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景色の暗転と共に軽い眩暈に襲われて、ナナエは目をしばたく。
定まりきらない焦点を何とかあわせて、暗転した筈の辺りの景色が鮮明になると驚いて息を呑んだ。
先程まで薄暗い森の中に居たと言うのに、一瞬のうちに豪華などこかの建物の室内にいる。
そして、目前には絵本の中から抜け出たような見目麗しい青年。
その余りのギャップにナナエはしばらく惚けて室内を見回した。
「どこ、ここ…」
「私の部屋…この、オラグーンキングダム第一王子セレンの部屋に決まっておる」
当然だとでも言うように告げた青年が、ふと驚いたように自分の両手を見た。
そして自分の姿を確認するようにキョロキョロする。
「森番如きの魔力がリフィンの魔法を解いただと…」
青年は額に手を当て、信じられないように2、3回頭を振った。
そして
「…まぁ、よい。褒美に情けをくれてやろうぞ」
青年がスッとナナエに顔を近づけ、その直後、唇には柔らかな感触。
何故か胸にはさわさわと手の感触が。
「そなたの魔力…実に美味い。これは、楽しめそうだ」
少しだけ唇を離し胸を揉みながらそう告げ、再びナナエに口付けようとし…
「へ、変質者ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
我に返ったナナエの強烈なビンタで吹っ飛ばされた。
「…そ、そなた…酷いではな…」
「酷いのはあなたの頭の中でしょ!!」
親の敵でも見るような鋭い目線と噛み付くようにに放たれた厳しい声にセレンは少したじろいだ。
この国の第一王子であり、世継ぎでもある自分をこれほどまで拒絶する女を見るのは初めてだったのだ。
いや、世継ぎと言う立場が無くとも。
このもって生まれた無駄に整った顔と魔力のお陰で、
王宮に居る侍女も貴族の娘たちも隙あらば気に入られようとセレンに媚びてくる者ばかりだった。
はしたなくも、しな垂れかかって来る夫を持つ婦人さえ居た。
妾にすらなれなくてもいい、一度だけでいいから情けをかけて欲しいとまで訴える娘もいたほどだ。
女などと言うものは簡単に魔力に当てられ、外見や地位や身分などにめっぽう弱い、頭の弱い生き物だと思っていた。
----それがどうだ。
森でたまたま出逢ったこの例えようもない甘美な味の魔力を持つ女は全身でセレンを拒絶していた。
「…何が気に食わない?この、世継ぎの王子が情けをかけてやると言っているのだぞ?光栄ではないのか?」
困惑した面持ちでセレンが手を伸ばし、近づこうとした。
「近づかないで!」
そんな彼から自分を守るように身構えた女が、噛み付かんばかりの勢いでピシャリと言い放つ。
戸惑いながら女を見、ふと、セレンは女の額の上部が赤く濡れているのに気がついた。
(----怪我をしているのか。)
急激にセレンは自分の劣情がしぼんでいくのを感じた。
目の前の女はどう見ても手負いの猫のようだった。
「怪我を…していたのだな。すまぬ。無体な真似をした」
怪我をした女から生命力でもある魔力を貪り取ろうとした自分を少なからず恥じた。
そして、ナナエに頭を下げたのだった。
「王子、何やらかしたんですか」
眉根を寄せながらリフィンはため息をついた。
つい先刻、調合中の不老不死の妙薬を勝手に飲み、子供になってしまった王子を
お仕置きとばかりに興奮した狼の群れの傍に放置してきたはずだった。
王子程の魔力があればそうそう危険なことはないだろうし、
放置したのはしっかりとした枝振りの木の上で、
2,3時間放置したら半泣きになってるであろう王子をあざ笑いながら救助するつもりであった。
それが、リフィンが家に戻り、間もないうちに王宮より王子の元へすぐに馳せ参じろとの命。
兵に連れられしぶしぶ王子の部屋へ入れば、なぜか妙薬の効果の切れた王子と
物が散乱した部屋の隅で威嚇するように王子を睨む黒髪の女性。
「怪我をしている、治してやれ」
王子は仏頂面。
女性をみやれば、確かに頭部の辺りに赤い血が少し見える。
「王子がやったんですか?」
「女ごときに手を上げるわけなかろう!」
王子はすぐさま抗議の声を上げた。
それにしては王子に向ける女性の敵意は半端がない。
「王子、な・に・や・ら・か・し・たんですか」
ニコリと笑いながらズズっと王子に顔を寄せ、再び問う。
「お前…目が、笑ってないぞ…」
王子はひきつり笑いを浮かべながら少しのけぞった。
「きちんと説明をしないのならば、このまま帰ります」
そういうと、また仏頂面に戻り口を開く。
「…たいしたことは何も。森で会って、狼を散らして貰い、魔力を借りて戻ってきただけだ。
薬の効果も解いた褒美をくれてやろうとしたら、ああなった。怪我は元々してたようだ」
ごくごく端的に王子は言う。
(---それだけで、こうなる理由がわからない)
リフィンは眉間をほぐすように指で押す。
「聞きますが、褒美はどのような物を?それ相応の対価でしょうね?」
「情けをくれてやろうと思った」
「……………は?」
たっぷりの間とともにリフィンは聞き返す。
「女どもなら誰でも喜ぶ褒美だぞ」
「……無体をしたと?」
「最後までしておらん。怪我をしているようだったし…」
ゴフッ。
みなまで言わせず、リフィンの拳がセレンの鳩尾をえぐった。
「この万年発情期の屑男が…!このまま殺してやるのが世のため人のためか…」
吐き捨てるように呟くと、セレンは少しおびえたようにリフィンを見上げ鳩尾をさする。
「た…たかが口付けと乳を揉んだぐらいだぞ?それなのに、この私を拒んだ上に、王子手ずから手当てしてやるといっても暴れて近づかせてもくれん。過剰反応過ぎるだろうが!いい年した女が生娘でもあるま…」
ドゴッ。
パリーン。
みなまで言わせず、女性が投げた花瓶により王子は文字通り、
水も滴る(血も幾分滴っていたが)いい男になったわけである。