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確かに幾分明るく光が見えていたはずなのに、
進んでも進んでも鬱蒼とした森の中と言う事実は依然として変わらない。
お腹は減っているし、頭は痛いし。
ずっと歩き続けていた為か、かなりの疲労を感じてナナエは立ち尽くした。
「誰かいませんかぁ…」
定期的にそう呼びかけてはみるものの、その返事も聞こえてはこない。
ホトホト困って、そろそろ何か対策を練らなければと考え始めていた時だった。
ガサッ。
不意に間近で聞こえた音に驚き、ナナエは身を硬くして慎重に音のした方を振り返った。
「ブルァァァァァァァァァァァァ!!誰だぁおまえはぁぁぁ!!!」
ナナエの前に現れたソレは理解の範疇を超えていると言わざるを得ない。
何か、どこかで聴いたことあるような人の声を発するイキモノ。
ピンクの毛並みのウサギだ。
…たぶん、ウサギだ。
「ヤダ、ナニコレ。カワイイ」
ナナエはボソっと呟いた。
疲れが一気に吹き飛ぶとはこのことを言うのだろう。
両手を胸の前で握り締め、興奮を隠せないようにふるふると体を振るわせた。
ここで特記しておきたいのは、
ナナエが一目惚れしたイキモノは普通のウサギとはちょっと…大分かけ離れているということだ。
つぶらな目の上にアニメキャラもビックリな極太眉毛と思しき黒い毛。
眉間には思いっきり皺がよっていて凶悪犯もビックリな顔で、一生懸命ナナエを威嚇している。
そして体は…アヒルだ。
んで、足は…人の足である。肌の色は水色だ。
大きさは、郵便ポストぐらい。
…どこが可愛いのか理解に苦しみはするが、兎も角ナナエは可愛いと一目惚れをし、一歩近づいた。
「ブルァァァァァァァァ!近寄るんじゃねぇぇぇぇ!!!」
そのウサ…いや、アヒル?は懸命に威嚇をし続けている。
ナナエは…頬が上気している。興奮しているようだ。
「か…可愛すぎるウサアヒル!写真!写真!写真撮らないと!!」
ナナエはイソイソと携帯を構えると写真をとりまくる。
「イイネーイイネーその表情!カワイイヨー!!」
…どこのエセカメラマンだ。
「ブルァァァァァァ!近寄るな!」
なおもウサアヒルと命名されたイキモノは必死にナナエを威嚇していた。
が、ナナエはそんなウサアヒルの声も全く耳に入っていないようだ。
それでもしばらくウサアヒルはナナエに暴言と言う暴言を吐きまくってはいたが、
やがて諦めたようにぐったりとその場に座り込んだ。
胡坐で。
「…胡坐、カワイクナイ。女の子座りしてよ」
ナナエが幾分口を尖らせてそうリクエストすると、ウサアヒルはフンッと鼻を鳴らした。
「男がなんで女の座り方をしなきゃならないんだ」
ウサアヒルはそう言ってナナエから視線をそらした。
「!!!」
すると、急にナナエが驚いたように大げさにのけぞる。
「う、う、ウサアヒルが喋ってる!!!!」
「最初から喋ってるだろ!!!」
間髪入れずウサアヒルが突っ込むと「そうだったっけ?」っと首をかしげながら携帯をしまい、
ウサアヒルの真横にに正座した。
「んじゃ、こんにちは」
「仕切りなおすな!」
「いや、明るい人間関係の構築には挨拶は必要不可欠でしょ?
それは人間でもウサアヒルでも変わらないかと思って」
「明るい人間関係を築くつもりはないし、俺はウサアヒルじゃない」
「じゃあ、誰?」
「お前こそ誰だよ」
「”誰”って聞くなら自分から名乗るのがマナーでしょ」
「お前が”誰”って聞いてきたんだろうが!!!」
ぜいぜいと息を切らせながらウサアヒルは興奮気味に言葉を返すと、「そうだったっけ?」っとナナエはまた首をかしげる。
「んじゃ、私は桐谷奈々江です。ナナエって呼んでね」
「俺はカイトだ。ワーラビのカイトだ」
「ワラビーには見えないね」
「ワラビーじゃねぇよ!ワーラビだよ!!!」
「いちいち怒鳴らないでよ…耳が痛い」
「怒鳴ってる俺が悪いのか?!え?!怒鳴らせてるお前が悪いんだよな?!
いちいちつまらんボケをするな!」
いちいち突っ込む方も突っ込むほうだよなぁとか思いながらナナエはワザとらしく耳を塞いでみせる。
「とりあえずさ、私、ここ初めてなんだよね。死にたてホヤホヤだからさ~」
カイトの背中の羽毛をモフモフと撫でながらナナエは上機嫌でそう言う。
カイトの方はと言うとナナエの言っている意味をつかみかねるように首をかしげた。
「んで、とりあえずお腹もすいたし、疲れてるし、頭も痛いし。
女子としてはお風呂も入りたいし、こっちの世界のことも良く知りたいし。
でも、周りに誰も居なかったからすごく困ってたんだよね。カイトが居てくれてよかったよ」
どさくさに紛れてカイトの首に抱きつきナナエはモフモフの感触を頬で味わう。
「ん~…スリスリ。カイトの体、あったかくて柔らかくて気持ちいいねぇ…」
「…おい、ナナエ。聞きたいことがある」
迷惑そうにカイトは翼でナナエの顔を押しやった。
「ん?なぁに?」
「どこの世界に頭から血を流して腹が減っただの、疲れただの言う死体が居るんだ?」
「ここの世界?」
「アホかぁぁぁぁぁ!!アホの子なのかぁぁぁ!!!???」
「だってここ、死後の世界でしょ?」
「俺は死んでねぇよ!!!」
カイトがそう言うとナナエは眉間に皺を寄せ、考え込んだ。
それでは、ここはどこだと言うのだろう。
この森の中で気がつく直前までは勤務先の図書館の中に居た。
(もしかして…頭を打ったショックで夢遊病みたいにここまで意識が無いまま来たとか…?)
もしくは気を失っている間に誰かにここまで連れてこられたか。
ともかく、勤務中だった訳だから…
「む、無断で勤務場所離れたらサボリになっちゃうじゃん!!!!」
ナナエは少し青ざめながらがばっと立ち上がり、携帯を手にした。
焦りながら電話帳から勤務先の篠木図書館の電話番号を探す。
発信ボタンを押して数コール後、いつもは居ないはずの人物が電話に出た。
『…おまたせしました。篠木図書館です』
ナナエを採用してくれた人事部の主任、岡崎さんだ。
「あっ、ああ、あ、あ、あの!桐谷ですっ!」
『あ~桐谷さん。探してたのよ。突然居なくなってるし、床に血痕あるし正直ビビってたところ』
「すみませんっ、手を滑らせて頭に本が当たっちゃってザックリ切れたみたいで血が・・・」
『あ~・・ストップ。こっちまで痛いから詳しい説明なしで。怪我をしたのね。
気が動転したんでしょうけど、持ち場を離れるときは連絡お願いね。それとぉ…労災申請するから後で書類提出してね』
「労災、降りるんですか!」
『そりゃー降りるわよ。勤務中の事故だもの。ちょうど良かったわ。
明日から棚卸しで業者が入るから、明日からのスケジュールの確認と休暇連絡に寄った所だったのよ。
2週間閉鎖するから、その間ゆっくり休養しなさいな』
「あ、は~い♪ありがとうございます!」
『それじゃ、私はもう帰るから。何かあったら連絡、これ鉄則ね』
「はい、ご心配お掛けしてすみませんでした。お疲れさまでした!」
ホッと胸をなでおろし、携帯をポケットにしまったナナエは視線を感じて振り返った。
そこには奇妙なものを見る様な顔をしたカイトが居た。
「…まだ、いたの?」
「いるよ!いますよ!いましたよ!話の途中で急に立ち上がって独り言言い始めたのはお前だろうが!
まだ、いたの?とかどんな虐めだよ!!そんなに存在感無いのかよ?!」
「はいはい、どうどう」
興奮して立ち上がったカイトの背中をなだめる様にポンポンとたたく。
「俺は馬じゃねぇぇぇぇ!!!!」
「似たようなもんじゃん。二本足だけど」
ナナエがそう言うと、カイトはがっくりとうなだれた。
「…おちついた?」
「興奮させてるのはお前だけどナー」
冷たい視線をナナエに返しながらカイトは再び座り込んだ。
「まぁまぁ、細かいことは気にしないで。でさ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「ここどこ?暗くなる前に家に帰りたいんだけど」
「ここはハザマ森だな。家はどこだ」
お前に付き合うのも疲れたから、近くなら送ってやると不機嫌そうに言う。
「んと、東大和なんだけど。東京の東大和市。ハザマ森なんてヤマトにあったっけ?多摩湖の方?」
「そんな地名は初耳だな。ここはオラグーンキングダム近郊のハザマ森だ」
(…夢遊病で外国まで来たとか…ありえん…やっぱり誘拐でもされたのかな…)
とか青ざめながら考えていると、カイトが思い切ったように真剣な面持ちで口を開いた。
「さっきから気になってたんだけどな、ナナエ。お前は異界渡りの稀人か?」
「イカイワタリ?」
「お前の着ている服、恐ろしく上質な仕立ての服だよな?そんな技術はこの世界にはない。
そして先ほどの独り言もよくよく考えてみれば小さな道具を耳に当てていた。
遠くのものと会話でもする魔道器具なんじゃないか?」
「マドウキグ?」
カイトの言っていることがさっぱりわからず、ナナエはオウムのように言葉を返した。
「俺はこのハザマ森の番人だ。
2時間ほど前に突然結界の歪みを感じて急いで森に入り原因を探っていた。
そこで、お前を見つけた。結界の歪みが異界渡り故の反応ならば納得できる」
(…さっぱりだ…!なんなんだこの出来の悪いRPGのような展開は)
ポカーンっと口を開けてカイトを見ていると彼は心配げにナナエの顔を覗き込む。
「…やっぱりお前、アホの子なのか?かわいそうな子なのか?」
「だっ…誰が可哀想な子よ!!」
突っ込みだけは忘れなかった。
カイトと情報交換をあらかた終えると、ナナエは軽く頭を抱えた。
どう考えても良くある”異世界トリップ物”である、これは。
RPGゲームやらファンタジー小説やらマンガやらで散々使い古されたパターンだ。
でも、何故か電話は通じる。
なんで電波が通ってるのか全く理解不能ではあるが。
(助けて…なんて電話しても誰も本気にしてくれないだろうな…)
考えなきゃいけない事はいっぱいある。
ともかく、最優先事項は自分の世界に帰ること。
期限は休暇期間である2週間。
問題は、帰り方がわからないこと。
カイトの話によれば、”異界渡り”というのは賢者しか扱えないほどの高位魔法で
ナナエは恐らく生まれ持った魔力、魔道の資質が、
そう遠くない場所で行われた”異界渡り”の影響を受けてたまたま反応してしまい、
所謂、巻き込まれた形でこちらの世界に来たのではないかということ。
そして、賢者を頼りたくても、彼らは人を嫌い、身を潜め、人の前には姿を現さないモノだということ。
(八方塞りだ…)
ナナエは肩を落として額に手をやり、そしてぬるっとした触覚を再び認識した。
「あぁ~…」
「どうした?」
血に塗れた右の手のひらをカイトの方にむけてニヤリと笑ってみせる。
「私、怪我してたんだよねぇ。出来れば手当てしたいんだけど」
「……」
カイトのピンクの毛並みがスーッと青白くなったのはきっと気のせいじゃない。