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<23> その手を汚すのは。

パァン!


その音に驚いて、ナナエはハッと我に返った。

セレンが自分自身に気合でも入れるかのように俯いたまま己の頬を両手で思い切り叩いたのだ。

目は堅く綴じたまま、眉間に大きく皺をよせ、そうして…両手を頬から頭の上方に滑らせガシガシと頭を掻くようにして押さえ込む。

そしてかすかに顔を横に振った後…


「よし、逃げるぞ」


そう言って顔を上げ、ニヤリと笑った。

そのセレンの言葉で、先ほどまでの重い空気が一気に払拭される。

リフィンもカイトも、セレンに習うようにふてぶてしい笑みを浮かべた。

マリーも可愛らしく「よっし!頑張りますよ~!」と握った拳を小さく揺らしながらアピールする。

トゥーヤは…トゥーヤだけはいつものまま、無表情に突っ立っていた。


「ゴミは8つ。全て排除。正門前、西門前は敵軍一個小隊によって包囲。正門、西門の警備兵は壊滅。使用人も生存者の確認は出来なかった。姿の見当たらない使用人が数人いるが間者と判断」


トゥーヤは淡々と状況説明をする。

ナナエの部屋は離宮内の最奥に位置する場所にあった。

この部屋に離宮内から移動しようとするとトゥーヤとマリーの部屋の前を通るしかない。

それ程奥まった場所にあったため、離宮内で起きていたであろう惨事に気づくのが遅れたのだ。

もう少し早く異変に気づけていれば使用人たちを逃がしてやることも出来たのではないかと誰もが悔やんでいるようだった。


この離宮には出入り口は二つしかない。

後ろ側は湖である為に、逃げ道は正門・西門の2ヶ所のみとなっている。

そのどちらも一個小隊、おおよそ40~50人の兵士で包囲されていた。

どう考えても正攻法で脱げ出すのは困難のように思われた。


「そうだ、王子の転移の魔法で飛ばすことは出来ませんか?これだけ大人数だとちょっときついかもしれませんが…せめて王子とナナエだけでも」


思い出したようにカイトがセレンに尋ねる。

ナナエをハザマ森から王城に移動させた時もその魔法を使ったはずだ。

とても名案のように思えたのだが、王子は苦笑いをして首を横に振る。

そして右腕の袖を軽く捲り上げて、そこにハマっている腕輪を見せた。


「それは?」

「魔法封じの腕輪…。アンナじゃないと外せない魔法が…つか呪いが掛ってる」

「あぁ~…なるほど」

「今回の仕置きはそれですか」


リフィンもカイトも納得したように頷いた。

王太后と晩餐した翌日、その腕輪をセレンに嵌めてからアンナは魔道研究所に戻ったのだ。


「魔法が使えないセレン様とか…完全に足手まといですねっ!」


ニコニコ笑いながらマリーが恐ろしいことをサラリと言う。


「私は転移の魔法、使えませんからねぇ…王子は役立たずだし、どうしましょうか」


穏やかに笑いながらリフィンが暢気そうに呟き、セレンは拗ねて口を微妙に尖らせていた。

何か案は無いかとナナエも懸命に考える。

本当に今、一番足手まといになっているのはナナエだ。

だから皆、ナナエには何も話してくれないんだと思った。


なぜなら、話しても意味が無いから。


ただでさえ足手まといなのに、余計なことをされては困るからなのだろう。

そう考えると悔しかった。

みんなの役に立って、みんなの仲間になりたかった。

ここにいるのはたったの6人。

その6人の中でたった一人だけ何も知らされずにぬくぬくと守られているだけなんてイヤだった。

そこで、ふとナナエは思いついて口を開く。


「ねぇねぇ。正門から堂々と逃げようよ」


正気か?といった顔で皆、ナナエの顔を訝しげに見た。

”この為に私が存在する”といっても過言ではないアイデアが浮かんだのだ。

みんなを不安にさせないよう、元気付けるようナナエは胸を張ってドヤ顔をしてみせた。

だが、何故か皆微妙に不安顔になる。

失礼なことこの上ない。


「私の魔法、制御しようと思うからいけないのよ。制御しなくていいなら無敵じゃない?」


そう言ってナナエは人差し指を立ててチッチッチっといった感じで左右に振った。

トゥーヤとセレン以外は、何故か絶望的な顔をしているが知ったこっちゃ無い。

ナナエの”俺TUEEEE”伝説の幕開けだった。








王城の入口から正門を見やると見慣れない国旗を掲げ、見慣れない鎧を纏った兵士たちが取り囲むようにひしめき合っていた。

どう考えても普通には突破できない。

でも、こちらにはナナエの魔法がある。

当初、カイトは危険なのは敵だけじゃなくて味方もだから辞めてくれと泣きついていたのだが、リフィンが皆に堅固な防魔壁を張るということで落ち着いた。

どちらにしろ、こちらにはこれといった策が無いのだ。

多少の危険を冒しても助かる可能性の高い道を選ぶべきだった。




離宮の正面玄関から外を覗く。

ここから正門までの距離は大体150m。

爪の先ほどの火を念じたときは15メートルぐらい焼けたっけ…っと思い出す。

その15倍ぐらいの火を想像すれば丁度いいのかな?と思ったりもしたが、そもそも制御が全く出来ないのだから、そんな計算も無意味だろうと思い直す。

下手に中途半端な炎を打ち込んで、戦闘になり、誰かが怪我をしたりするのは本意ではない。

(なら、手加減はしない)

その炎を打ち込む先にも大勢の人がいるのは分かっている。

魔法を打ち込んだ結果、その魔法で多くの人が命を落とすかもしれないのもわかっている。

だけど。

そんな罪悪感に負けて、ここに居る大事な友とも呼べる存在達を失うわけにはいかなかった。

自分だけ手を汚さずに、なんて都合のいい話だ。


(トゥーヤだって”掃除”と言い張ってたけど…あの赤いシミは紛れも無く血だ)


ナナエを襲った何かを”排除”したのだと考えれば容易に何が起こったのかは想像できる。

昨日までだって、ちょこちょこマリーが小さな怪我をしたり、エプロンに細かい赤いシミを作ってきたり、気づけることは沢山あったはずだ。

ナナエが気づかなかったのではなく、怖くて気づこうとしなかっただけかもしれない。


(人を殺してしまったら…きっともう元の世界へ帰ろうとは思えなくなる気がする)


ナナエには簡単に帰ることが出来ない元の世界が神聖なもののように思えた。

自分の手が汚れてしまったら、元の世界には受け入れてもらえないんじゃないかとか、というより、受け入れられてはいけない存在になるのではないかと思っている。

手を汚すことなんて知らない、考えたことも無い、そういうナナエだけの世界。

あの世界はナナエにとっての平和の象徴で、手を汚してしまった者が帰るべきではない世界。

そう考えて、微妙に痛む胸をナナエは落ち着かせるように軽く抑えた。


それでも、ナナエは踏み出すしかない。

覚悟を決めた。



「それでは、ナナエ様」


マリーがゴクリとのどを鳴らしながらナナエに声をかける。

ナナエがみんなを振り返って力強く頷くとセレンも力強く頷き返した。

…当のマリーは引きつった顔をしてぎこちなく頷く。

リフィンは諦めた様な表情で頷き、カイトは未だに悲愴な面持ちで首を横に振っている。


「みんなの期待を裏切らないよ!がんばる!」


ナナエがそう言うと「おー!」とセレン。

「はぁ~い…」とマリー。

「お手柔らかに」とリフィン。

「やっぱやめとこう」とカイト。

「…」と相変わらずなトゥーヤ。


みんなの期待に応えるべく、ナナエは両手を前に突き出す。

すると、ポワァッとみんなの体の周りが薄い光に覆われた。

どうやらリフィンお得意の防魔壁という物のようだ。

これで大事な人たちを傷つける心配は無い。

あとは全力を尽くすだけ。

魔力の限り、思いっきり。


「でっかいのをぶっ放---っす!」


決意するように大きな声で言う。

これで、もう後戻りは出来ない。

するつもりも無い。

ナナエは目を閉じて、大きく深呼吸をする。

(…よし、できる)

ゆっくりと目を開け、大きく息を吸い込んだ。


「超弩級、炎の塊、飛んでけぇぇぇぇ!!!!」


めまいと共に目を閉じる。

すると、体がカッと瞬時に熱くなり、すぐ近くに巨大な熱量の何かが発生したのがわかる。

そしてその熱が、体全ての熱を奪うような大きな風を巻き起こしながら、ナナエから急速に遠ざかっていった。

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