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<54> 重い瞼

──今は顔、見たくなかったのにな。


ぼやけた意識の中で聞こえたその言葉で、一気に酔いが醒めた気がした。

思わず自分が嫌いかと尋ね、ナナエは黙した。

その反応で十分だった。

結局こうやって枷をはめ、自由を奪うことでしか彼女はルーデンスの傍に居てはくれないのだ。


 そうしてまた、彼女を泣かせてしまった。


苦々しいやり切れなさを喉の奥に押し込む。

何度やっても、こうやって彼は選択を間違うのだろう。

ルーデンスがルーデンスである限りそれは変わらないように思えた。

王という権力としては最高の物を持ちながらも、愛した者たちはことごとくルーデンスの指の間をすり抜けていくようにできているのだ。

母も、父も、可愛がっていたペットも、そしてナナエも。

誰一人としてルーデンスの傍に居るという事を選んではくれなかったのだ。


小さく漏れ聞こえてくる嗚咽に耳を塞ぐ。


とにかく酷く気分が悪い。

頭も瞼も異様に重く、胃はむかむかする。

せめてこの嗚咽が消えるまで、ナナエが寝入るまで意識を沈めよう。

ルーデンスは眉間と瞼にぎゅっと力を入れる。


──結局、朝方までルーデンスはその嗚咽を聞き続けたのだった。







外が白み始め、しばらくするとカチャリと音がして扉からナテルがそっと顔をのぞかせた。

ルーデンスは黙って体を起こし、歩み寄る。


「飲みすぎですね。酷い顔ですよ」

「主君を閉じ込めるなど、ナテルも随分偉くなったものですね」

「出ようと思えば、転移の魔法で出られるじゃないですか」


まったく悪びれもせずにナテルは言う。

確かに通常時であれば、たかだかここから私室までの転移など容易い事だ。

しかし、酔いが回り、精神状態も決して良いといえない状況で使う魔法ではない。

転移の魔法はそれなりにデリケートな魔法なのだ。

集中できないままで成功などする訳がない。


「…まぁいいです。部屋に戻り、寝なおします」

「あ、残念です、ルーデンス様。使者が来てるので、執務室のほうへ」


なんともタイミングの悪い。

王都で一睡もできぬまま戻ったというのに、結局昨夜も殆ど休めなかった。

何をやってもうまくいかない気がしてきた。


「わかりました」


そう短く答え、私室に向かおうとしていた足を執務室へと向けるため踵を返す。

こんな早朝に使いが来る。

それは通常でない報告があるときだ。

足早に執務室に向かい、その間にナテルに渡された書類を流し読みする。

今、王都では秋の収穫祭に向けていろいろと騒がしい。

小さな小競り合いが起きることは度々あるし、それ以外にも民の楽しみにしている祭りのためにやることはたくさんある。


「今年は中央広場で仮装パーティですか」

「そうみたいですね。エーゼルウォーカーではもう特集組み始めてますよ」

「グルメコンテストが東市場か…今年は作物の実りが余りよくありませんでしたね。寄付を多めに設定して、主催者側に材料費などの援助を」

「はい、はいっと。ああ、こっちの書類はドゥークからの和平の申し入れみたいです」

「…寝首掻く気満々ですね」

「じゃ、蹴っときましょうか」


ざっと目を通せるものだけ通して、ルーデンスは執務室の扉を開けた。

部屋の中には壮年の男が膝を折って控えている。


「報告を」

「カルバクク渓谷にて我々を振り切ろうとした馬車がつり橋より転落。三の姫は馬車と共に転落し不明になっております」

「……谷底を浚いなさい」

「は?」

「念には念を、です」

「…はっ」


ルーデンスがそう淡々と言うと、男は頭を垂れ深く頷く。

そして立ち上がり一礼をすると、そのまますぐに執務室を出て行った。


男の背中を見送ると、ルーデンスは一息つく。

やはり、頭も瞼も重い。


「休みます。それから…ナナエの供の者、ライドンにいた者たちの素性を調べてください。ナナエがあのナナエだとすると後々厄介なことになりそうですし」

「はいはいっと。…ああ、ちゃんと私室にお戻りくださいね。引きずるのはごめんです。おかげで今日は体があちこち痛いですよ」

「少しは体を鍛えたらどうですか」

「あ~…遠慮します」


ナテルがにっこり笑って、ルーデンスを追い立てるようにして執務室から出す。

朝日の光が目に痛い。

ふと、ナナエの部屋の扉が目に入った。

考えれば考えるほど気が重い。


「邸内でしたら自由に行動させて構いません。ついていてあげてください」


誰が、とは言わずに発した言葉にナテルはニコニコと頷く。

ナテルなら上手くナナエの感情を逃がしてあげれるだろう。

今は、ルーデンス自身がなにをやってもダメな気がしていた。

ナナエの心が少しでも軽くなるように、以前のように怒りながらも元気に言葉をぶつけてくるナナエに戻るようにと、ルーデンスはただそれだけを願うしかなかった。

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