<11>
重苦しい雰囲気に居たたまれない気持ちで、セレンは目前のイスに優雅に座る女性の表情を伺った。
女性は酷く難しい顔をしながら頭に手をやっている。
眉間に皺を寄せ何かを考え込むように目はきつく閉じられていた。
「お…お祖母さま…?」
ビクビクしながら声をかける。
何かがおかしい。
自分が報告したこと、相談したことは確かに面白くない話ではあったが、ここまで眉間に皺を寄せて怖い表情をするような話ではなかったはずだ。
頭においていない方の手はイスの肘掛の上で苛立った様にトントンと音を鳴らしている。
明らかに不機嫌、と言った感じの様子にいやな予感がして背筋をスーッと流れるものを感じた。
「他に…他に報告することはないのですか?」
苛立ちを隠しきれないようにきつい口調で問われ、セレンは少し鼻白んだ。
「他に、と言われましても…」
戸惑うように伏目がちにセレンが返答すると、王太后は目を見開き、ギロリとセレンを見やった。
「離宮に女性を住まわせることにしたようですね。黒髪の小柄な女性を」
確信を持った言い回しで、問い詰めるように王太后が言い放った。
その内容にセレンはビクリと体が震え、信じられないものを見たような目で王太后を見返した。
「な…なんで、それを…」
「昨晩、あなたの部屋で騒動があったようですね。女性が取り乱して泣いていたとの報告が上がっています。会話の内容も一部、報告が入っています。…離宮に住まわせているのはその女性ですね?」
サーっと自分の血の気が引く音がはっきりと聞こえた気がした。
頭の中で警報が鳴り響いている。
非常にマズイ。
これは、非常にマズイ気がする。
「な…なんのことだか…」
「王子たるもの事実は事実とお認めなさい!」
ピシャリと厳しい声が飛び、セレンは息を飲んだ。
(ま…また砂漠か…それとも…)
冷や汗がぶわっと噴き出すのを感じる。なにか言おうと思っても「えっと…その…」ともごもごと言葉にならない。
「あ、あの…まぁ、未遂だったので!あはは…」
軽く流してみようかと明るい笑い声を上げてみたとたんに、王太后の鋭い視線を投げつけられ、再び言葉を失った。
「未遂…と言うことは、やはり、報告通り、ということなのですね?」
一言一言区切り、確認するようにセレンに尋ねる。
セレンは引きつった表情で小さく頷きかけて…慌てて首を左右に激しく振った。
「いや、あの。誤解です!きっと誤解です!誤解だといいな…」
再び睨まれてセレンはまたもや語尾をもごもごと口の中にとどめるしかなかった。
他国の情勢を報告したぐらいで、あの表情になんてなる筈は無かった。
こめかみにうっすらと血管が浮き上がらせるぐらいに激怒している。
ふと考えてみれば、いくら人払いをしていたとは言え、リフィンを迎えにやらせたり、カイトを迎えにやらせたりと扉付近での従者とのやり取りは確かにあったのだ。
口止めすらしていなければ、バレない方がおかしい。
ナナエを気にする余り、そこら辺の配慮がすぽーんっと抜けていた。
侍女の中には元王太后付きの者も居たのだから、バレるべくしてバレたと言えよう。
(いや、まだだ…まだ何とかフォローできる余地が…っ!の…残ってるはず!!)
セレンはこの場を何とか切り抜けようと頭をフル回転させる。それこそ生まれてからコレほどまでに頭を使ったことが無いといっても良いほどに!
「しかも、その後。バドゥーシの娘と寝所を共にしたとも聞いていますが?」
頭の中で並べ立てていた幾通りもの言い訳が一瞬で走馬灯に変わる。
(嗚呼…短い人生だったな…アハハハハ)
床にひざを突きガックリとうな垂れると、「ププププッ」と堪えきれない様な小さな笑い声が王太后のイスの陰から聞こえた。
「ユーリス…」
少しだけ覗いている銀色の髪を見て、セレンは忌々しげに呟いた。
「バドゥーシの娘については、浅はかなあなたの事です。姦計にはまっただけでしょう。それはご自分で何とかなさい。ですが」
そこで王太后は言葉を区切った。そうしてこめかみに手を当て、指先でほぐすように揉みながらため息を吐く。
どうして良いのか王太后自身も迷っているように中々その先が出てこない。
「その娘は…いえ、身分を問うても詮無きことでしょう。娘が貴族であったにしろ、平民であったにしろ…あなたは民を力でねじ伏せようとしたのです。力なき者にあなたがしようとしたことは、その娘の尊厳を傷つけることであり、王家の尊厳をも傷つけるものです。…なんと嘆かわしい」
力なく首を左右に振り、王太后は再び目を閉じた。
「たとえ未遂でなかったとしても、あなたを罰しようとするものは居ないでしょう。あなたは王子なのですから。民は王族に逆らう術を持ちません。だからこそ、王族として間違いを起こしてはならないのです。民を簡単に踏みにじれる立場にあるからこそ、民を簡単に踏みにじってはならないのです。あなたにはそれがわかっている、と思っていました」
王太后の一言一言が耳と心に痛くてセレンはただただ、うな垂れるしかなかった。
よくよく省みても、自分の行動の何たる浅はかなことか。
森で会ったナナエは明らかに狼に怯え、そして無意識のうちに開放した魔力の大きさに呆然とし、戸惑っていた。
それを有無を言わせず魔力を奪い取り、あまつさえ混乱している彼女に自分が受け入れられて当然と言った態度で手を出したのだから。
…まさか泣かれるとは思っても居なかった。
なにを言い繕っても、完全に非は自分にあった。
ナナエの顔を思い出そうとしてもあの怒りながらも怯えたような泣き顔しか思い浮かばない。
女性にあんな顔をされたのは初めてだったし、近づくのすら拒絶されるのも初めてだった。
本当は彼女に跪いてでも許しを請うべきなのだろう。
しかし、あのときの自分は王子であると言うちっぽけなプライドを愚かにも優先させてしまったし、泣いている彼女にひどい言葉も浴びせた。そして、なによりも。拒絶されたことに激しく狼狽えてしまっていたのだ。
「あなたを罰することが出来るものが居ない以上、あなたを罰するのは私の役目、と思っていました。ですが、今回は罰することよりも大事なことがあります」
「…わかって…います」
搾り出すようにそう口に出して言うと、王太后は静かに小さく頷き眉間のしわを伸ばすように指を添えた。
聖女と呼ばれるほど民を愛し、民を守ろうと尽力してきた彼女にとって、孫であるセレンの行動はおおよそ許せるものではなかったであろう。何時もよりも数倍も悲痛な面持ちで目を伏せている。
「私もあなたの祖母である以上責任があります。今宵、その娘と晩餐を共にしましょう。私と共に誠心誠意、許しを請うのです。わかりましたね?」
念を押すように王太后は言い、再びため息を吐いた。