<17>
「うわぁ~!すごい!すごい!」
子どものようにはしゃぐナナエを見て、カイトは口元を緩めた。
昨晩、マリーから「ナナエ様が退屈すぎてゴロゴロばっかりしてて、元気が無い」と連絡をもらい、それならばと勤務明けに城下町に連れ出したのだ。
ちょうど今、町にはカルデラ一座と言うこの辺りでは有名な曲芸一座が逗留している。
広場の一角にある、その一座の大きな仮設テントの入口をくぐると、既に舞台は開演しているようだった。
目隠しでナイフ投げをやってみたり、ちょっとした手品や、コミカルなピエロの曲芸などなど。
カイトからすれば子どもの頃から見慣れたものだったのだが、ナナエは初めて見たようで、端から見ても興奮しているのがわかる。
何かあるたびに”すごい!”を連発して、舞台に向かい何度も懸命に拍手を送っていた。
「楽しいか?」
演目の間に声をかけると、ナナエは興奮冷めやらない様子でキラキラした目でカイトを見、勢いよく頷いた。
「私、サーカス見るの初めてなんだよね!小さい頃は施設に居たからさー!」
少し上気した頬がナナエの興奮度を表しているようで、カイトはクスリと笑った。
そして、ふと気づきナナエに聞き返す。
「施設って・・・お前、孤児なのか?」
「あ、うん。でも、12のときに引き取られたから、養父母はいるよ。両方とも18の時に亡くなっちゃったけど」
どう考えてみても余り明るくない過去だと言うのに、ナナエはあっけらかんとそう言う。
孤児でありながらここまできちんと受け答えが出来、読み書きも、勘定も当然のようにできると言うことは、よほどその養父母がしっかりした教育をしたのだろう。
それでも、その養父母も亡くなったと言うことは、ナナエが相当苦労してここまで生きていたと容易に想像できる。
貴族の子女のように余り着飾ったりもせず、花や食べ物でさえもムダを嫌うのには彼女の生き方そのものが表れているような気がした。
普通の娘よりもずっとしっかりしていて、主張すべきところはしっかり主張して、そうでない所は適度に引き際をわきまえている。
そして、変に気取ってみたり、色気を振りまいてみたり、と言うことの無い飾らない仕草も、カイトからすればとても好ましいものに思えた。
「あっ、ほら!綱渡り始まるよ!」
次の演目が始まると同時に再びナナエは舞台へと顔を戻す。
奇抜な衣裳を着けた筋肉質の男がゆっくりと綱の上を歩くさまを見ながら、ナナエは息をするのも忘れているのではないかといった表情で、拳を握り、真剣に見上げている。
その横顔を見てまた少し口元を緩め、カイトは綱渡りの男へ視線を戻した。
サーカスが終わってテントを出ると、太陽はもう頭の真上まで来ていた。
寝てばっかりいてもお腹が減るものだということに微妙に感動しつつ、辺りの屋台を見回す。
そこかしこから美味しそうな匂いが漂ってきて、お腹が訴えるように”ぐぅるるるるる~”と鳴った。
「そろそろ昼だな。何か食うか?」
ナナエの腹の虫の音を気にもしていない様子で、カイトは視線を前に向けたまま尋ねる。
その質問に”食べる”と答えるのは簡単だが、現実問題、ナナエは一文無しだった。
マリーやアンナと出かけた時は王子からの軍資金を持っていたのだが、今日は伴も連れずカイトと二人である。
つまり、”食べる=カイトの奢り”になってしまうわけだった。
そう考えると迂闊に食べるとは答えづらくて、ナナエは押し黙って俯く。
お腹が鳴るのを聞かれてしまった以上、”食べる”とも”食べない”とも言いづらい。
”食べる”と言えば図々しいし、”食べない”と言えば、いかにも遠慮してますみたいな感じで、相手にも気を使わせてしまう。
「…いい事考えた」
「ん?」
とっさのひらめきに、ポンッと手を打って顔を上げるとカイトは不思議そうな顔をした。
この方法しかないとナナエは思った。
カイトに奢ってもらったりしなくても良くて、お腹を満たせる方法。
そんなグッドアイデアを思いついたのである。
「ちょっとだけ、待っててもらえる?」
ナナエがそう言うと、カイトは幾分眉をひそめながら小さく頷いた。
念のためカイトには離れてもらうことにする。
そして、ナナエはくるりときびすを返すと、さっきまで後方に見えていた、ただっ広い河原に向って走った。
ナナエの腹の虫の音を聞いて、昼の時間だなと考えをめぐらせた。
ついさっきまで寝ていたのだから、恐らく朝食は食べていないのだろう。
幸い周りには食べ物の屋台がひしめき合っていたし、ちょっと歩けば食事処もある。
ナナエの意見を聞いて決めようかと声を掛ければ、何故かナナエは俯いて押し黙ってしまった。
何故いきなり黙り込むのかが理解できずに、カイトはナナエの顔を覗き込む。
すると、ふと何かを思いついたように顔をバッと上げ、手をポンッと打った。
「…いい事考えた」
訳がわからなくて聞き返すと、少しここで待つように言われる。
訝しげに小さく頷くと、ナナエは踵を返して後方に走り出した。
「…なんなんだ一体…」
ナナエの後姿が遠ざかるのを不思議な面持ちで見つめる。
彼女はどうやら河原に向って走っているようだった。
「あ、こけた」
何かにつんのめる様にして倒れ伏し、すぐさまガバっと起き上がると、再び走り出す。
何をそんなに急いでいるのかが理解できない。
兎も角、視界の範囲内に居るのなら…と見守っている事にする。
目的の場所まで着いたのか、ナナエは立ち止まるとなにやら考え込むようなポーズをし、手をなにか動かしていた。
どうやら、指輪をはずしているらしいと何となく理解する。
(…イヤな予感がする)
カイトは待つように言われたのもすっかり忘れて、ナナエの元へ駆け出していた。
「よしっ。たくさん出しても大丈夫。賞味期限も長いはず。これならイケル!」
ナナエは自信満々に両手を前に突き出した。
カイトに奢ってと言うのが図々しい感じでイヤだった。
でも、お腹は結構限界だった。
じゃあ、出しちゃえば良いじゃない!
って考えに至った。
そう、ナナエには魔術がある。
魔術で食べ物を出せるのか一抹の不安もあったが、なせばなる!なさねばならぬ!
そんな精神で行こうと決めた。
そして考えたのだ。
いつものように大量に出ちゃっても捨てなくてすむ物。
ちゃんと自分で食べきれるもの。
賞味期限も長くて長持ちするものと言ったら、アレしか考え付かなかった。
「偉い人は言いました。パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!お金無ければが魔法で出せば良いじゃない!…ってなわけで!乾パン、でろぉ!」
くらっとした眩暈とともに、何か重たいものが大量に落ちたようなドカドカドカっっと音が聞こえた。
その音に妙な胸騒ぎを覚えて冷や汗が出る。
それでもナナエは(成功していますように…)と念じながらゆっくりと目を開けた。
「看板かよ!オヤジギャグかよ!!」
そして、ナナエは盛大に一人突っ込みを入れる。
目の前に山のように積み重なっているのは乾パンではなく、看板だった。
しかもこの世界ではありえないような、【この先工事中】やら【90分3000円ポッキリ】やら…
明らかにナナエが居た世界の物である。
「何やってるんだ、お前はっ!」
スパコーンっと頭を叩かれて涙目で振り返ると、そこには息を切らせたカイトが居た。
呆れた顔で腕組みをすると、ナナエに指輪をするように促す。
「えっと…その…食べ物をね、魔法で出してみようかと思いまして…」
頭を押さえながらそう言うと、カイトは大仰にため息をついた。
頭を両手で押さえ、小動物のように上目遣いで見てくるナナエは、酷く子どもじみてて可愛らしかった。
何故食べ物を出そうとしたのかなんて、理由は聞かずとも何となくわかる。
先ほどの一座のテントに入るときの観覧料も、カイトが払おうとした時にかなり渋ったのだ。
”お金が要るなら別に見なくていい”とか言って。
あの時も自分が見たいから付き合えと半ば強引に払ったのだ。
だからさっきも「何か食うか?」ではなく、「腹が減ったから付き合え」と言うべきだったとカイトは自分の浅はかさを呪った。
「何で勝手に自分の判断で危険なことをするんだ!?」
「ごめん、なさい…」
シュンとして俯く様も全く持って反則的に可愛らしくて、思わずそれだけで許してしまいそうになる。
妙なところで意固地になるほど遠慮するのはいただけないが、何でもかんでも男が出すものとふんぞり返り、お礼すらも言わない女よりは何百倍も好感が持てた。
それでも、ナナエが魔法を使うのを禁じることを忘れてはならないと思った。
もう何度も魔法が暴走しているのを見ている。
今回はたまたまそこまで酷いものではなかったが、いつ誰かを巻き込んで大怪我をさせてしまったり、自分自身を傷つける結果になるともわからないのだ。
「魔術は使用禁止だと言われているだろ!何かあったらどうするつもりだったんだ!」
軽く睨むようにして注意をすると、ナナエはますます縮こまってしまう。
苛めているつもりは毛頭ないのだが、そんな態度をとられると妙に罪悪感がわく。
ああ、ちょっと厳しく言い過ぎたかな?もっと優しい言い方で…とか思っていた矢先だった。
「だって、お腹空いたんだもん!!!」
叫ぶようにして、ナナエが逆ギレ。
涙目でキッっと睨まれて、カイトは肩をすくめて苦笑するしかなかった。