<50> ナナエ
ナテルが食事を運んで来ると、ナナエは寝台に突っ伏している様だった。
ピクリとも動かない。
寝ているのか、突っ伏しているだけなのか判別が難しい。
「キリ…いや、ナナエ様、スープ冷めちゃいますよ?」
声をかけると、ナナエは少しだけ体勢を変えて、寝転がったままではあったが、ナテルの方を向く。
ナテルはそんなナナエの今の表情が、今のルーデンスの表情と似ていることに気づいた。
「結構酷いこと言っちゃったかも」
視線を寝台のシーツに向けたままポツリと呟く。
左手の人差し指では何故かのの字を書いていた。
悲しそうな、それで居てふてくされた様な、そんな微妙な表情。
「ルーデンス様は、怒ってないですよ」
「別に怒っててもいいし」
いつまでも寝台から降りてくる気配はない。
ルーデンスと同じ不貞寝モードに入ろうとしている。
まったく手のかかる二人だ。
「いいなぁ。ナテルは」
「なにが、です?」
「魔力がなくて。性格がよくて。人を傷つけないし、みんなに好かれてる。ルディだってナテルには優しい」
「それは買いかぶりです」
「ううん、私は考えなしだから、つい人の傷つくようなことも言っちゃう。性格も悪いし」
ナナエはチラリとナテルを見た。
「そ、そんなこと無いと思いますよ~」
「ほら、今もチラチラとさ、ナテルを見ちゃったし。”慰めてオーラ”出しまくりで、慰めてもらう気満々なのよ、私は!」
「あ、はは……」
「ナテルは優しいから、私が自分を卑下したら否定してくれると思ってやってるの!」
──本気で拗ねている。
ナテルは思わず苦笑した。
何がして貰いたいのか、いや、何を言って貰いたいのかがわからない。
それでも、ナナエが何かを言ってもらいたがっていることは分かる。
「何かして欲しいことはありますか?」
ナテルがそう聞くと、ナナエは何故か急に体を反転させ後ろを向いて、肌掛けを肩口まで引き上げた。
体を丸くしてジッとしている。
ナテルはため息を静かに一つ吐くと寝台に歩み寄った。
「どうかしましたか~?」
覗き込むようにして体をかがめると、ナナエの顔が見えた。
その表情になんとも言えずにナテルは口を閉じる。
ナナエは壁の方を見つめながら口を少しだけ尖らせ、目に涙をためていた。
「私…」
そうしてそのまま口を小さく開き、呟くように言う。
「私さ、孤児なんだよね。親に捨てられてたの」
「はい」
「名前もなにも貰ってないの。モノみたいに捨てられてたの」
「はい」
「それでも頑張ればきっといいことあるって院長が言うから…。”そんなの嘘”って反発したけど”そうであって欲しい”って思ってたんだよね」
ナテルにはナナエが何を言いたいのか全く分からなかった。
ただ、彼女が何かを言いたがっていることは分かったし、何かを言って欲しがっているのは分かった。
「12の時、引き取られてね。養父母はほんとにいい人だった。神様って本当に居るんだって思った」
壁を見つめ、時折鼻をすすりながらナナエは小さな声で呟くように言う。
それを聞き漏らさないよう、ナテルは寝台の端にそっと腰を掛けた。
「それが、たったの6年で2人そろって事故死。それから何やってもダメでさ。働いても上手くいかないことが多くて」
自嘲気味に少し笑った後、右手でギュッと肌掛けを握り締める。
「”お前の代えは幾らでも居るから文句があるなら辞めろ”って言われたときは流石にきっつかったな~。どんなに頑張っても、大人になっても…モノなんだって自覚しちゃってさ~」
そう笑いながら言うナナエの表情を見ていられなくてナテルは視線を外す。
ナナエの声は既に涙混じりの震えた声になっていた。
「こっちきて、みんな親切で嬉しかった。ライドンでの生活は凄く楽しかったよ。それでもさ、いつも思ってたんだ。みんなは本当は私のことどう思ってるんだろうって」
時折声を詰まらせ、それを飲み込むようにして再び口を開く。
「さっきさ、ルディに”魔力がない私には興味ないくせに”って言っちゃったんだ。そうしたらさ~黙っちゃって」
一際大きい嗚咽がしてナナエがそれを抑えるように両手で口を覆ったのが分かった。
「やっぱり、私、魔力なかったら、要らない…モノだったんだって…わかっちゃって…」
堪えきれない様にナナエの声が途切れがちになり、泣き声が混ざる。
ナテルはそんなナナエの背中をあやす様に撫でた。
「私、帰りたいのに。どうしよう…もうこっち来てから1週間たっちゃった。もう皆、私の代わりを見つけちゃったかもしれない。ナテル、私帰りたいよ。けど、どこに帰ればいいの…」
最後の方は”ナテル”と呼びながらも自分自身に問いかけるように呟き、両手で顔を覆う。
ルーデンスとのやりとりでナナエは酷くナーバスになってしまったようだった。
「ナテル、私を好きだって言って。必要だって、モノじゃないって言って。魔力が効かない、魔力を必要としないあなたの言葉なら信じられるから」
嗚咽をあげながらナナエは呟くように懇願した。
ナテルはそんなナナエを酷く哀れに思った。
そして躊躇した。
ナナエが望む言葉を言うのは簡単なことである。
だが彼女は、その言葉を【自分が言わせた】と考え、更に傷つくのは明らかだった。
何が彼女にとって一番ベストな言葉か、急いで言葉を捜すが何も思い浮かばない。
慰めて欲しいと訴えた彼女の言葉は本心だろう。
だからこそ慰めてやりたかったが、下手な言葉は彼女を更に傷つけると思い、躊躇する。
「あ~…スープ、冷めちゃいます」
考えに考えて出た言葉が、ソレだった。
酷く情け無いとは思う。
だが、何も思い浮かばなかったのだ。
「元気があれば、何でも出来るっ!でしたっけ?」
ふと、ナナエとはじめて話した日のことを思い出して呟いてみる。
その言葉にナナエは反応して、しゃっくりを上げながら涙で濡れた顔を少し見せた。
「偉い人が言ってたんですよね?食べないと元気が出ませんよ?」
ナナエは困ったような半笑いの顔をした。
「誰も、いないと思ってたのに、聞いてたんだ?」
「聞こえてきたんですよ。”しゅっ!しゅっ!”とかも言ってませんでした?」
「それは…あはは、聞かなかったふりをしてよ」
「あの後、大きな音がして、扉がたわむし。びっくりして尻餅ついたんですよ」
「もうっ…叶わないなぁ…」
手の甲でぐいっと涙を拭き、ナナエはのそのそと体を起こした。
しゃっくりはまだ時折上げてはいたが、ナテルのどうでもいい話題に気がそがれた様だった。
幾分放心したような面持ちで、寝台の上で膝を抱え、乱れた髪をゆっくり両手で梳いている。
ナテルは立ち上がり、トレイごとスープの皿を運んだ。
そしてそのまま再び寝台の端に腰を掛ける。
「食べれますか?」
ナテルが聞くと、ナナエは”ん。”と小さく返事をした。
膝の上に顎を乗せて、泣きはらした目のまま放心しているナナエの口元に、そっとスプーンを運んでみる。
ナナエは少しの躊躇の後、小さく口を開け、素直に飲んだ。
その姿は母親に甘える子供のようで、ナテルは少し胸が痛む。
こんなにも不安になって嘆いている娘の心を知ってしまった。
それでも、ルーデンスの為に鳥かごに入れておかねばならないと思っている自分に嫌気がする。
まるで罪滅ぼしのように、ナテルは黙々とスプーンを口元へ運んだ。
今この瞬間だけでも、彼女の心が救われれば良いと思いながら。
スープを一通り食べ終えると、ナナエは膝を抱えた姿勢のままうつらうつらし始めた。
恐らく、疲れたのだろう。
感情を吐露することは物凄くエネルギーの要ることだ。
ナテルはそっと手を沿え、ナナエの体を寝台にきちんと横たわらせる。
ナナエは素直にされるがままになって、半分寝たような面持ちのまま小さく”ごめんね”と言った様だった。
肌掛けと布団をきちんと掛けなおしてやり、サイドテーブルのランプの明かりを小さくする。
すぐさま聞こえてきた小さな寝息にナテルはほんの少しほっとした。
それから、テーブルの食器を軽く片付け、燭台の炎を消す。
そうして扉を開け、最後に一度ナナエを振り返った。
「ナナエ様、私はナナエ様が大好きですよ。あなたを必要としています。忘れないで下さい」
そう、既に寝入ってしまった寝台のナナエに向けて言った。
返事がないのを確認した後、一礼をして扉を閉める。
そして、トレイを持ち直し振り返ると、そこには随分と青ざめた表情のルーデンスが黙したまま立っていた。
──ああ、今夜は長い夜になりそうだ。
ナテルは月を恨めしく思いながら仰ぎ見た。




