<47> 良心
夜の庭園を歩く。
日中はまだまだ暖かいが、夜になると流石にそよ風程度の風でもぶるりと体が震えるくらいには寒い。
それでも久しぶりの自由と開放感を感じて、ナナエは月の下で大きく伸びをした。
あの後、ルーデンスはすぐに出立したようだった。
従者達に変わった様子も無かったし、馬の嘶きも何も無かったから、恐らく転移の魔法を使ったのだろう。
夜になって、部屋に篭ってなきゃいけないナナエを不憫に思ったのか、世話を任されているナテルがやってきた。
”気分転換に庭園にでも出てみたらいかがですか?”との申し出にナナエは二つ返事で頷く。
部屋の中はとにかく退屈なのだ。
本を読むのが好きだから、ナテルやルーデンスに差し入れてもらった本を読んではいた。
しかし体を全く動かさないで部屋の中に居続けるのが不健康でたまらない。
運動が大好きなアウトドア派という訳ではないが、たまにはゆっくりと外に出ていたい。
1日目はルーデンスに連れられて庭園に出られたものの、昨日一昨日と篭りっきりだったのだ。
少し肌寒くても外の空気がとても気持ちよかった。
「寒くないですか~?」
ナテルが心配そうに肩布を差し出した。
それを素直に受け取り”ありがとう”と言うと、ナテルは”いえいえ”と穏やかに微笑む。
「そういえば、出掛ける間際のルーデンス様がとても不機嫌だったんですがなにかありました~?」
思い出したようにナテルが眉をひそめながら聞いた。
ナナエは思い返すように頬に手を当て、首をかしげてみせる。
「それがね、うっかりして扉にぶつかってたの。で、からかったら赤くなって怒っちゃったのよね~」
「…え?」
「意外とからかい甲斐があるかもね」
そう言ってナテルを見ると、今度はナテルが挙動不審になっていた。
信じられないものでも見るように目を見開いている。
「と、びらにぶつかったんですか?うっかり、して?」
「そうだけど?」
「…ありえない」
そう一言漏らし、おかしそうに笑い出す。
そしてナナエもその時のルーデンスの顔を思い出し、つられたように笑った。
ルーデンスがドジを踏むなんて…っとナテルは小さい頃のルーデンスを思い出して懐かしさに口元が緩む。
いまでこそ、人形のように表情を余り動かさなくなってしまっているが、昔はそれはもうくるくると表情の変わった元気な男の子だったのだ。
それが、ルーデンスの母親が亡くなった。
勢力争いに巻き込まれて、だ。
その時から変わったんだと思う。
塞ぎがちになり、感情を派手に表に出すことが少なくなった。
それに追い討ちをかける様に、ルーデンス自身も何度も命を危機にさらされ、死に掛けた。
そうやって段々と表情をなくして行き、父親である前国王が、またもや毒殺されると、完全に人形のような表情になった。
一応笑いもすれば怒りもするが、普通の人と比べるときわめて少ない。
そのルーデンスが恥ずかしさで赤くなって怒るなど驚きの反応だった。
そして、その原因のうっかりしてというのがまた面白い。
うっかりしてというのは気を許した時にしか出ないものだ。
ふだんから気を張り詰めているルーデンスがこの娘の前ではそんな姿を見せるのかと思うと、羨ましくも、微笑ましくもある。
「ナテルはルーデンスについていかなくていいの?」
「あ~…僕は行かないんではなくて、行けないんですよ~」
キリヤの問いにナテルは髪を掻きながら答えた。
ついていけるものなら、ついていきたかったとナテルは思う。
いつも大体ナテルは留守番だ。
それを口惜しく感じることは今までにも何回もあった。
だが出来ないのだ。
「僕は~、人族にしては珍しいとは思うんですけど、魔力が全くないんですよね~」
「ちっとも?」
「そうなんですよ~。剣もあんまり…。だから行っても足手まといになっちゃうんですよねぇ」
ナテルが苦笑しながら言うと、キリヤは”そっか”と短く返事をした。
そして不思議そうに首をかしげる。
「ねぇ。魔力の差がありすぎると魔力当りするんじゃないの?」
もっともな疑問である。
ルーデンスは転移の魔法を使えるほどの魔力の持ち主だ。
全く魔力のないナテルが側に控えるなんて普通なら無理な話なのだ。
「ん~…。なんででしょうねぇ?僕は~誰の魔力の影響も受けないんです」
「そうなんだ?それ、いいね」
キリヤがそういうのを聞いて、ナテルは驚いてマジマジと顔を覗き込むように見てしまう。
魔力が無くて苦労してるし、足手まといになる事でつらく思うことも多い。
どこがいいというのだろうか。
ナテルからすればキリヤのその魔力を分けてもらいたいぐらいなのだ。
「あったほうが、いいに決まってますよ~」
幾分僻みにも似た気持ちを抱えながら、のんびりと反論してみる。
するとナナエはちょっと悲しそうに笑った。
「魔力当りだかなんだか知らないけど、そんなものがあるせいで…信じれない」
「なにをです~?」
「人の気持ち、かな?親切も、好意も、魔力のせいだと疑っちゃうから」
「…………」
返す言葉が無かった。
ナテルは自分の事ばっかりで、他人が見えていなかった自分を恥じた。
そして思う。
ルーデンスが役に立たない自分をずっと側に置いてくれているのは、”ナテルを信頼しているから”ではないのかと。
魔力は絶対の力だ。
人族においてはその能力だけで将来が決まるといっても過言ではないほどだ。
特に人族は魔力の影響を受けやすい。他族の比ではない。
魔力の強いものに魔力の低いものは強く抵抗することが出来ないし、そばには控えることが出来ない。
だからこそ、魔力の強いルーデンスはあまり”人”を信用しない。
そんな男がナテルだけは小さい頃から側に置いている。
もちろん、乳兄弟だからということもあったのだろう。
しかし、その一番の理由は、ナテルがルーデンスに対して魔力の影響を強制的に受けた反応をしないことにあったのだ。
──そして、気づいた。
ルーデンスはナテルにルーデンスの良心になって欲しいのではないだろうか?
ナテルの他にルーデンスに否を唱えられるものはいない。
だから、迷った時にはナテルを供にするのではないのかと。
考えてみればいつも、ナテルがどうしても難色を示すことはルーデンスは無理強いをしなかった。
キリヤを拐かす時にナテルを供にしたのも、上手くやることを求めていたのではないとは最初から分かっていた。
では、何を求めていたのか。
そう考えると自然とルーデンスの考えていたことが分かってくる。
どこまでやっていいのか、この行為が正しいか迷っていたのではないのだろうか?
現に拐かした時に置いてきた花のことも、文句を言うぐらいで終わらせている。
ナテルの甘ったるい考えを完全には否定しない。
それがルーデンスの良心として捉えられているのなら、するわけがないのだ。
王としてその感情を捨てなければいけないと、ルーデンスは常に平静であろうとしてきた。
だからこそ、その部分をナテルに求めているのではないだろうか。
「キリヤ姫、申し訳ありませんでした」
ナテルは頭を下げた。
連れ去る時にナテルが強く止めていたら、キリヤは今頃、普段どおりに近しい者達と暮らしていたかもしれない。
家族に囲まれて楽しく過ごしていたかもしれないのだ。
キリヤはきっと急にナテルが謝った意味が分からないのだろう。きょとんとしている。
それでもいいと思った。
あの時の気持ちのままだったら帰してやれたかもしれない。
でも、今は違う。
──ルーデンスにキリヤは必要だ。
申し訳ないとは思うが、キリヤにはルーデンスの素を受け入れてもらいたいのだ。
ルーデンスの表情をココまで引き出せた者は今までいないのだから。
ルーデンスが心から求めている者を、どうして自分が拒絶しようなどと思うものか。
結局のところ、ナテルはルーデンスが一番大事なのだ。
人としての良心の部分よりも、ルーデンスの心を選ぶ。
「…人選ミス、だよなぁ?ルディ」
ナテルは誰にも聞き取れないほどの小さな声で呟いた。




