王太子殿下、婚約破棄はお受けいたしかねます
「ルナ。」
婚約者のシオン殿下が私の名を呼んだ。
王城の謁見の間。天井近くまで届く大きなステンドグラスから午後の日差しが差し込み、紅や蒼、翡翠色の光が磨き上げられた大理石に降り注ぐ。色とりどりの光は宝石を散りばめたように揺らめいている。
シオン殿下の隣には美しい大人の女性がいた。
肩まで伸びた黒髪に、見たことのない仕立ての衣服を身にまとっている。
貴族とも平民とも異なる、不思議な装いだった。
胸の奥がざわついた。
(どなた..?)
嫌な予感がした。
「今日は、大切な話がある。」
シオンの声は、どこか固かった。物心がつく頃から隣にいたはずのシオンだが、
今日ばかりは、ひどく遠い存在に感じられた。
私はドレスの裾をつまみ、一礼する。
「承ります。」
シオンは一度だけ目を閉じ、小さく息を吐いた。
そして静かに言った。
「....ルナ。婚約を解消しないか?」
私は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
婚約破棄――。
その言葉だけが、頭の中で何度も反響していた。
私は必死に微笑みを保った。もっとも、微笑めているかはわからない。
「理由を..伺ってもよろしいでしょうか?」
問いかける声は自分でも驚くほど震えていた。
シオン殿下は、隣の女性を一瞬だけ見た。
そして私へ向き直る。
「....君の両親が亡くなった時から決めていた。」
「..君が15歳になったら、真実を伝える、と。」
シオンは神妙な面持ちで絞り出すように言葉を発した。
あまりにも予想外の言葉に、私はさらに混乱した。
「真実……ですか?」
「....そうだ。」
沈黙。
シオンは真っ直ぐ私を見つめる。
「まず訂正しなければならない。」
「俺は王太子ではない。」
思考が止まる。
「....え?」
「......そしてこの国は王国ではない。」
理解ができない。
「そして、ルナ。....君も侯爵令嬢ではない。」
....何を言っているのだろう。何かの冗談だろうか。
けれどシオンの表情は、冗談を言う人のそれではなかった。
「ルナ。」
「君が今まで暮らしてきた場所、ナーロッパは共同体だ。」
「....王国でないと言うのは?」
「ナーロッパは正式には村だ。」
村――。
その一言で私の常識が音を立てて崩れた。
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その後王都の入り口へ連れてこられた。
謁見の間で王子の隣にいた女性も一緒だ。
石造りの門。
何度も見たことがある。
けれど、私は生まれてから一度も王都を出たことがなかった。
門が開く。
そして。
「......え?」
目の前に広がっていたのは、どこまでも続く深い緑だった。
一面の田畑。
鼠色の道。
道の脇には見慣れない標識が立ち、そこには「県道56号」と書かれている。
道の上を、1台の鉄の塊が音もなく走り去っていった。
隣に立つ女性が静かに微笑む。
「ようこそ、日本へ。」
「日本......?」
「三重県です。」
「西暦2050年の。」
膝から力が抜けた。慌てて女性が私の身体を支える。
私が生まれ育った「王国ナーロッパ」は、山々に囲まれた小さな村に過ぎなかったのだ......。
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謁見の間に戻ってきた。
侍女が温かい紅茶を入れてくれたが、私は一口も飲めなかった。
王子の隣にいた女性は「リン」と名乗った。どうやら彼女は私の父に恩があるらしく、私と外の世界の橋渡しのために来てくれたと言う。
「....騙されていた、と感じているか?」
シオンがぽつり、と言った。
その問いに私は答えられなかった。
「怒られて当然だ。」
「俺たちは君に嘘をついていた。」
私は俯いた。
「....どうして。」
そこからシオンは過去に何があったかを語り始めた。
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ー21年前
「なろう小説」のいわゆるナーロッパ的な世界観(中世ヨーロッパ風だが衛生面や文明はそこそこに発達している)が好きな仲間たちが集まり、「ナーロッパ村」を三重県の山奥に建設する。
創設のリーダーとなったのが資産家であったシオンの両親であり、創設に携わり、村の設計をしたのがルナの両親であった。
ー15年前
ルナが誕生。ナーロッパ村の村人たちは異世界の人間になりきって振る舞っているため、ルナを侯爵令嬢として育てた。
シオンの両親とルナの両親は創設の中心メンバーということもあり非常に仲が良く、当時3歳のシオンとルナの婚約を締結。あくまで婚約であり、本人達の意思で解消できるということにした。
ー11年前
ルナの両親が用事で村の外に出て、その帰り道交通事故で亡くなる。
ルナの母親は病院で駆けつけたシオンの父らに
「私たち2人には身寄りがありません。」
「ルナにはあなた達しか頼れる人がいない..この子をどうか守って....」
そう言い残し、この世を去った。
村人達は話し合い、
・ルナをこの村で侯爵令嬢として育てること。
・自分で物事を判断できるようになる15歳になったら本人に真実を話すこと。
を決めた。
ルナには「馬車の事故だった」と伝えられた。
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私はその話をどこか物語の出来事のように聞いていた。
「婚約もあくまで任意だ。君のような素敵な女性には俺以外にもいくらでも選択肢はある。」
シオンは秘密を話して吹っ切れたように言った。
「君はとても優秀だ。」
「法律も経済も語学も、村で教えられることは全部吸収した。」
確かに本を読むこと、勉強をして知識を身につけそれを活用することは好きだった。
シオンは続ける。
「この村では、もう君に教えてあげられることもない。」
リンさんが冊子を私に手渡す。
「今の日本では1人ひとりの才能に合わせて教育を受けます。」
「ルナさんの学力を簡易検査したところ、論理思考能力は上位5%、法学と経済学の知識は大学初年度レベルを超えています。」
「あなたなら、外の世界で更に発展内容の知識を身につけることができるでしょう。」
リンさんの話を聞いて私は外の世界の学校で学ぶことを決意した。全く異なる世界に行くことに戸惑いはあったが、自分がどこまでやれるか試してみたくなったのだ。
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ー10年後
私はパルコで買った夏物のワンピースを着て、ナーロッパ村の門を開けた。
「おかえり。」
シオンは少し照れたように笑った。
メッセージでは連絡を取り合っていたが、実際に会うのは10年ぶりだ。
最後に会った時よりかなり大人びていてなんだかドキドキした。
「ただいま帰りました。」
「.....あの時の返事ですが」
「....あの時?」
シオンが不思議そうな顔をする。
「婚約を解消しないかという話です。」
「....別に親同士が決めた約束だから本当に気にしなくていいよ。」
「私はシオンが好きです。12歳の頃からずっと..」
シオンの顔が真っ赤になった。
「......シオンは私のこと、ただの幼馴染としか思ってませんでしたか?」
勇気を出して絞り出すように声を出した。
「そんなことない。俺もずっとルナが大好きだった。このまま真実を黙っていたら結婚できるなんて後ろ暗いことを考えて葛藤するぐらいに..」
「....私たち、両思いだったのですね。というわけですので」
「王太子殿下、婚約破棄はお受けいたしかねます。」
私は10年前と同じようにドレスの裾をつまむ代わりに、ワンピースの裾をそっとつまみ、一礼した。




