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<52> 選び取った道

執務室に入ると、ルーデンスはすぐにナテルを椅子に座るよう手で促した。

ナテルが長いすに腰を掛けると、テーブルを挟んで反対側の長いすにルーデンスが腰を掛ける。

手にはいつの間にかグラスが2個とワインのボトル。

それをおもむろにテーブルに置くと、何も言わずに注ぐ。


「たまには、一緒に飲みませんか」


ルーデンスの言葉に引きつった笑いを浮かべながらナテルは鼻の頭をポリポリと掻く。

それを待ったく意にも介することもなく、注いだワインをナテルに一つ差し出した。

それをナテルは渋々受け取り、ルーデンスに習って一口飲む。


「え~…やっぱり、さっきの事、ですよね?」


意を決して口を開くと、ルーデンスは反対に口を引き結んだ。

そしてグラスのワインを一気に呷ると、手酌で再びワインを注いで口を開く。


「そうとも言えます」


少しだけ迷った後、短くそう応える。

その雰囲気がいつもと違うことに、ナテルは気づいていた。

明らかに覇気が無い。


「…なんでしょう?」

「姫は…ナナエはどうしてますか?」

「泣き疲れてお休みになりましたよ」

「泣いて?怒ってではなく?」

「情緒不安定ってやつですよ。軟禁状態が続いてますしね。抑圧された毎日が続けば、誰でもそうなります」

「……」

「壊すつもりなら、特に気にする必要はないです」


思い切って辛らつな言葉を浴びせてみると、明らかにルーデンスは動揺していた。

もちろん、ルーデンスがそんなつもりでは無いのは分かってはいる。

しかし、今のままで良い訳が無いという自覚をもっと持つ必要がある気がした。


「元々、そのつもりなんですよね?ナナエ様にも逃げたら足の腱を切ると、仰られたそうですし」


更に言葉を重ねると、ルーデンスは顔の色をなくした。

本気で言ったわけではないと分かってはいたが、ナナエの気持ちを考えるとナテルは責めずにはいられなかった。

ナナエを大事にしながらも、その行動や言葉は時折ナナエという人格を無視したものが多く見受けられた。

それが、ナナエを追い詰める形になっているのは確かだろう。

通常時であれば、些細な言葉のあやであったと思えることが、状況によっては追い詰めるものになることをルーデンスは分かっていない。


「そんなつもりは、ない」

「……なら、もう少し!」


思いのほか声に力が篭ってしまい、ナテルはハッとして口を噤む。

しかし、ルーデンスはグラスをゆっくりと回しながらナテルの言葉の続きを待っている様だった。


「…もう少し、言葉を選んでください」


息を吐き出しながら自分を落ち着かせるようにナテルは言う。

それに対してルーデンスは投げやりに言葉を返した。


「逃げなければいいだけです」


不遜な言葉ではあったが、それは決して傲慢な物言いではなかった。

むしろ、どうして良いか分からないといった子どものソレに近い。

苛立った様にルーデンスはグラスを一気に呷る。

ペースがいつもより速い。

それは少なからず、ルーデンスがナナエに心を砕いている証拠でもあった。

だが、ルーデンスにはソレを素直に出す術が無かった。

本来であれば普通に出会い、普通に恋をして、普通に愛を囁いていたかもしれない。

それがルーデンスには許されていなかったし、その方法を誰からも教わることが無かった。


──そしてルーデンスは選択を間違った。


強引な手段で拐かし、監禁し、枷をつけた。

相手の心が離れていくと知りながらその束縛を解くことが出来ないでいる。

今この危うい均衡を保っているのは単にナナエのお人好しとも呼べるぐらいの優しさの為であろう。

そのナナエの心を壊してしまったらどうなってしまうか。

それはナテルにも分からない。


「首輪を外したら、逃げてしまう。外さなければ──」


ルーデンスは皆まで言わなかった。

この犯してしまった失敗は取り返しがつくものではないように思えた。

結果、どちらに転んでもルーデンスの望むようにはならない。

ならば、少しでもその時が先送りになるように協力するしかなかった。

ルーデンスは立て続けにグラスを呷る。

そして、ポツリと言った。


「ナテル、お前が王になれば良い」


その言葉にナテルは驚き、口を引き結ぶ。

そして、ゆっくりと首を振った。


「ルーデンス様。酔ってらっしゃいますね」


ナテルが苦笑しながらワインを口に運ぶと、ルーデンスは頬杖をつきながらナテルの瞳を真剣に覗き込む。


「誰にも分からないと、本当に思っていた?」

「なにを、でしょう?」


ルーデンスの視線を避けるようにして、ナテルはグラスを呷る。

飲みなれていないワインはのどに痛い。

ルーデンスの言わんとしている事はナテルにはすぐに分かった。

しかし、言ってはならないことだ。

無かったことなのだ。


「その灰色の瞳は──」

「お止めください」


堪らずナテルはルーデンスの言葉を遮った。

言葉の続きを言わせるわけにはいかない。

言ってはならないのだ。


「…そう、ですね」


ルーデンスはそこで言葉を飲み込んだ。

お互いに気づいている。

それは前から分かってはいた。

それでも、それを口に出してはいけない。


ルーデンスはもう自棄でも起こしたかのように速いペースでグラスを呷っている。

それを止めるのは何となく躊躇われて、ナテルはついつい黙って自分もグラスを呷った。

普通であれば酒を呷れば肌は赤くなるモノだが、ルーデンスは何故か飲めば飲むほどその白い肌が青ざめる。

そろそろ本格的に止めなければならないな、と思った時だった。


「今日はもう休みます」


すくっと立ち上がり、ルーデンスが宣言するように言った。

どうやら相当酔っていると心配したのは取り越し苦労だったのかとナテルには思われた。

口調も足取りも随分としっかりしている。


「はい、ここは片付けておきますよ~」


ナテルが笑いながら言うと、既に扉の前に立っていたルーデンスはにっこりと笑った。

その笑顔になにかいやなモノを感じる。


「そうか、頼みましたよ!」


イヤに元気だ。

何故かナテルに向けて親指を立ててウインクしていたりもする。

微妙にキャラが崩壊していた。

これはマズイと、思った瞬間…


「…ちょっ、ルディ!」


ルーデンスは扉に手をかけたまま仰向けに昏倒した。

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