<14>
これは夢なのだろうか。
ナナエは余りの驚きに目を見張った。
見たこともないような豪華なドレスを身にまとった、王太后と呼ばれる威厳のある女性が膝を折り、ナナエに深く頭を下げているのだ。
その横では昨日ナナエに不埒な真似をしようとした、あの王子が同じように頭を下げている。
「ちょ…ちょっと待ってください!そんな、困ります」
ナナエは慌てて女性に頭を上げて欲しいとお願いをする。
しかしその女性は静かに首を横に振った。
「本来なら親である国王夫妻が詫びに来るべきなのでしょうが…いくら人払いをしてあるとはいえ国王にそう簡単に頭を下げさせることは出来ないのです。あなたには大変失礼だと思っております。ですが、どうぞこの祖母の顔を立てて不肖の孫を許してやって欲しいと思っているのです。その為ならばこの頭の一つや二つ下げることなど簡単なことです」
そうして再びナナエに「本当にごめんなさい。孫が馬鹿なことをしました」と頭を下げる。
それに習うようにセレンも「本当に申し訳なかった。すまない、許して欲しい」と再び頭を下げる。
そもそも、ナナエが大騒ぎしてしまっただけで、そこまで大したこともされていない。
キスされてちょっと胸を触られただけだ。
いや、それでも十分嫌ではあるのだけれども、親族と一緒に謝罪されるほど大したことなのかといったら疑問が残る。
この状況をなんとか打開したくても、人払いをされてしまったがゆえに頼みのカイトもリフィンもアンナもマリーも誰も居ない。誰も止めてくれない。
「えっと、あの…王太后様。ほんと、お顔をお上げになってください。もう、気にしてないので」
おろおろしながらナナエがそう言うと、「本当にごめんなさいね」と浮かない顔をしながらゆっくりと立ち上がった。
「そもそも王太后様のせいではないではないですか。私なんかに頭を下げる必要ありませんっ」
ナナエが両手をぐっと握って力説すると、王太后はふっと表情を和らげ微笑んだ。
その表情に、ナナエは優しかった亡き養母を思い出して少しだけ胸が苦しくなった。
「ナ…ナナエっ」
ふと王太后の横に目をやると幾分青ざめた真剣な表情のセレンが立っていた。
昨日は興奮していてほとんど顔を見ていなかったのだが、こうして改めて見ると、リフィンにも負けないかなりの整った顔立ちだと分かる。
サラサラの黒髪にエメラルドのような深い緑色の瞳。
真剣な表情も相まって、ひどくストイックな雰囲気の美青年だということに気づき、思わず驚いてまじまじと顔に見入ってしまった。
(…中身はかなり、どうしようもない程の俗物だったけどね)
昨夜、リフィンとカイトに小突かれながら説教されるのを見てしまった。
あの情けない青年と、目の前のストイックな美青年のイメージが一致しなくて、ナナエは可笑しくなって笑ってしまった。
◆
心臓を鷲づかみにされたように言葉が出なかった。
目の前にいる彼女の反応に、セレンは酷く狼狽えていた。
王太后の表情が和らいだのを機に、畳み掛けるように許しを請おうと彼女の名前を呼んだだけである。
彼女は自分を見、一瞬驚いたように目を見開き、すぐに真剣な表情をして自分を睨んだと思いきや
「…プッ」
と笑い出したのだ。
普通の女性の反応と余りにも違いすぎる。
真正面からセレンの顔を見た年頃の女性と言うものは、大抵惚けた様にトロンとした表情になるか、顔を赤らめて俯くか、そのどちらかだった。
睨まれた挙句、笑い出すという反応なんて想定外だった。
そしてその余りにも無防備な笑顔にドキリとさせられた。
「な、な、な、な、何なんだ、そなたは!私の顔がそんなに可笑しいか!」
許しを請うつもりが、動揺してついつい偉そうな物言いで突っかかる。
すぐ横では王太后がギロリとセレンを睨み、わき腹に肘鉄を食らわせた。
「ごめん、ごめん…っ、あ、違う。…申し訳ありませんでした」
そう言ってナナエは笑いながら、慌ててお辞儀をした。
そこでセレンは初めて気がついた。
初めて会った時は自身が子供の姿をしていたために気がつかなかったが、ナナエはセレンの周りに居る女性に比べて、かなり小柄で華奢だった。
間近で見る彼女は少し大きめな黒い瞳に、黒く美しい髪、美人と言う程ではないが、人目をひきつける何かがあった。
なによりも、その小柄さはどうしようもない程の保護欲を掻き立てる。
そして微かに漂ってくる彼女の魔力の香りは花の香りにも似ていて、酷く甘美だった。
少しの間惚けて見ていたら、ナナエはセレンの顔を見て不思議そうに首をかしげる。
その仕草も身悶えするほど愛らしく感じた。
コホン。
と、隣から注意を促すようにされた咳払いにセレンは我に返る。
(こ…こっちが惚けてどうする!)
「いや、あの…すまなかった。昨日は…申し訳ないことをした」
気を取り直してやや早口に謝罪の言葉を述べると、ナナエはニッコリと笑った。
「いえ、悪かったと思っていただけたなら、それで十分です。私のほうこそ興奮して…騒ぎすぎてしまったみたいでお恥ずかしいです」
(…反則過ぎる!!)
再びセレンは直立不動のまま言葉が出てこなくなってしまった。
ナナエからすればごくごく普通の愛想笑いに社交辞令だったのだろうが、その普通の反応がセレンにはど真ん中ストライクだったのである。
◆
(…おかしいな)
ナナエは首をひねった。
セレンの謝罪を受けて普通に了承して…ただそれだけである。
それなのにセレンは急に表情をなくして、直立不動で黙り込んでしまった。
見ようによっては怒っているとも取れるような表情だ。
(やっぱり、さっき普通の友達みたいに気安い言葉が出ちゃったのが不味かったのかなぁ…。いくら中身が残念でも、一応王族、だしなぁ…不敬罪で怒られちゃうかな…?)
言葉遣いよりも”中身が残念”と思っていることのほうが不敬なのだが、ナナエは気づいていない。
ナナエが訝しげに眉をひそめていると、王太后が「ふふっ」っと笑った。
「ナナエさん、皆を呼び戻して晩餐に致しましょう。ほら、セレン。皆を呼んできなさい」
名前を呼ばれてハッとした様に再び動き出した彼は、小さく頷き、扉の外へ足早に消えた。