<22> 異変
ナナエの朝は遅い。
遅すぎるぐらい遅い。
空が白もうが侍女たちが外で仕事をしながらお喋りを始め様が、知ったこっちゃ無い。
眠りたいだけ眠る。
(偉い人は言いました。果報は寝て待て、と!)
だから今日も惰眠を貪る。
ナナエにはそれが許されているのだ。
だってニートだもん!
…なんて、甘かった。
(規則正しい生活を送るニートなんてニートって言わないじゃない!)
マリーとトゥーヤの監視の元、朝食を口に運びながらジッとトゥーヤを睨む。
ついでに”もっと寝させろ”と熱い視線を送ってみる。
しかし、トゥーヤはピクリとも表情を動かすことなく無表情に見返してくるばかりだ。
専属執事なら主人の気持ちを汲んでみろ、察してみろと言いたい。
「ニンジン、食べてください」
「…そこは察しなくていいのに!」
皿の脇にそれとなくよけたニンジンを目ざとく見つけ、トゥーヤが指で差す。
いつもならマリーと楽しくお喋りしながら朝食を食べてるし、ニンジンはマリーが食べてくれるのに…っと救いを求めるようにマリーに視線を投げる。
マリーはというとトゥーヤの後方に立ち、苦笑いを浮かべながらバレないように「すみません」と小さく手を合わせて謝っていた。
侍女と主人が一緒に食事を取ってはいけないとトゥーヤに怒られたからだ。
王家のバックアップと専属執事つきのニート最強。
とか、甘いこと考えていたバカは一体誰だ。全くはた迷惑な!
ナナエは自分の事は棚に上げつつ、渋々ニンジンにフォークを突き立てる。
(くそぅ…どう考えても執事の人選ミスだ。王子に騙された…!)
そう恨めしく思いながら、なるべく噛まない様にしてニンジンをのどの奥に押し込んだ。
その日の夜は数日振りにリフィンとも顔を合わせ、それにセレン、カイトとの4人で食事を取ることになった。
先ほどからテーブルの周りをマリーとトゥーヤが忙しなく動き回り、食器を並べたりしている。
余りにも忙しそうなので手伝おうかとウロウロしてみたらトゥーヤに”邪魔です”と追い払われた。
リフィンとカイト、セレンは難しそうな顔で政治の話をしていて、とてもじゃないけれど話の輪に入れる感じではない。
「あれ…?」
ふと、窓の外を何かが横切ったのが見えてナナエは目を凝らした。
「…猫、かな?」
確かめようとテラスへの窓に近づいた時だ。
突然強く腕を引かれ、と同時に窓の割れる音、そして”カキィン”っという金属音が立て続けに2回鳴った。
「な…に?」
床に目をやると割れたガラスの破片と、紫色に光る刀身のナイフが2本落ちている。
そしてナナエ自身はフォークを1本構えて立つトゥーヤの左腕に抱きしめられる形になっていた。
突然のことに事態が呑み込めないで居ると、マリーがパンっと手を打って「じゃあ、晩餐にしましょうかぁ~」と暢気に言った。
「掃除…しないと」
無表情のままボソリとトゥーヤは言い、ナナエから手を離すと短剣を拾う。
ナナエにはこの状況と2人の対応が理解できなかった。
リフィンに促されるまま壁際のイスに腰掛けると、トゥーヤは「掃除の続き、します」と箒を取りに部屋を出て行った。
マリーは窓際に立ち、いつもの様にニコニコしている。
リフィンもカイトもセレンも何事も無かったかのように談笑しながら食事を始めていた。
ナナエにだってこの異様な空気がわからないはずは無かった。
でも、誰もナナエには教えてくれる気配が無いようだ。
表面上はそれは和やかに会話が繰り広げられ、食事を始める。
誰も飛び込んできたナイフについて語ろうとしない。
そんな事実を認識して、ナナエはゾクリとした感じの悪寒の様な奇妙な予感と小さな疎外感にブルリと身を振るわせる。
その時だった。
ドォォォォン!ドォォォォン!
遠くの方で花火のようなそんな大きな音が立て続けに聞こえ、地面がわずかに揺れた。
流石に今度はリフィンもセレンもカイトも顔色を変えて立ち上がる。
それと同時にトゥーヤが部屋に飛び込んできた。
「おそらくドゥークの襲撃です。ここではなく王城に向ってます」
トゥーヤはセレンに向けて、無表情のまま淡々とそう言った。
彼の服には所々真っ赤なシミが飛んでいる。
それに気づきナナエが慌てて駆け寄ると、トゥーヤは短く「怪我はしていません」と手で制した。
「すぐに城へ戻る。リフィンはトゥーヤ、マリーと伴にナナエを警護しろ。カイトは私に続け」
今までに見たこともないような厳しい顔でセレンは矢継ぎ早に指示をする。
リフィンもいつもの穏やかな笑みを消し、厳しい表情だ。
「待ってください、王子。おかしいです。いくらなんでもここまで迅速に、降って湧いたように現れるのはおかし過ぎます」
リフィンはあくまでも冷静にそういい、セレンに待ったをかける。
その言葉にカイトもトゥーヤも同意したように頷く。
「王子、今王城に戻るのは極めて危険だと判断せざるを得ません。…もちろん、ここも安全ではないでしょう。ひとまず何処かへ身を隠しましょう」
カイトがそう提案するが、それでも諦めきれないようにセレンは扉に手をかけた。
しかし、それを遮るようにセレンの手首をトゥーヤが摑んだ。
「どのみち、王城はもう落ちる」
ボソリといつものように無表情のままトゥーヤが言った。
一瞬セレンは激昂したように表情を険しくして拳を握ったが、すぐさま力を抜くと力なく手を下ろした。
「王族の血を絶やすわけにはいかない、そういう事だろう?」
吐き捨てるように苦々しい表情を浮かべながらセレンが言うと、トゥーヤは小さく頷いた。
感情のわからないトゥーヤと状況を把握し切れていないナナエ以外、みな一様に悲痛な面持ちでいる。
それをナナエはまるでガラスの向こう側を見ているような不思議な気持ちで見ていた。
ついこの間までは、普通に働いて、普通に生活して、普通に日々を過ごしていた。
ついさっきまでは、普通に眠って、普通に笑って、ちょっと変わってはいたけど普通に日々を過ごしていた。
目の前の出来事が、テレビの中の出来事のようにとても虚構めいて見えたのだった。




