<35> 執着
「ルーデンス陛下!」
部屋を出るといかつい顔をした大柄の男が小走りに近づいてきた。
ガシャンガシャンと身に纏った鎧の音がうるさい。
ルーデンスと呼ばれた男は片眉を吊り上げてチラリと見て、手早くドアに鍵をかける。
「騒々しいですよ」
ルーデンスが向き直り軽く腕を組むと、その男は足元に跪く。
それをさも面白くなさそうに大仰にため息をつくと男の左肩に軽く触れた。
「発言を許します。ゲイン、何用です」
「恐れながら陛下にお尋ね申します」
そう言うとゲインという男は顔を上げた。
その顔は険しい。
「陛下が女性を拐かしたとの報告を部下から受けました。真にございますか?」
「拐かしたのではない、連れてきたのです」
「なりませぬ」
ゲインの強い口調にルーデンスは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「お前の指図は受けません」
「なりませぬ!一月後にはご結婚を控えておられるのですぞ!ガルニアの姫の耳に入ったら…」
「追い返せばいいでしょう」
「は?」
「追い返せ、と言ったのです。あの女はもう必要ない」
「なんと…」
ゲインは驚きの余り言葉をなくした。
一月後の婚姻の儀を控え、三の姫がガルニア国を出たとの知らせを一昨日受け取ったばかりである。
渋る婚姻をやっと納得させ、準備を整えてここまで来た矢先に何故このような暴挙を犯すのかが理解できない。
「馬鹿なことをおっしゃいますな。今更白紙に戻すなどできますまい」
「ああ、ではわが国に入る前に死んでいただきましょう」
「ははは、ご冗談を。…なにを言われているのかわかりませぬ」
「冗談ではありませんよ。やっと我が姫と呼べる女性に会えたのです。…邪魔をしたら殺します」
「…」
その”殺します”という言葉がやけに殺気がかっていて、ゲインはビクリと身を振るわせた。
もはやガルニアの姫の行く末は決定していた。
殺せといわれたら殺すしか手はないのだ。
ゲインがガルニアの姫の話を出していなければ、多少揉め様とも姫は死ぬことは無かったのかもしれないと罪悪感に苛まれる。
いや、それでも結局は殺されていたかもしれないが。
ルーデンスに嫁ぐと決まった時点で姫の行く末は決定していたのだろう。
「御心のままに」
ゲインがそう言って頭を垂れるとルーデンスは満足そうに笑う。
そして、手のひらに載せた鍵を大事そうにひと撫でし、握り込み、口付けを落とす。
幼きころより執着をほとんど見せたことがないルーデンスの変わりようにゲインはただただ驚いた。
「…いつ、王城にお戻りになりますか?」
話題を変えるようにそう尋ねるとルーデンスは子供のように楽しげに笑う。
本来、視察目的でこの国境近いこのヤボラの町にやって来ていた筈だ。
領主のはからいで宛がわれたこの邸宅に、よもや拐かした女性を連れ込むとは予想外だった。
もう2週間も滞在している。
王城より何度も帰還を促す書状が届き、それと共にガルニアの姫の出立の報も入った。
もうのんびりもしていられないと、ルーデンスの承認のないまま帰還の準備を進めていた。
無理やりにでも明朝早くに出立して、明後日には王城に帰還する予定だったのだが、この様子ではどうなるかわからない。
「そうだなぁ…私の姫の体調次第、ですね。今無理に出立して体を壊したら可哀想です。…ああそうだ、その時は馬車で戻りましょう。私の姫に私の国を案内して差しあげないとね」
部下の報告では、連れてこられた女性は国境の港町に滞在中のオラグーン貴族の令嬢だという。
暴漢に襲われ、意識を失っていた所を救い出し、そのまま連れ去ったと聞いている。
ゲインは”私の姫”と呼ばれた見知らぬ女性の行く末を哀れんで神に祈りをささげた。
それは運命と呼んだらよかったのだろうか。
無神論者であるルーデンスはこの時ばかりは神に感謝をした。
ライドンの町に行ったのはほんの暇つぶしだった。
ヤボラに視察に来たはいいものの、余りの退屈さに嫌気が差していたのだ。
一人で供もつけずに馬を走らせ交易の都市としても知られる賑やかな町を見に来ただけのつもりだった。
町を見回り、ほんの少し興味を引いた魔道具を近くで見ようと質屋の扉をくぐった。
そこには店主と一人の女、そしてその従者が居るようだった。
他国にお忍びできているのだからと、あまり目立たぬよう店の奥に入り目的の魔道具を物色していた。
その人物達に特に興味も惹かれなかった。
いや多少、その女の顔が好みだな程度は思ったかもしれない。
特に美人というわけでもないが、人の良さそうなアホ面…というと失礼だろうが、それに貴婦人にはない元気のよさを併せ持った雰囲気に”いいな”と思ったのは確かだ。
でもそれだけだった。
あの時、そのまま店を出ていたらもう女の顔を忘れていたかもしれなかった。
「あ、いいですよ~。ちゃんと返してくださいね?」
そんな声が聞こえた、その瞬間だった。
ブワッと鳥肌が立つほどの魔力がその女から沸いて出るのを感じた。
魔力が余りないものにとっては風が一瞬吹いたのかと誤認したかもしれない。
「キリヤ様は魔力がお高いのですね」
店主が驚いたように女に話しかけていた。
そしてクンクンと鼻を鳴らす。
その魔力は店内中を花のような香りで覆っていた。
「いい匂いの魔力ですね~、キリヤ様にぴったりです」
「あはは、おだてても何にもでないってば。それに私には何の匂いもしないもの」
それはそうだろう。
魔力の匂いは本来異性にしかわからない。
強い種の存続を促すための異性を引き寄せるフェロモンなのだ。
同性でも魔力がよほど高くなければ認識は難しいのだ。
ましてや、自分自身の匂いなど認知できるものの方が少ない。
──おもしろい女だ。
その魔力に一瞬クラッと来たのは否定は出来ない。
だが、それよりもその魔力の大きさを惜しいと思った。
ところどころ話を盗み聞いた感じでは、どうも魔力をうまく使えていないようだった。
──それならば、使ってやろうではないか。
その甘い花の香りのような魔力を思うまま吸い取って、利用してやろう。
ルーデンスはそのまま直ぐにでもキリヤと呼ばれた女を連れて帰りたかった。
が、しかし。
側に控える従者に妙な違和感を感じたのだ。
隙が──無さ過ぎる。
一見、黙って突っ立っているだけにも見えるのに、とても出し抜けるような感じではないのだ。
少しでも離れてくれれば転移の術で無理やりにでも連れ去ろうと、ルーデンスは気づかれぬように様子を窺う。
そこで、その従者と目が合った。
その男は感情の読み取れない、ひどく醒めた目でルーデンスを見た。
そして、ルーデンスの視線を遮る様に、キリヤを隠すように、それは自然に体を動かした。
その男が側に居る限り連れ去る機会は無いと確信にも似た何かを感じた。
忌々しさに歯噛みをし、そしてそのまま店を出た。
そこまで”今”に執着する必要は無い。
キリヤ、という名前がわかっている。
それがわかればこの町で探し出すのは容易なことだろう。
この町には貴族らしい貴族はいない。
だが、あの女の身につけるソレは貴族のものだ。
名前さえわかって居れば居所を突き止めるのは簡単だろう。
あの男が居ない時を狙えばよいのだ。
久しぶりに獲物を狙う楽しさを思い出した。
そしてそれから2週間。
恋に焦がれる普通の男のようにルーデンスはキリヤをその手にする瞬間を待ち続けたのだ。




