<19>
「兄のトゥーゼリア・ファルカです」
「…なんか違くない?」
気合が入ったような表情のマリーの紹介に、ナナエは冷静にツッコミを入れた。
イメージでは表面上にこやかなイメージの超絶美形の万能執事を頼んだ筈だ。
「あくまで執事ですから」とか言っちゃう感じの!
ところが。
目の前の青年は、確かに美形。それは間違いようも無い。
だけど、さっきから一言も喋らないし、ニコリともしない。
おまけに、なんだか部屋着みたいのを着ている。
そして、なんかボーっとしている。
自己紹介ですら妹のマリーがしているぐらいだ。
「お気に、召しませんか…?」
「よし、気に入らんか!じゃあ美人の侍女をつけてやろう。それでいいな?」
嬉々としてセレンが提案する。
セレンとしては男を所望されて面白くないので、ナナエの言う条件内でなるべく無愛想で無口な、おまけに絶対にセレンの命に忠実な男を選んだのだが、ナナエは知らない。
「その侍女の方がこいつよりずっとにこやかで話し上手で気が利くぞ」と畳み掛けるように言う。
それをナナエはジロリと横目で睨んで黙らせる。
マリーはセレンの提案に少ししょんぼりしているようだった。
「侍女はマリーだけで結構です。執事もトゥーゼリアさんでいいです」
そう言うとセレンは何故か面白くなさそうに口を尖らせていた。
反対にマリーはというと驚くぐらい喜んでいた。
「トゥーヤ兄さん、やったわ!やっと就職先が決まったわ!」
マリーが感慨深げにトゥーゼリアに話しかけても、当の本人は無表情で小さく頷いただけ。
ナナエは幾分不安に思いながらも、セレンの手前引きつった笑いを浮かべた。
「ナナエ様、兄さんは本当に何でも出来るんです。凄いんです。でも愛想が無いせいで就職先が決まらなくて…18のときから7年間家に引き篭もってた無職なんですぅぅぅ。就職義務のあるこの国で、何度肩身の狭い思いをしたか!」
マリーが感慨深げに目に涙をためた。
ほんの一瞬だけ、早まったかな…?と考えないわけでもなかったが、マリーがとても喜んでいるので良とした。
「トゥーゼリアさん、よろしくお願いします」
ナナエがそう言って頭を下げると、トゥーゼリアはほんの一瞬だけ目を見開いたようだった。
疑問に思って顔を見返しても、すぐにまたもとの無表情に戻る。
そして微妙に俯いたまま「トゥーヤで」とボソリと短く言った。
「え?」
「ナナエ様、トゥーヤは兄さんの愛称なんです。トゥーヤと呼んでくださいって言ってます」
「あ…あ、そうなの…」
こんなんでコミュニケーションが取れるんだろうかとか一抹の不安に駆られながら、乙女妄想大爆発の”執事にお姫さま抱っこされるシチュ”を密かに諦めるナナエだった。
今から4時間ほど前、突然城から招集がかかった。
そのままの格好で急いで登城せよとの命令で、寝巻きのままで良いのかと不安に駆られたが、問答無用で連行された。
通された豪華な一室には妹のマリー。
そして奥の豪華なイスに腰を掛けているのは、おそらく王子のセレン様だろう。
ぎこちない仕草で膝を折り、臣下の礼を取る。
何故こんなところに呼ばれたのかが皆目見当がつかない。
いや、自分が王子に呼ばれるとしたら可能性のあるのはアレしかないと思った。
ファルカ家は王家の中でただ1人に絶対の忠誠を誓っている。
今の王が国王になるまでは王太后様ただ一人仕えていた。
そして今の国王が即位と同時に、王太后より主君をセレン王子とせよとの命が下ったのだ。
つまり、王太后より、現国王よりも王子に重きを置けとの命なのである。
現在の国王の手腕はお世辞に言っても良い物とは言えず、それを陰で支え、動いているのがこの王子だと言われていた。
王太后の命は図らずともそれを実証する形になっていた。
しかし、特に目だった争いごとも何も無い今現在、必要とされる意味がわからない。
個人的な何かがあるのだろうかと、必死に考えをめぐらす。
「よく来た。ファルカ家、次期当主トゥーゼリア」
王子は酷く不機嫌な様子で自分の名を呼んだ。
王子と直接会ったのは初めてで、何故王子がここまで不機嫌なのか予想が出来ない。
頭を少し下げたまま妹の表情を盗み見ると、王子とは打って変わってにこやかである。
「おまえは…おそらく、何でも出来るのであろうな。ファルカ家次期当主として当然か」
尋ねるような、それでいて自己完結で納得しているような調子で話す王子をトゥーヤはどうして良いかわからずに見返した。
「お前に任を課す。界渡りの稀人であるナナエという娘を執事として警護せよ。お前のただ一人の主君とせよ」
青天の霹靂だった。
ファルカ家は王家に仕えるのが常であり、王太后から命が下った後は王子に仕えるものだとばかり思っていたからだ。
しかも次期当主である自分に、王家以外の娘の、しかも警護という任。
正直、守るよりも殺す方が得意なのだが…と密かに嘆息する。
「それは、ファルカ家への命でしょうか?」
”主君とせよ”という言葉に驚いて、流石にマリーも黙っては居られなかった様だ。
次期当主と言うことは、いずれファルカ家の当主となる。
次期当主の主君となること=当主のひいてはファルカ家の主君となる可能性があるからだ。
真剣なマリーの表情を見て、セレンは面白くなさそうに頬杖をついた。
「トゥーゼリアのみ、だ。期間はナナエが異世界に帰るまで。もしくは、本人から執事の解任要求があるまでだ」
そして、「帰らせたくはないが、バックアップをすると約束をしてしまった」っと至極面白くなさそうに呟く。
それでも、トゥーヤには納得がいかなかった。
たかが娘一人にファルカ家の護衛を2人もつける必要を感じなかったからだ。
マリー1人で十分な筈だ。
しかも自分は次期当主。
トゥーヤには自分が警護という任務につくのであればもっと重要人物であるべきだとのプライドがあった。
ファルカ家一と言われた自分の能力を娘一人に回すという言葉が信じ難かった。
トゥーヤが押し黙り俯いたまま頷きもせずにいると、ギッとイスのきしむ音がした。
「私の、命が聞けぬか?」
恐ろしく冷たい笑顔と、酷く醒めた声で王子が淡々と言う。
トゥーヤは周りの空気の温度が少し下がったようなそんな錯覚を覚えた。
それでも押し黙ったままで居ると、その雰囲気に慌てたマリーがトゥーヤの元へ小走りで駆け寄った。
「兄さま!ナナエ様は次期王妃様になられるかもしれないんですから!」
そうマリーが言った瞬間、冷たかった部屋の空気があっという間に氷解したような感じだった。
冷たい笑みを浮かべていたはずだった王子が少し顔を赤らめ、眉を吊り上げて立ち上がる。
「マリー!なんという戯言を!誰があんな粗雑で貧相な体の娘を王妃になどするものか!」
そういうことか。っとトゥーヤは口元をわずかに緩めた。
確かに次期王妃ともなれば身辺の警護は必要になってくるだろう。
それをファルカ家に内密に命じるということは、名誉であってこそすれ恥ではないのだ。
いずれは国母となる身の重さを考えれば、だ。
「…それ、ナナエ様に言いつけますよ?」
マリーがジト目で見ると、王子は”うぐっ”っとなんともわかりやすく口を閉じる。
先ほどまで威厳のある王の後継者としての圧迫感が嘘のようだった。
---そういうことなら。
再び任務を受けるかとの問を受け、今度は深く確かに頷くと、王子も満足げに頷く。
そして何かを思い出したように”ああ、そうだ”とトゥーヤの目の前まで歩み寄った。
「一つ大事な注文がある」
王子が至極真面目な顔でトゥーヤの耳元に顔を寄せる。
それほど大事な任務なら心して聞かねばならないと、トゥーヤは背筋を殊更ピンと伸ばし言葉を待った。
マリーも側に控え、臣下の礼を取りながら真面目な面持ちになる。
「発情、するなよ?」
--誰がするか。
それが、トゥーヤが本日初めて発した言葉である。
ナナエと呼ばれた娘の前にトゥーヤが通された。
服を着替えるのを王子に止められたので、渋々寝巻きのまま、髪すら整えずに対面する羽目となった。
執事として仕えるのならこれで良いのかとトゥーヤは疑問に思ったが、その方がナナエが拒否するかもしれないからと訳のわからない理由で禁止されたのである。
マリーがナナエにトゥーヤの名を紹介すると、ナナエは怪訝そうな表情になった。
「…なんか違くない?」
その言葉はご尤もである。
専属執事と紹介された者が、髪も整えず、寝巻きのままで現れたら誰だってそういう反応になるだろう。
そこへ畳み掛けるように王子が侍女との差替えを提案する。
トゥーヤをナナエに付けたいのか付けたくないのか甚だ疑問である。
王子という立場からすれば、ナナエに腕の立つ警護の者を何人でも付けたかったが、男としては好きな女に男を近づけたくないというのがセレンの本音なのだが、トゥーヤは全く理解できていなかった。
そんな王子をナナエは軽くいなす。
そうこうしている間にマリーがトゥーヤを無職だの引き篭もりだの散々な言い方をしている。
次期当主として当たるレベルの任務がこなかっただけということがまだわかっていないようだ。
自分に見合った任務がないから家に居ただけで、決して引き篭もりでは無い。
そこをマリーは勘違いしていると、密かに憤慨する。
そもそもお粗末な任務が多すぎて、トゥーヤには役不足なのだ。
お粗末な仕事しかよこさない王家の責任なのだ。
決して自分は悪くない。とトゥーヤは非難するようにマリーを見た。
そこで不意に名前を呼ばれた。
「トゥーゼリアさん、よろしくお願いします」
頭を下げ、陰りの無い瞳で顔を覗き込んできたナナエにトゥーヤは酷く驚いた。
自分にそんな瞳を向けてくる娘は、今までマリーしか居なかったからだ。
しかも、これから自分の従者になるであろう者へ頭を下げるなんてことは論外だった。
トゥーヤは王城の中に居て、これほどまでに自由な瞳に会ったことが無かった。
そしてその自由な瞳がとても危ういものに感じた。
”正しいこと”だけでいられないこの王城の中で、確かに守っていかねばならない者のように感じたのだ。
「トゥーヤで」
その真っ直ぐすぎる瞳を見ていられずに、視線をそらし、気がつけばそう口をついて出ていた。
親しいものにしか呼ばせない、彼の愛称だった。
主要人物がやっと揃った感じです。




