<26> 無力な手
それは些細な変化だった。
その時、たまたまナナエはこっそりとトゥーヤの顔を盗み見ていた。
別に黙って側に控えれば理想の超絶美形執事で通るのになとか、「お嬢様、おみ足をお拭きします」って傅いてほしいとかそんなことを思っていたわけではない。
そう、決してそんなことはないのだ。
お姫様抱っこして欲しいとか、どんなときでもお茶を出して欲しいとか、「生涯私が仕えるのはお嬢様だけです」とか言って、手の甲にキスしてみて欲しいとか、お嬢様と執事の身分差の恋に身を焦がす様を見せて欲しいとかも思ってない。
絶対、思ってない。
たぶん、思ってない。
きっと、思ってないんじゃないかな。
まぁ、そんな感じでトゥーヤのことを妄想大爆発で見ていた…いや、無心に何も考えずに見ていたら、トゥーヤの頭の上の犬耳が一瞬ピクリと動いたのだ。
そのすぐ後、マリーの犬耳がピンっと立ったのを視界の端に捕らえる。
「見回ってきます」
マリーが頷いたように見えた後、すぐにトゥーヤがそう言って立ち上がった。
なんだか妙な違和感を感じて、「私も行く~」っと言ってみる。
すると案の定にべも無く断られ、トゥーヤはナナエに一礼すると足早に木々の間に消えていった。
”邪魔です”の一言にその言い方と言葉の内容とは裏腹に、かすかな暖かさを感じた。
トゥーヤが何のためにこの場を離れたのか、なんとなくナナエには想像がついた。
それならば、ナナエに出来ることは何も無い。
せめてトゥーヤが何を思って、何をしようとしてるのかをはっきりと口で聞きたかった。
それでも、トゥーヤがみんなに知らせたくないと思っているのなら黙っているしかない。
トゥーヤのやっていること、それは彼の言葉の端々から推察すれば内容を知るのは容易だ。
恐らく、セレンやマリーはきちんと知っているのだろう。
トゥーヤがナナエに教えてくれないということは、教えるべきでないという判断からなのか、知られたくないという気持ちなのかはわからない。
でも、どちらにせよ後者の気持ちが少なからずあるのではないかと思っている。
知られたくないと少しでも思っているのだとしたら、詮索するべきではない。
それはトゥーヤの本意ではないのだから。
トゥーヤがこの場を離れて幾分もしないうちにマリーがいきなり立ち上がった。
表情は厳しく、耳をピーンと立たせ、音を聞くことに集中している。
流石にセレン達も異変に気づいて立ち上がった。
セレンとカイトは剣を抜き辺りを警戒している。
それは、パキッっと小枝の折れる音がしたのと同時だった。
セレンやマリーの目の前に2人の男がパッと沸いたように現れた。
すぐさま、マリーが細身の短剣らしき物を逆手に持ち、その男たちの前に進み出る。
男たちもすばやく身構え、一人はそのままマリーに、もう一人はセレンに向かって紫色に光る刀身を突き出した。
マリーは危なげなく身をかわし、セレンはすんでのところで身を翻す。
その攻撃の隙を見てカイトがセレンに向かってきた男へと剣を横なぎに払う。
リフィンは真剣な表情で攻撃魔法の打ち込むチャンスを窺っている様だった。
ナナエは…何も出来なかった。
ただ、その場に突っ立って見守るしか出来なかった。
祈るように両手を握り締め、小さく震えた。
その時だった。
「うきゃあっ…!」
か細く…もないナナエの短い悲鳴にセレンが振り返る。
すると、そこにはいつの間にか現れていた3人目の男がナナエの髪を鷲づかみにし、引き倒しているところだった。
その男もやはり紫色の刀身をした剣を剥き身で持っている。
男は躊躇無く、倒れ込んだナナエの首元目掛けてその剣を振り上げた。
ナナエは声も上げられないまま、恐ろしさの余り堅く目を閉じる。
──ドサリ。
自分の上に何か重たいものがのしかかり、とすぐ真横にも何かが倒れ込んだ。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
瞼を開き、頭上に視線を向けると涼しい顔をしたトゥーヤの姿。
真横には、余り間近で見たくないナナエを引き倒した男の死に顔。
そして、ナナエに覆いかぶさるようにしていたセレンのしかめっ面だった。
そのセレンにリフィンはすぐさま駆け寄り、引き起こす。
トゥーヤは申し訳ないと本当に思っているのかどうか全くわからない無表情さで、すぐ様マリーが対峙している男、カイトが剣を打ち合っている男を切り伏せた。
「あ~…痛ぇぇぇ」
木の幹に左肩をもたれ掛けるようにして座り、セレンが零す。
そんなセレンの背後にはリフィン。
セレンの右肩に刺さっている短剣をおもむろに抜くと、手を当て、小さく口を動かし何かを唱えているようだった。
そして、懐から取り出した布でセレンの肩口をきつく縛った。
「とりあえずは止血だけは出来ましたから、後は落ち着いた場所できちんと手当てをしましょう」
そうリフィンがいうと、セレンは青い顔で口を引き結び、頷いた。
「ご…ごめん、なさい…」
搾り出すように、ナナエは言った。
突然のことに混乱し、ただ呆然と突っ立ち、リフィンの手当てが終わるまで何が起こったのか把握しきれて居なかった。
そして状況を把握したとたん、恐ろしさに体の震えが止まらない。
セレンが庇ってくれなかったら、確実にナナエは死んでいただろう。
その事実を認識すればするほど恐ろしくて、両手をぎゅっと握り締める。
何も出来ない自分のために、みんなが守るべきである王子を危険な目にあわせてしまった。
自分がもう少し回りに気を配っていれば、とナナエは悔しさで唇をかむ。
「傷は大したことありませんよ。毒の方は早く手当てせねばなりませんから急いでどこか落ち着ける場所まで退避しましょう。とはいっても、毒の方もそこまで心配しなくてもいいと思いますが」
まるで子供を落ち着かせるように、リフィンはナナエの握り締めた拳に手を重ね微笑む。
その様子をセレンはしかめっ面で見ながら不服そうに口を開いた。
「いくら慣らしてあるとはいえ、大したことは無いとかひどくないか?痛いことは痛いんだぞ~」
「大丈夫ですよ!王子は男の子ですし!」
マリーもニコニコ笑いながら、安心させるように後ろからナナエの肩に手を置いた。
「少し歩きますが、ファルカ家所有の邸宅があります。そこからは馬で移動しましょう。サティアの郊外まで行けば馬車を用意できますから、そこから国境まで移動します。それまでは休憩なしでお願いします」
有無を言わせないような強い口調でトゥーヤが言い、みなそれに従うように頷いた。
シリアスターンはまたすぐに終わる予定です。




