<49> 反発
これを見て愕然としたのはもう3度目だったろうか。
”ニート”は衝撃的だった。
まぁ、ナナエ自身が望んだんだから納得できるといえば納得できた。
その次に見た時は”無職”。
後ろ盾がなくなったとたん、無職扱いだ。
あれで勤労意欲が出た。
物凄く久しぶりに。
離宮に居た時は元の世界に帰る気満々だったのでニートが都合よかったのだが、離宮を追われる身となったからにはまず働かなければ生活ができない。
元の世界に帰るためにも今現在の生活の基盤をきちんと築いておかねばならなかったし、お世話になったオラグーン王家の問題が解決してからという気持ちもあった。
そうしたら意欲もわくというものだ。
一念発起して経営を始めた執事喫茶。
そのおかげであのお高いシャンパンも毎日購入できたし、職業欄がなんと”飲食店経営者”になった時は感慨深かった。
そして、今現在の職業。
”奴隷(研修中)”
「奴隷じゃないし!しかも研修中って!!!」
戸籍登録証書に思いっきり突っ込む。
全ては首に嵌められた魔封じの魔道器のせいだ。
誰も見てない時に引っ張ってみたり、フォークやら火掻き棒やらで傷つけてみたりしたが、全く外れる気配がない。
そもそも繋ぎ目がどこにも見当たらない。
何とか首輪を外してもらわなければならないと、ナナエは切実に思い始めた。
そんな時である。
「戻りました」
なんだかよれよれのルーデンスが部屋に入ってきたのだ。
これは抗議をせねば!とナナエはツカツカと歩み寄った。
そのナナエの勢いにルーデンスは訝しげな視線を返す。
「これ、どうしてくれるのよ!」
ルーデンスに戸籍登録証の裏側を見せながらナナエは声を上げた。
一瞬きょとんとしたルーデンスだったが、すぐに顎に手を当て、眉間にしわを寄せた。
「ナナエ・キリヤ…。キリヤは家名ですか」
「そこじゃなくて、その下!職業が…ってうわぁぁぁぁ!!まった!ああああああ!!バレタぁぁぁ!」
「いや、そこは”バレタ”ではなく”バラシタ”だと思いますが」
「えっと!!…キリヤも本名だし!」
「まぁ、名前など些細な問題ですから。私も確認しなかったですし。ただ、”ナナエ”…どこかで聞いたような…」
「いや、問題にしてるのは名前でなくて、ですね。職業の方で…」
「ああ、思い出しました。オラグーンで行方不明になっている王子の側室の…」
「違うわぁぁぁぁぁ!!!どこのどいつがそんなデマ流したぁぁぁ!!!」
顔を赤くし、声を張り上げてナナエは否定する。
そんなナナエの様子を見て、ルーデンスは目を細めた。
「誤情報なんて聞かなくても分かりますよ。そこかしこで浮名を流しているあの王子の側室が、あのような拙い口付けをするはずがありませんから」
そしてニヤリと笑う。
そのルーデンスを見て、ナナエは益々顔を赤くして肩を怒らせた。
「あ、あ、あ、あ、あなたねぇ!彼氏居ない暦=年齢の私が上手かったらおかしいでしょうが!」
「いや、別に文句はありませんが」
「下手だって言った!!下手だって!!!!」
「まぁ、確かにお子様レベルですが」
「きぃぃぃぃぃ!」
ナナエは怒りに任せてルーデンスの肩先に握った拳で突くように叩いた。
それをルーデンスは”まいった”とでも言うように両手を上げ、面白そうに笑って受ける。
そして、ナナエはふと気がついた。
(…何やってるんだろう、私)
ルーデンスを叩く手をピタリと止めて、ナナエは少し俯く。
むりやり連れてこられたとはいえ、結構ルーデンスとのこんなやりとりを楽しんでしまっている自分が居る。
こんなことしていて良いんだろうかと疑問が頭に浮かぶ。
――ううん、何時までもこんな風に過ごしていて良い訳がない。
「ルディ、首輪外して」
突然大人しくなったナナエを訝る様にルーデンスは顔を覗き込んだ。
ナナエは真面目な表情でそんなルーデンスの瞳を見返す。
「私、こんなの嫌。帰りたい」
──帰りたい。皆のところに。それから、元の世界に。
この邸宅に連れてこられてから1週間近くにもなる。
その間、ナナエはルーデンスに真剣に訴えたことが無かった。
チャンスはいっぱいあったはずだ。
もっといっぱい抵抗して、ちゃんといっぱい真剣に話さなければいけなかった。
こちらの世界に来てからいつも一緒だった皆。
お人好しの彼らのことだから、きっと凄く心配してくれたはずだ。
ナナエは流されるままに深く考えずにこの1週間過ごしてしまった。
そう思うと、自分が情けなくて自然と涙が滲む。
それを見たルーデンスは、一瞬息を呑んで、ついっと視線をそらした。
「ダメです」
「どうして」
「姫…いえ、ナナエ。貴方を帰したくありません。ずっと側に居て欲しい」
ルーデンスはナナエをそっと抱きしめ、囁くように耳元で言う。
ナナエはそんなルーデンスの腕を振り解き、数歩離れた。
「勝手なことばかり。押し付けてばかり」
「ナナエ?」
「私の側がいいなら、ルディが王様辞めて私に付いてくればいいでしょ!」
「馬鹿なことを言わないで下さい」
「馬鹿なこと?ルディが王様ってのが大事なように、私にだって大事なモノはある。自分だけなにも失わずに無傷でいようなんて卑劣じゃない」
ナナエが睨むようにしながら淡々と言うと、ルーデンスも真剣な表情で睨み返す。
お互いが一歩も譲るつもりが無いのは明白だった。
「貴方の首輪を外すつもりはありません。帰しません」
「この、わからずや!!」
ナナエはルーデンスに向かってクッションをを投げつけた。
それをルーデンスはよけもせずに立ったまま受ける。
そのまま、落ちたクッションを少し手で埃を払うようにして拾い上げると、ソファーの上に乗せた。
「ナナエ、私には貴方が必要です」
「嘘つき!必要なのは私でなくて、魔力でしょ。私に魔力が無かったら見向きもしなかったでしょ!」
噛み付くようにナナエがそう言うと、ルーデンスは酷く傷ついたような顔を見せた。
だが、それはほんの一瞬のことで、すぐに口を引き結び、表情を消す。
そうして、黙ったまま部屋を出て行った。
それがなんとも後味が悪く感じて、ナナエは寝台に飛び込むように突っ伏す。
「傷ついてるのは私の方なんだから…」
言い訳をするかのように呟いて、ナナエはそのまま目を閉じた。




