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一枚の証明

作者: 和泉修一朗
掲載日:2025/12/16


その絵は、倉庫の最奥で見つかった。


地方の旧家から寄贈された大量の資料の中に、

他の作品とは別の包みに収められていた一枚の油彩。

署名はない。

だが構図、色調、筆致――

どれを取っても、近代日本絵画の巨匠・鷹宮玄堂の晩年様式と矛盾しなかった。


「未発表作の可能性はありますね」


そう口火を切ったのは、

贋作派の中心人物として知られる美術史家、久坂だった。


私は外部から呼ばれた研究員として、その場に同席していた。

議事録係という立場で、意見を挟む権限はない。


ただ、

疑う側の人間が、最初に可能性を肯定したことが、

なぜか記憶に引っかかった。



---


久坂は、奇妙な学者だった。


誰よりも贋作研究に厳しく、

誰よりも多くの作品を退けてきた人物。

それなのに、この絵に関しては、

彼は一度も「贋作だ」と断じなかった。


代わりに、必ずこう言う。


「贋作であると証明するには、

 決定的な欠陥が必要です」


そして静かに付け加える。


「現時点では、それが見当たりません」



---


鑑定会は長期戦になった。


顔料分析、年代測定、

キャンバスの繊維、下描きの痕跡。

贋作派は考えうる限りの疑念を提示し、

本物派は一つずつそれを検討する。


奇妙だったのは、

久坂が、贋作派の議論を常に先回りして整理していたことだ。


「その反論は、ここで止まります」

「それ以上は、推測になります」

「証明の域を超えません」


彼の言葉は、

贋作派を前進させると同時に、

必ず“越えてはいけない線”を引いた。



---


ある夜、展示室で二人きりになった。


「先生は、どうして贋作派に?」


半ば冗談のつもりで尋ねると、

久坂は少しだけ考え、絵から目を離さずに答えた。


「疑う側に立たなければ、

 疑いがどこまで通用するかは分からないでしょう」


「本物派にいた方が、楽なのでは?」


「ええ。でもそれでは――」


久坂は一拍置いた。


「――否定されなかった、という事実は作れません」


その言葉は、

学問的な説明としては正しかった。

それなのに、どこか制作意図のような響きがあった。



---


最終鑑定会の日。


贋作派は、もはや新しい疑念を出せなくなっていた。

議論は出尽くし、

残っているのは「可能性」だけだった。


最後に、久坂に意見が求められた。


「私には、

 この作品を贋作だと証明できる根拠はありません」


それは、

敗北宣言であり、

同時に、決定打だった。


結論は「真作として扱う」。


その瞬間、

議論は終わった。



---


数年後、その絵は国立美術館の常設展示となった。


図録にはこう記されている。


> 「疑念を徹底的に検討した結果、

否定できなかった作品」




不思議な解説文だった。

だが誰も、それを問題にしなかった。



---


久坂は、展示開始を待たずに亡くなった。


整理された研究室からは、

鷹宮玄堂に関する膨大な資料が見つかった。

模写、分析、比較図版。


奇妙だったのは、

晩年期の作品だけが異様に多いことだ。


その中に、

今回の絵とよく似た構成の習作があった。

構図だけが、わずかに違う。


「研究用の再現でしょう」


誰かがそう言った。


私は否定しなかった。



---


帰り際、

完成した図録をめくっていて、手が止まった。


あの絵の解説文にある一節。


> 「要素が過不足なく配置された、

異様な完成度」




その表現は、

久坂がかつて展示室で口にした言葉と、

一字一句同じだった。


学術用語ではない。

批評の常套句でもない。



---


もし仮に。


久坂が、

「贋作であることを証明できない状態」を

最初から完成形として設計していたとしたら。


もし仮に。


そのために、

最も厳しい立場――

贋作派に身を置いていたのだとしたら。



---


贋作であることを証明できないこと。


それは、

本物と認めさせるための、

最も確実な方法だった。



---


その絵は、今日も展示されている。


1枚の絵として。

そして同時に、

1枚の証明として。


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