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<32> 敵意と好意と意味不明

気がついたら物置みたいな部屋に転がされていた。

ひどく体がだるい。

下にしていた右腕もしびれている。

固い床の上で寝ていたため体を起こすと体がきしむように悲鳴を上げた。

(何時間くらい寝てたんだろ…)

ぼけ~と考えをめぐらす。

もうすでに夜も更けているみたいで、床から冷気が立ち上る。

体をさすりたくても後ろ手に縛られていて、それは叶わなかった。




ちょっと緊張感がかけていたかもしれない。

今日は事のほか忙しくて、何時もは裏方オンリーのトゥーヤまでもが接客に借り出されていた。

マリーも厨房内を行ったりきたりでお茶やらスイーツだのの準備に大忙し。

そんな時、店の裏口から見知った少年が現れた。

茶葉を卸している食料品店の息子のディグである。


「こんにちは~。あれ、今日はキリヤ様も厨房に居らっしゃるんですね」


人懐っこい少年はナナエを見てニッコリ笑った。

ナナエはディグの姿を認めると急いで戸棚から包みを取り出す。


「こんにちは、ディグ。これ、新作のスイーツとPOPよ。またお願いね」


ナナエは新作のスイーツを出すときには決まって試食品を沢山作り、ディグの家の店頭にPOPと共に置いてもらっている。

それはナナエの店の宣伝にもなるし、食材は全てディグの店の物を使っているので、食品店の宣伝にもなるのだ。

ふと思いついたアイデアだったが、これが予想以上に当たっていた。

ディグの店においてあった試食品のスイーツと同じものが食べたいとやってくるお客様、主に奥様方が増えたし、基本的な材料はPOPに開示してあるのでその食材も売れているらしい。

最初に当たって以来、定期的にお願いしているのだ。


「あ、は~い。父ちゃんに必ず渡すよ」


ディグはまだ7歳だったがこれまたしっかりとしていて、よくこうやって店の手伝いで御用聞きにやってくる。

素直で可愛い性格なので、ナナエもかなり可愛がっているのだ。


「んで、今日は何かご注文ありますか?」


そのディグの御用聞きにナナエは顎に手を当てて考えた。

最近少しずつ肌寒くなっている。

ということは季節の変わり目だということだし、そうなると旬の食べ物が変わってくる。

またなにか新作スイーツを作るために旬の素材を仕入れたかった。


「ん~…今は何が旬かなぁ…」

「リムの実とかバアムとかキィル菜とか…この時期はおいしいのがいっぱいあるよ」

「どうしよっかな」


沢山あると言うなら、直接見て選びたい。

ただ、何時もはトゥーヤを必ず連れて行くのだ。

ナナエ一人では外出させてくれない。

でも、今日はかなり忙しい。

渋るトゥーヤをフロア担当にしたぐらいの忙しさなのだ。

余り器用でないナナエは厨房ではあまり役に立たないし、執事と言うコンセプト上フロアも手伝うことが出来なくて、正直暇をもてあましていたのだ。

ただ、たかが買い物の為にトゥーヤに抜けて来いとは言いづらかった。

明日、というのでも別に良かったのだが折角ディグも居ることだし一緒に店まで行くのも悪くないと思ったのだ。

(すぐそこだし、すぐに戻ってくればいいよね)

そんな軽い気持ちでディグと共に外に出たのだ。


そして、店を出て程なくして見知らぬ柄の悪そうな男たちに囲まれた。

最初に捕まったのはディグで。

抵抗したり、騒いだらディグを殺すと言われた。

そして、抵抗できないまま縛られ、何かの薬品を飲まされた。



──で、気がついたらここである。



周りを見渡してもディグの姿は無かった。

ナナエが縛られている時、ディグは懸命に「キリヤ様!」って言って泣いて暴れていた。

薬品を飲まされて薄れる意識の中で、同じように薬品を飲まされるディグの姿も見た。

あれからどうなったかわからない。


「無事だといいんだけど…」


ボソリと呟くと、その声を拾ったのかドアの外から声がかけられた。

聞き覚えのない声だ。


「キリヤ姫、お目覚めになられましたか?」


ねちっこい声と同時に開けられたドアの先には、ひょろりとした葱っぽい男が立っていた。

顔の造形は悪くなかったが、顔色がいやに青白くてなんとも葱っぽい。

その男はナナエが体を起こしているのを確認すると気取った歩き方でナナエの側まで近寄り、後から続く従者が持ってきた椅子に腰をかけた。


最近ちょっと目立ちすぎかなぁとはナナエも思っていた。

突然別荘に来た貴族の令嬢が町にぽんっと店を出し、派手に荒稼ぎをしていたらそりゃー反感買い捲りだろう。

おかげで女性の支持はめちゃくちゃあったけど、男性の評判はすこぶる悪かった。

なにせ、自分の妻や娘が入り浸っている。

食事処やスイーツ店経営者からすれば商売敵が荒稼ぎして経営が落ち込んでいる所に娘と妻の散財が重なっているわけだ。

おまけに、ありえないぐらい馬鹿高い会費が勿体無いからと商工会にも入ってない。

商売敵の上に彼らのシマを荒らしている侵略者に等しい店の経営者なのだから、恨みを買って当然と言えば当然だ。


──さて、どんな無理難題を言われるか…。


まさか殺されはしないよね?とナナエはゴクリとつばを飲み込む。

そして、葱男の顔を睨みながらどうやって逃げればいいか考える。


「キリヤ姫?まだ薬が効いていて話せないんですか?」

「──話せますっ!」


つつーっと撫でるようにして指先で頬を触られ、嫌悪の余り体を引きながら吐き捨てるように言う。

するとその葱男はその指先をペロリと舐め、満足そうにニヤリと笑った。

気持ち悪い男は何をしても気持ち悪い。

気持ち悪い事をする気持ち悪い男は最悪に気持ちが悪い。犯罪レベルだ。

ナナエは眉間にしわを深く刻ませる。


「キリヤ姫、あなたは幸運ですよ」


この状況を指して、何が幸運なんだか皆目見当がつかない。

葱男は足を組むと、その膝の上に己の手を重ねるようにして乗せた。


「あなたが暴漢に襲われているところを私が助けて差し上げたのです」


サラリと葱男が言う。


「は?」


聞き間違いかと思い、ナナエはきょとんとした顔で聞き返した。

(…助けて差し上げたって言った?)

助けてもらったはずなら、なぜこんな物置みたいなところに転がされていたのか、何故縛られたままなのかが理解できない。


「だから、私が助けて差し上げたのです。ですから、怪我一つないでしょう?」


感謝しろと言わんばかりの態度で葱男が言う。

葱男の言ってることと今の状況がどうしても結びつかないナナエは訝しげに首を傾げて見せた。

確かにナナエを襲って薬を飲ませた男たちの中に、この葱男は居なかった。

だけど、この待遇。納得できない。


「それなら縄、解いてもらえませんか?」


勤めて静かな口調でそう言うと、葱男は笑ったまま「ああ、ダメです」とのたまいやがった。

意味がわからない。


「何故ですか?」

「解いたら、逃げるでしょう?」

「いや、助けてもらったなら逃げませんけど。お礼しなきゃいけないし」

「でも、帰ってしまうでしょう?」

「それは、まぁ…もう遅いですし」

「なら、ダメです」

「はぁぁぁ???」


話が通じなくてナナエは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「私のこと、覚えていませんか?」


困惑しているナナエに向けて、葱男がうっとりとしながら尋ねる。

だが、ナナエには全く記憶がない。


「覚えてませんけど。どこかでお会いしました?」


ナナエがそう言うと、葱男は不快そうに眉をひそめる。

いかにも心外だとでも言っているようだ。

そしてナナエの髪を一房、そっと救い上げるように掴むと、わざとらしく嘆息しながら口付ける。


「2週間ほど前、カルナ商店で。あなたは私を誘惑してきたでしょう?」

「…はぁ?」


確かに2週間前、トゥーヤと共にカルナ商店は行った。

質草に入れた調度品を買い戻すために。

でもそれだけだ。

店主とちょっと話して、配送の手配して、すぐ帰った記憶しかない。

──そこに居た、のか?この男が?

まるっきり記憶に無くてナナエはますます困惑する。

そもそも、例え会ったとして、誘惑とかする訳がない。

トゥーヤも一緒だったのだし、葱男みたいなのは好きじゃないし、そもそも彼氏居ない暦=年齢のナナエにはそんなテクニックは皆無だ。


「あの日も、今日のように大きく胸元の開いた服を着て可愛らしい笑顔を見せてくれたではないですか。あなたの気持ちに応えて差し上げようと思いまして」


そういって指先で鎖骨をなぞるようにしてドレスの胸元まで滑らせる。

サブイボ全開。

ゾゾゾーーという悪寒に急いで再び身を捩ってはみたものの、その反応ですら葱男は楽しんでいるようだった。

そして思い出した。

あの日、質屋の店主にナナエが右手の中指に嵌めている指輪を見せて欲しいと頼んできたのだ。

見たことがない石が嵌っているからよく見たいとお願いされて。

そして「ちょっとだけなら」とあの時指輪を外したのだ。

その時、薄暗い店の中で誰かがいた気がする。

もしかしたら…と思い再び冷や汗が背中を伝う。

アンナの”人族の男性の近くで外すのはご法度です”が頭の中でこだました。

この葱男は人族だ。

あの時、トゥーヤはワードッグだし、店主はワーキャットだからと気を抜いていたのだ。


葱男はナナエのドレスの胸元をピンッと指で弾くようにすると、耳元に口を寄せる。


「逃がすつもりはありませんから」


”いいですよね?”そう言って葱男は首をかしげた。

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