<36> 花と従者
頭の悪そうな男たちに囲まれ、崩れ落ちるキリヤを見た瞬間、ルーデンスは喜びで胸が震えた。
キリヤが自らルーデンスの腕の中に飛び込んできたような錯覚さえ覚えた。
今日のキリヤの供は取るに足らない子供一人。
だからこそ、あの様な頭の悪そうな男でもキリヤを捕らえることが可能だったのだ。
笑いをこらえきれない様子でルーデンスは男たちに近づく。
そんなルーデンスを訝しげに男達が睨んだ。
「兄ちゃん、悪いことはいわねぇ。そのままターンして帰りな」
ドスを聞かせた声でナイフをちらつかせる。
下品なことこの上ない。
それでも近づくのを止めないルーデンスを威嚇するように背の高い男が前へ出た。
ふと、体格の良い男がキリヤを抱き上げるのが目に入った。
「汚い手で触れないでいただけますか」
男達は一瞬だけ風が頬をなでたような気がした。
それが男達の最後の感覚だ。
痛みも無かったはずだ。
そのまま血飛沫を上げて倒れた。
何も言葉を発しないままに。
血溜まりを避けるようにしてルーデンスはキリヤに近づく。
一人だけ生き残ったキリヤを抱える男はルーデンスに言い知れぬ恐怖を感じたのか、明らかにおびえていた。
視線はルーデンスの手にいつの間にか握られている血塗れた細身の剣。
「彼女を渡していただきましょう」
にこやかに笑いながらルーデンスが左手を差し出す。
その言葉と、笑顔、その仕草に恐怖を感じ、男はキリヤを抱いたまま後ずさる。
すると、ルーデンス左手の指先で己の顎をなでて笑った。
「困りましたねぇ」
全く困っていない口調でそう言う。
「不快でたまらないんですよ。あなたが姫に触れているのが」
それが男が聞いた最後の言葉だった。
音も無く崩れ落ちる男から奪うようにしてキリヤを抱きかかえ、ルーデンスは満足げに微笑んだ。
「あ~…ルーデンス様、ルーデンス様?」
聞きなれた間の抜けた声がして振り返れば、そこにはやはり供のナテルが居た。
頭をボリボリ掻きながら言いづらそうにしている。
「なんですか?」
「愚問かもしれませんが、その貴族の姫さん、どうするんですか?」
「連れて帰ります」
「ですよね~」
ナテルはやっぱりと言うように頭を掻いてため息をついた。
思うところはあるのだろうが、自分ごときが口を挟める事でも無いとわかっているのだろう。
「取りあえず、馬でもつれてきますか?」
「いや、悪目立ちしたくないですから。近場に…仮宿まで転移します。2人で転移するならその距離が限界でしょう」
「あ~…またまた愚問なんですが」
「なんです?」
「その2人っていうのに私は?」
「入っていません」
「ですよね~」
ナテルが再び頭をボリボリと掻くと、もう言うことは無いというようにルーデンスは姿を消した。
それを確認した後、辺りの惨状を見回してナテルはため息をつく。
馬鹿な男達である。
一見軟弱そうに見えるルーデンスは、幼き頃から常に暗殺者などと渡り合ってきた一流の剣士なのだ。
おまけに人を殺すことに全く躊躇しない。
躊躇をした時点で相手にチャンスを与えることを知っているからだ。
ルーデンスを脅しにかかった時点で彼らの行く末は決まっていた。
近づいてきた時点で逃げるか、剣を抜き闘うべきだったのだ。
あれでは殺してくれと言っているようなものだ。
そして、ナテルはそのルーデンスに連れ去られた女性を思う。
ルーデンスの気まぐれは今に始まったことではない。
だが、女性を拐かしてまで手に入れるなど初めてのことである。
むしろ女嫌いではないかと言われていたぐらいに女性に興味を示さなかった。
──それがこの変わりようである。
ナテルは血で汚れないよう、倒れ伏している少年を抱え上げ、やわらかい草むらの上へ下ろす。
そして、ふと思い出したように己のポケットをごそごそ探った。
「ああ、あった。これを姫さんの従者が気づいてくれるといいけど…」
萎れてしまっている小さな花を1本少年のエプロンのポケットに入れる。
女性を帰してあげられそうもないから、せめて家族に何かを知らせてあげたかった。
──”私は元気です”
その小さな花の花言葉を知っていればいいなとナテルは思った。
その花を見つけたのは偶然だった。
トゥーヤからディグを受け取り、フロアのソファに座らせ衣服を緩めた時に、ディグのエプロンのポケットから落ちたのだ。
薬の材料としては稀に使われるその花をリフィンは良く知っていた。
もちろん、ディグの店では取り扱っていない。
花言葉は”私は元気です”。
ナナエを連れ去った者が残して行ったのだと瞬時に思い当たった。
大事なのはそのメッセージではない。
この花の状態だった。
なぜなら、国内ではこの花は乾燥したものしか出回っていないのだ。
萎れた状態、それが手がかりだ。
この花が咲くのは河の向こう。
つまり、国境の向こう側。
そこからやって来た者がナナエを連れ去ったと推測できる。
「そういえば…」
とリフィンは思い出す。
店に来ていた宿屋の娘が最近国境の向こうから貴族が頻繁に来て部屋を貸しきっているという話を聞いたばかりだった。
ならば急がねばとリフィンは立ち上がった。
国境の向こう側に帰られる前に確かめなければならない。
急いでディグに気付け薬を飲ませ、しばらくじっとしている様に言い含める。
自分の推察が正しいという確固たる自信は無かった。
だからこそ確かめる必要がある。
ディグが小さく頷くのを確認した後、リフィンは急かされるように店を後にした。




