いたら、トゥーヤを責めているようなものじゃない)

そうは思っても、一度流れ出た涙を止めるのは中々に難しかった。


「申し訳、ありません」


搾り出すように、囁くように吐き出されるその言葉の苦々しさにナナエは胸が苦しくなった。

(トゥーヤは何も悪くないのに)

自分の責任は棚に上げて、トゥーヤに嫌な思いをさせている自分が恥ずかしかった。


「…ごめんなさい」


ナナエはトゥーヤに静かに涙を流しながら謝る。

こんなことを言いたかったわけではないのだ。

──会いに来てくれてありがとう、連れて帰ると言ってくれてありがとう。ずっと待ってる。

そう、本当は言うべきなのだ。

彼にはナナエを助ける義務など無いのだから。


その時、ナナエの目元に躊躇いがちに柔らかいものが触れた。

ナナエの涙を掬い取るように触れられるソレからはトゥーヤの優しい息遣いが感じられる。


「必ず、連れて帰ります。神に誓って」


その行為を続けたまま、まるで自分自身にもそう言い聞かせるようにトゥーヤはナナエに誓った。

そうしてトゥーヤは最後に小さく”失礼します”と囁くように言ってナナエの唇を塞ぐ。

ナナエは一瞬驚いたように目を見開いたが、その行為に伴って増す、気だるい脱力感にその行為がソレだと気づき、大人しく従った。

優しく唇を割って入ってくるトゥーヤのソレも従順に受け入れる。

襲ってくる脱力感に負けないようナナエは懸命にトゥーヤの服の背中を握った。

それに気づいたようにトゥーヤもナナエの背中と腰を力強く、そして優しく支える。

愛のあるものでは無かったかもしれないが、ナナエを思いやった酷く優しい口付けがナナエには嬉しかった。


「そろそろお戻りください。従者に勘付かれます」


ゆっくりと体を離し、ナナエの口元をトゥーヤの親指が拭った。

ナナエは小さく頷くの確認したかのように背後の扉が開かれ、軽く押し出される。


「次は、いつ会えるの?」


離れていく温もりに心細さを感じて、ナナエはまるで恋人にでも縋るように扉に手を伸ばした。

トゥーヤは薄暗い部屋の中で人差し指を立て、静かにするよう身振りをする。


「近いうちに」


そのたった一言と、トゥーヤの珍しく微かに微笑んだ顔をナナエの瞼に残して、扉は音もなく閉められた。

ここで一緒に行きたいと騒げばトゥーヤは困るだろうし、すぐに気づかれてしまうだろう。

だから今は我慢するしかないとナナエは下唇を噛む。

それに、これ以上泣いたら誤魔化しきれない顔になる。

ほのかに赤くなった鼻をすんっと鳴らしながら、ナナエはお手洗いのドアの方に手をかける。

後は”近いうちに”というトゥーヤの言葉を信じるだけだ。

ここで頑張らなきゃ女がすたる!


「ファイトぉぉぉ!いっぱぁぁぁぁぁっつ!!」


ノブを握りながら気合を入れる。

閉じられたドアの向こうから、もう立ち去っているであろう人の”クスリ”と笑う声が微かに聞こえた気がした。

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