<25> 生業
森に入り小一時間たった頃、ようやく皆足を止めた。
走ったり歩いたりの繰り返しだったが、追っ手を撒けたと判断したようだった。
いつも無表情なトゥーヤもナナエを抱えたまま移動を続けていたためか息も乱れ、疲労を隠し切れない。
「少しだけ、休憩しましょうか」
リフィンがそう言うと、皆、押し黙ったまま頷く。
その沈黙が重い。
皆、考えないようにしているのだろうが、王城が落ちたであろうことはわかる。
離宮の惨状から考えても、王城の有様はもっと酷いことになっているだろう。
トゥーヤがゆっくりとナナエを下ろし、木の幹にもたれかけるように座らせると、ナナエは青い顔をして一息吐き「ありがとう」と微笑んだ。
あれだけの魔力を放出したのだから、体の倦怠感や疲労感は半端ないだろう。
それでも、一言も弱音らしい弱音を漏らさなかった。
トゥーヤも膝を折り、ナナエの側に控える。
あの時、ナナエの魔法を初めて間近で見たトゥーヤは、驚きの余り息を飲み込んだ。
あんな巨大な火球を見るのは初めてだった。
正門にこそ向わなかったが、あの魔法が無ければ今頃、皆息絶えていたかもしれない。
そう思うとナナエが居てよかったと心底思う。
「いやぁ~…撒けたみたいで良かったねぇ」
へらへらと笑いながらナナエは両手をグッと上げ、伸びをした。
こんな状況でも、あくまでも暢気で明るい態度を崩さず、笑ってみせるその態度にトゥーヤは感服する。
それが皆の心の支えになっている事がわかっているだろうか?甚だ疑問だ。
ファルカ家は王家に絶対の忠誠を誓っている。
リフィンの生家もカイトの生家も代々王家に仕える忠実な臣下だ。
だが、ナナエは違う。
この争いに巻き込まれただけだ。
それでも、そのことに不平も言わずここまで来ている。
ともすればピリピリなりがちなこの状況を、そして雰囲気を、瞬時に変えてみせている。
すごい娘だ、とトゥーヤは思った。
「ともかく、身を隠さねばなりませんね。情報が不足しすぎています。このまま王都に戻るのは危険でしょう」
「ああ、情報を集めてからどうするか検討した方がいいな」
「問題は、どこへ身を隠すかだ。私の顔は王都近郊なら誰でも知っている」
「視察とか言いながら頻繁に城下町などでムダに豪遊してましたしね」
偉そうに話すセレンに、リフィンがチクリと嫌味を言う。
この国で、特に王都で王子はかなりの有名人だ。
頻繁に国民の前に現れては一緒に飲んだり遊んだりとフランクで、偉そうではあったが国民に愛される存在だったのだ。
セレンが王都で身を隠せば、国民はセレンを守ってはくれるだろう。
しかし、人の口には戸が立てられない。
必ず情報が漏れる。
そして、セレンの顔を知っているのは、セレンを愛している者達ばかりではないのだ。
あのタイミングでの敵の襲撃、そしてそれと共にナナエに向けられた刺客。
妙に出来すぎている。
そもそも、ナナエが離宮に住まうようになったのはここ4,5日の間だという。
その短い間にナナエに対して放たれた刺客はマリーの報告どおりバドゥーシの刺客の者だったかもしれない。
しかし、先ほどナナエを襲った短剣には奇妙な点が2つあった。
まずは短剣自体。
この国では作られていない形だ。
手に入れようと思ったらそれこそ旅商人一人一人に当たらないといけないぐらい手に入りづらいもの。
それが2本。
そして、刀身に塗られていた紫色のもの。
特徴のある甘い香りを放つソレは、間違いなくイコスの実の果汁。
ここでは余り手に入れられないがドゥークでは盛んに取引されている毒だ。
そして、トゥーヤ自身が”掃除”した刺客たちは皆、ここでは少ない髪と目の色を持つものたちだった。
念のためと、最後に残し痛めつけた男は確かにドゥーク訛りの言葉を話していた。
となれば、刺客はドゥークのものと見て間違いないだろう。
どうやってナナエの存在を他国に居たはずの敵軍が知りえたか。
答えは一つしかない。
謀反だ。
臣下が秘密裏に敵国を招きいれ、謀反を起こしたのだ。
恐らく、最も可能性の高いのはバドゥーシだろう。
宰相自らが敵国を招きいれたと考えれば、ここまで鮮やかに城が落とされるのも頷ける。
他の家系はどうかは知らないが、少なくともファルカ家は王家の為に存在している。
王族を守り、奇麗事だけでは行えない政事を裏から支えるのがファルカ家初代よりの役目だ。
その為に幼いころからマリーもトゥーヤも人を殺すための鍛錬を欠かさずしてきた。
こんな所で王家を絶やすためなどでは決して無い。
忠誠を誓ったファルカ家としては、なんとしてでもセレンを王に就けなければならない。
茨の道になるであろうこの先を思って、トゥーヤは人知れず嘆息した。
──カサリ。
トゥーヤは一瞬で思考を停止させる。
極々わずかにではあるが、確かに落ち葉を踏む音が聞こえた。
マリーに視線を投げると、それに気付いたマリーがハッとして辺りを警戒するように耳をぴんっと立てる。
王子たちはまだ気がついていない。
それとなく目配せをすると、マリーはかすかに頷いた。
「見回ってきます」
多くは告げず立ち上がると、ナナエは暢気にも「あ、私もいく~」と言う。
それをわざと邪険に「邪魔です」と返すとナナエは不満そうに口を尖らせて見せた。
トゥーヤはその子どもじみた反応をとても微笑ましく思った。
主を守らなければならない。
ならばすぐにでも行動に移すべきだった。
ナナエに一礼をし、踵を返し、なるべく自然にその場を離れる。
とりなしをマリーに任せてトゥーヤは足早に歩き、ナナエ達の視界から外れたであろう場所まで来るとサッと走り出した。
近くまで来ると気配をいくつも感じる。
足音からすると、兵士ではない。
かといって、この森の中を音をさせないように歩く一般人などいるわけが無い。
その気配をたどりながら冷静に数を数える。
(1つ…2つ…3つ……)
気配は5つ。
(これならば楽勝だ)
トゥーヤはかすかに口角を上げながら、白い手袋をギュッと引っ張って嵌めなおす。
そして、一つ目の気配に向って音も無く飛び込んだ。




