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「こんにちは」
市場の雑踏の中から不意に覚えのある声で挨拶をされ、ナナエは振り返った。
側にいたアンナもマリーも警戒してナナエの身を隠すように降り返る。
「ああ、驚かせてしまいましたか。申し訳ありません、私です」
そこにはにこやかな笑みを浮かべ、敵意が無いことを示すように両手を広げてみせる美しい青年の姿があった。
「ああ、リフィン様でしたか」
アンナはホッとした様に緊張した表情を和らげ、マリーはうっとりとした表情になった。
昨日は興奮しててナナエは顔を殆ど見ていなかったのだが、こうして日の光の下で見る彼は実に美しかった。
線の細いフォルムに淡い金髪、薄紫の瞳に抜けるように白い肌。それで居て女性らしさ、と言うよりも知的な男性の雰囲気にあふれ、動きも実にスマートだった。
「えっと…あ、すみません。…それと、昨日はありがとうございました」
不躾にもじっと見つめてしまったのに気がつき、ナナエは急いで頭を下げる。しかし、リフィンはなれたような感じで「いえいえ」と軽く会釈をした。その動作も一つ一つがとても洗練されたように優雅である。
「昨日はゆっくりお休みになれましたか?傷口が痛むようなことは?」
軽くナナエの髪を掻き揚げるようにしてリフィンは包帯の上から傷口に手を当てる。余りにも自然な所作に呆然としていて、気がつけばナナエの顔のすぐ側に覗き込むようにしたリフィンの顔があった。
その余りにも美しい瞳が目前にあるのに気づきナナエはバカみたいに狼狽して体をのけぞらせる。
「ち…近いです!!リフィンさん!!近すぎです!」
「…これは失礼」
指摘されて初めて気がついたように、軽く目を伏せてスッとリフィンは体を離した。そしてふと、マリーの持った荷物を見るとひょいと摘み上げて抱える。
「女性には重いでしょう?私がお持ちしますよ」
そう言ってマリーに軽くウインクしてみせる。
マリーはと言えばあわあわ言いながら顔をトマトみたいに真っ赤にしていた。
(…紳士キタ!美形紳士!!)
だがしかし、そんなリフィンを見てもアンナだけは平然とした顔をしている。
「アンナの荷物も私が持ちますよ」
「あら、ありがとうございます」
2人のごくごく普通のやり取りにナナエはアンナに尊敬の念を覚えた。あれほどまでの美形を目の前にしても全く動じないのは淑女の鑑というヤツではないだろうか。
そんな気持ちで見ているとアンナに訝しげな視線を送られる。
「どうかなさいましたか?ナナエ様」
「い、いや~…マリーは挙動不審になるぐらい狼狽えてるのに、アンナはすごいなって」
「…弟、みたいなものですからね」
首を少し傾け、頬に手を当てながら幾分苦笑めいたその表情は普段のアンナとは違っていて、少しだけ親近感が湧いた。すまし顔じゃないアンナの方が絶対魅力的なのに惜しいなと素直に感じる。
「弟?」
聞き返すナナエにアンナはコホンっと軽く咳払いをして普段通りに背筋をピンと伸ばした。
「カイトとセイン様、そしてリフィン様はご学友…と言えば聞こえはよろしいかと思いますが…それはもう、散々というか…本当にどうしようもないクソガキ共でしたわ。責任を取らされたり、尻拭いをさせられた数々の悪戯…今でも思い出すとはらわたが煮えくり返ります」
にっこりと笑いながら答えるアンナと、少し青ざめながら引きつった笑いを浮かべるリフィンが対照的である。この優雅で美しい青年がアンナにこんなことまで言わせている、というのが到底信じられない。
「私は悪戯の後のアンナの鬼の様なお仕置きを思い出すと胃が縮み上がりますけどね…」
アンナには聞こえないように呟かれた言葉を聴いてナナエはぷっと吹き出した。
自分とはかけ離れた存在のような綺麗な青年が漏らす言葉が酷く可愛らしく思えて、そのギャップが可笑しくなってしまったのだ。
それに気付いたリフィンは人差し指を軽く自分の唇に当て「今のはナイショですよ?」と笑って見せた。
「それで、リフィン様はどうなさったのですか?何故こちらへ?」
笑っているナナエを怪訝そうな顔で見ながらアンナが問う。
「ああ、王子より護衛の真似事を頼まれたんですよ。まぁ、アンナとマリーが居れば大丈夫だとは思ってますが」
「…なるほど」
アンナの表情が一瞬曇ったのを見てナナエは少しだけ不安になる。が、アンナはすぐさま普段どおりの表情に戻ると「それでは、よろしくお願いしますわね」とナナエを促す様に歩き出した。
リフィンの表情を軽く振り返って確認しても相変わらず穏やかに微笑んでいるだけで、そこに何かの思惑を感じ取ることは出来なかった。
マリーは…相も変わらずニコニコ、そして時折リフィンを見ては頬を赤らめている。
なんだかいやな予感を抱えつつもナナエはアンナの後を追うしかなかった。