<43> その任務は遠慮します。
男がいた。
年は32歳。世間一般では働き盛りといわれている年代の男である。
その男は仕立ては悪くはないが随分と薄汚れて服を着ていた。
年の割には童顔で、それを縁取る茶色がかった金髪のくせっ毛が更に年若く見せている。
その横に付き従うのは銀髪の見目麗しい少年だ。
服装もこざっぱりとしていて、とても愛らしい。
「あ~…だれか、いませんかねぇ~?」
ファルカ家の情報では、この邸宅に住んでいるはずだった。
つい昨日までの目撃情報も聞いていた。
それが急に居なくなっているというのは不思議な話だ。
襲撃にでもあったのだろうかと、その痕跡を調べてみるが、全くおかしい点はない。
特に荒れている訳でもなく、急に出て行ったという雰囲気でもない。
ただ留守なだけといった感じだ。
カタッ、コトン。
微かに奥の部屋から何か物音がする。
どうやら此処の住人で外出していなかったものが居るらしい。
ドアをノックしても返答が無かったので留守だと思っていたが、違ったようだ。
「あ、ちょっと待ってよ。あんた、ここで待っててよ。何かあったらどうするんだよ。僕が見てくる」
部屋の奥に向かおうとしたところを、供の少年に遮られる。
少年がまるで己が保護者であるかのように過保護なので、男は少し不満げだ。
そもそも甥っ子に会いに来ただけというのに、何を警戒する必要があるのだろう。
「何もあるわけないですよ~。甥っ子に会いに来ただけじゃないですか」
「あんたねぇ…その甥っ子も、自分も。どういう状況だかわかってんの?僕が居なきゃ死んでたくせに」
「ユーリス、いつまでソレ言ってるんですか?あの時はたまたま調子が悪かっただけです」
「ハイハイ。いいから、待ってなよ」
呆れたように少年が手で追い払うような仕草をする。
絶対に誤解されている。
ユーリスからの”頼りない男”認定は何とかせねばなるまい。
「あれ?大公、なになさってるんですか?」
居室の入り口からひょっこりと覗いた青年が声をかけてきた。
甥っ子のセレンだ。
先ほど奥から聞こえてきた物音は彼のものに違いない。
「ああ、セレン。酷いんですよ、ユーリスが~」
「はいはい。じゃあ、私は出かけますんで。話は帰ってきてからで」
・・・・・・・・・。
とことん扱いが酷い。
これは抗議をしなくてはと口を開こうとした時だった。
「ああ、王子に…あれ?大公様。お久しぶりでございます」
人の気配に大公が振り返ると、見知った青年が難しい顔で玄関から入ってきた。
にしても、青年の奇妙な格好に大公は目をぱちくりとさせた。
あれではどうみても使用人、所謂執事のお仕着せではないのか?と首をひねる。
これはなんだか嫌な予感がするな、と大公は腕を組んだ。
「つまり、ナナエさんという方が拐かされた、と?」
「そうです。攫った人物は特定できたので、その従者の後をトゥーヤたちに追わせています。目的は不明なのですが…」
「魔力です」
「うわぁぁぁっ!!!」
突然、耳のすぐ近くで掛けられた声に、大公は驚いて派手にカップを倒す。
居なかったはずの大公の背後に突然現れた男は、それをため息をつきながら片付け始めた。
トゥーヤだ。
「相変わらず、ファルカの人は驚く登場の仕方をしますねぇ…」
「そうでも無いと思いますけどぉ~」
「はうわぁっ!!!」
空席だったはずの左隣に突然現れた少女の声で再び大公は派手に驚いて長いすから転げ落ちた。
マリーの登場である。
転げ落ちた先にはユーリスが立っていて、呆れた視線を注いでいる。
「な、な、なんなんですか~!君達は~!現れるたびに毎回毎回驚かして…心臓に悪いですよぉ…」
微妙になみだ目になりつつ、ファルカ家の兄妹に抗議する。
それに対しトゥーヤは全く感情の篭ってない顔で頭を下げた。
「申し訳ありません。これも任務ですので」
驚かせるのが任務などと聞いたこともない!と抗議はしてみるものの、ファルカの兄妹は今後の対応を改める気は全くないらしい。
「それで、ナナエ様の魔力を利用する目的もあるようです。捉えられた場所等確認済みです。ですが…」
そこでトゥーヤが言葉を濁した。
考えてみれば、ファルカ家の者ならその程度のことは直ぐに解決できていてもおかしくない。
普通の相手であれば、だ。
ナナエという女性を連れて帰ってこれない理由があるらしい。
「もったいぶるな。早く話せ」
セレンが苛立ったように言う。
「拐かしたのが、エーゼル国王だったんですよね~」
「ぶっ…!!」
困った顔をしながらマリーが言ったとたんに、セレンが口に運んでいたお茶を吹き出す。
「なぜ、エーゼル国王がナナエを…?」
「どうやら半月ほど前、カルナ商店でナナエ様に」
そこでトゥーヤは言葉を止め、無表情のまま両手で胸の前にハートの形を作ると、胸の前から少し突き出すように手を伸ばし、”ズキューン”っとボソリと言った。
おかしい、ファルカ家の次期当主はこんな人間だったのだろうか…。
「まぁ、魔力はそのついででしょうね。一粒で二度おいしいってやつです」
マリーは人差し指を立てながら説明をする。
「現在ナナエ様はセレン様と同じ魔封じの魔道器を着けられていて、魔力が全く放出しない、…できない状況になっています。その状態にもかかわらず、ナナエ様を非常に丁重に扱っているんですよね。つまり、魔力当たりがない状態でもナナエ様を大事にしているということです」
「魔力が欲しいというだけでも丁重には扱うだろう?」
「それが、ですね」
そこでマリーも少し言いよどむ。
「来月婚姻予定のガルニアの姫に暗殺指令を出されました」
それを補うようにトゥーヤが言った。
そこで、リフィンにもセレンにもカイトにも事態の深刻さがはっきりと分かる。
「つまり、いずれ正妃に、と」
助け出そうと思えば助け出せるが、それはかならず国際問題にまで発展するということなのだ。
救出したはいいもの、救出した者がオラグーン王家の縁者と知れれば問題は大きくなる。
仮に知られずに済んだとしても、盛大な追っ手がかかることになるだろう。
連れ戻すのは簡単だが、後々のことを考えると連れ戻すのが難しい、ということだ。
皆一様に難しい顔をして黙り込む。
正直、今のセレンと大公の立場から言えば一人の娘と関わっている暇などないのだ。
自分の身ですら危ない時だ。
更に敵を増やすのは愚の骨頂としか言えない。
それでも、と大公は思った。
ファルカの兄妹も、カイトもリフィンも、そして甥っ子のセレンですらも、それでは納得がいかないという顔をしている。
それだけ、その娘は彼らの中では重要な位置に居るのだ。
これは、助けてやらねばなるまい。
大公は少し口元をほころばせて笑う。
皆、その娘のことばかり心配していて大事なことを見落としている。
「仕方ないですねぇ。この大公自ら皆さんに一つ策をあげましょう」
──さて、エーゼルの国王とやらを悔しがらせてやろうではないか。
インフルェ…




