<46> とまどい。
すこぶる体調がいい。
昨日の苦しさが嘘のようである。
そして。
(未だにキスのみですんでいるのが嘘のようだわ)
ナナエはため息をついた。
このままでは本気でキスのみテクニシャンな魔法使いコースに、猫まっしぐらな勢いだ。
(こんなことならセレン王子に魔力の抜き方を聞いておけばよかった…)
おなじ魔封じの魔道器をつけているのだから、どこかに抜け道はあるはずである。
セレンは口付けではない何かで魔力を抜いているとしか思えない。
なにしろ、ライドンに着てから1ヶ月近く引き篭もっている。
そして、とくに他の誰かと会っている気配もない。
コンコン。
ノックの後カチリと鍵の開く音がした。
そして、ナナエの返事も待たぬまま、まるで当然かのようにルーデンスが入ってくる。
ナナエは窓際から動かぬまま、顔だけ少しルーデンスの方に向けた。
「紳士なら、返事を待ってから扉を開けたほうがいいんじゃないですか?ルーデンス様」
嫌味っぽく言うとルーデンスはクスリと笑う。
「ルディと呼んでください。…どちらにせよ、私が声をお掛けしても返事をしてはくれないでしょう?」
「私、嘘をつく人は嫌いなんです。ね?ルー・デ・ン・ス・さ・ま」
昨日は結局ルーデンスに魔力を抜かれた。
それこそ、魔力が篭って起き上がれないのではなく、吸われ過ぎて立ち上がれないくらいには抜かれた。
苦しくは無くなったが、体がだるすぎて気力まで吸われたと感じるほどに。
そのぐったりとした私の横で、ルーデンスは明け方までナナエの手を握ったままだった。
すぐ横に添い寝するような形で、恥ずかしくなるような愛の言葉を囁き、時折掌に口付けを落とす。
だるいのにオチオチ寝てもいられない、そんな一晩だった。
「ルディと」
ルーデンスはツカツカと歩み寄ると、そう言ってナナエを引き寄せる。
間近になるルーデンスの顔を、ナナエは下から顎を持ち上げるようにして抵抗した。
「うぐぐっ…無理強いは、しないと、約束っ、したじゃ、ない、ですかっ」
渾身の力で両手でルーデンスの顔を押しやる。
それをルーデンスはとても楽しそうな表情をしてされるがままにしていた。
だが、その腕だけはしっかりとナナエの腰を抱き寄せている。
「ルディと呼んで?そしてその他人行儀な話し方を止めたら、無理強いはしないですよ」
「や、めてっていってるでしょ!ルディ!!」
ナナエが叫ぶように言うと、ルーデンスはパッと手を離しておかしそうに笑った。
それが不愉快でたまらなくてナナエはルーデンスを睨んで距離を取る。
「条件飲んだんだから、約束守ってよね!」
「ええ、もちろん守りますよ。今日は、ね」
「なっ…!!」
そうして”ずっとなんて言ってませんよ?今も、この間も、ね”と涼しい顔をして言ってのけた。
ナナエは悔しさの余り顔を赤くして拳でテーブルをダダダダン!と叩く。
「あ゛ぁ゛~~もぉ~~~!!!この詐欺師!!」
そう言ってナナエが喚いていると、ルーデンスはさも可笑しそうにおなかを抱えて笑い出した。
ナナエにとってはそれがまた非常に不愉快で険しい顔でルーデンスを睨む。
「…いや、失礼。今日は出掛けねばいけない用事がありましてね。その挨拶に伺ったのですよ。私としては非常に不本意ですが、戻りは明日になります」
「そのまま帰ってこなくて大丈夫だけど?」
「あはは、そうしたら貴方の魔力は誰が抜くんですか?誰彼構わず口付けするおつもりで?」
意地悪そうにニヤニヤ笑いながらルーデンスは己の顎に手を沿え、人差し指でゆっくり唇をなぞった。
ナナエは二の句が継げずに下唇を噛む。
「まぁ、いいですよ?その時は誰であろうと、殺しますけどね」
「殺す殺すって物騒なこと言わないでよ!大体私は、好きな人としかしたくないの!」
「では、私を好きになればいいではないですか」
「ここまでされて好きになれる訳あるかーーーーーー!!!!」
ゼイゼイと肩で息をしながら睨むと、ルーデンスはちょっと困った顔をしながら微笑んだ。
昨日も見たこの表情を見るたびナナエは小さな罪悪感に苛まれる。
嫌なことをされているのはナナエの方なのに、拒否をするとこんな表情を見せられるのだ。
まったく割に合わない。
「出掛けるんでしょ、さっさと行ったら?」
「…そうですね。そろそろ行かなくては」
ルーデンスは浮かない表情のまま踵を返す。
ナナエはモヤモヤした気分で下唇を噛み、その後姿を見た。
そしてルーデンスが扉に手をかけたところで決心して口を開いた。
「ルディ」
その呼びかけにルーデンスはピクリと手を止め振り返った。
その表情は明らかに困惑した面持ちだった。
ナナエは特に何かを言うつもりで呼び止めたわけではなかった。
が、何かを言わないとこのモヤモヤした気分は晴れそうも無い。
だから何かを言ってこの気分を晴らさねば、と思った。
「ご飯はちゃんと食べなさいよ」
つい口を出た言葉は”歯を磨けよ!”レベルのどうしようもない言葉だったが、ナナエは相変わらず睨みながらそう言い捨てた。
すると、ルディは何故か一瞬きょとんとして、そのまま硬直した様に止まった。
「…聞いてた?」
「あ…はい…うん、わ…かりました」
ナナエが再び声をかけると我に返ったように視線をそらし、扉の取っ手を握ったまま歩き始め…激突した。
取っ手を下へ押し込まなければ扉は開かないのだから当たり前だ。
明らかに挙動不審者になっている。
「扉、開けてあげようか?」
呆れてナナエがそう言うと、ルーデンスは珍しく顔を少し赤らめながら眉を吊り上げる。
「余計なお世話です!」
そう吐き捨てるようにして部屋を出て、扉を大きな音をさせて閉める。
突然のことにナナエは呆然と見送るしかなかった。
「なんなの、アレ…」




