第一章20 嗤う者
しばらく歩き狭い通路に入ったころ、空気の流れが変わった。
風が、壁の奥から吹きぬけているように感じる。
それはただの風ではなく、どこか生き物の呼吸のように感じた。
「……聞こえる?」
セラの問いに、フユキが足を止める。
――どくん。
低い音が、壁の奥から伝わってくる。
「……まるで、この迷宮が脈を打ってるみたい。」
セラの声はかすかに震えていた。
洞窟の奥、岩の壁がわずかに光を帯び、そこから湿った空気が流れている。
二人は慎重にその方向へ進むとそこは、小さな広間のような空間だった。
壁には焦げた跡、床には割れた瓶。
そして、黒く焼けた手形が残っていた。
「……人、がいたのかも。」
セラが壁に触れる。
近くの床には、汚れたノート手紙のような紙切れが落ちていた。
フユキがそれを拾い上げ、かすれた文字がかろうじて読めた。
『被験体、崩壊。瘴気の制御、失敗。』
その文字を読んだ瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「……ここ、元々人がいて、何かの施設の跡かもしれません。」
「そうね……とても…嫌な感じがする。」
再び――どくん。
低い脈音が響き、壁の隙間の奥から光が滲み出ていた。
二人は顔を見合わせ頷き、その光をたどるように進んだその先に――
半ば崩れた鉄扉が、わずかに開けていた。
迷宮の底、冷たい空気が流れていた。
フユキ達は進み鉄扉を恐る恐る押し開けると、重たい音がその部屋で反響した。
中はひんやりとしていて、空気の匂いが違った。
壁に埋め込まれた光水晶がちらちらと瞬いている。
床には円形の模様が刻まれ、焦げた瓶や錆びた器具が散らばっていた。
瓶の底には黒く乾いた液体がこびりつき、空気も何となく焦げ臭く感じる。
セラが慎重に足を進め、周囲を見渡した。
「……ここ、は?……人が作った場所なの?」
剣を軽く構え、目を細めながら呟く。
フユキも足を止め、壁に刻まれた不規則な線を見つめ、
「……模様? でも、何か……文字みたいにも見えます。」
部屋の隅には複雑な紋様が刻まれた円形の陣のようなものがあり、その隣の机の上にはいくつもの手帳が散乱している。
セラはそのうちの一冊を拾い上げ、表紙を見た。
――『転移陣観測記録』。
背表紙には、焦げ跡のような指の跡がついている。
セラはページをめくりながら、
「これ、もしかしたら外へ出られるかもしれないわ。」
「……ほんとですか!?」
「……ええ。でも……」
セラの指が手帳の中で止まり、そこには走り書きのような文字が続いていた。
『被験、崩壊。制御、失敗。』
『第7から10被験体、意識混濁、全損。』
『第11被験体、反応あり。知性の兆候を確認。』
セラが眉を寄せた。
「……第十一被験体?」
さらに読み進める。ページの端が熱で焦げ、ところどころが判別できない。
しかし、最後の記録は比較的はっきり残っていた。
『第11被験体、言葉を理解。他個体への命令に成功。
以降、協力者として扱う。
人間的判断の一部を保持。危険性については――』
そこから先の文は、破り取られていた。
その先には、手の跡のような焼け焦げが残っている。
「……協力者?」
セラの声が低く響いた。
「言葉を理解する異形なんて、聞いたことない……」
――パタン。
とセラが手帳を閉じた瞬間、空気がひときわ重くなった。
フユキの背筋を、冷たい汗が伝う。
――どくん。
低い脈動が床の下から響いたきがし、視線を感じて振り返るが誰もいない。
「……出ましょう。今すぐ。」
セラが決意を帯びた声で言う。
「……はい」フユキは頷く。
「この部屋のどこかに起動トリガーがあるはず、さっきこの手帳に書いてあったわ。」
二人で手早く探す。棚の下、割れた瓶の陰。
フユキが指に収まる大きさの先が赤いピンをすぐ側の机の影に見つけ、
「これ、ですかね」
「たぶん。それを引き抜くの。」
セラはピンに指をかけ、短く段取りを確認する。
「ピンを抜いて起動したら、十数える前に中心へ。
いい?」
フユキが頷く。セラは剣を収め、彼の袖を軽くつまみ、「いくわよ。――」
――ピンッ
カチリと乾いた音。と同時に床の紋様がゆっくりと灯り始める。
その瞬間――
背後の鉄扉が、ほんの指二本ぶんだけ勝手に開いた。
「!!?」
二人はとっさに振り返る。
暗い隙間。
何かがこちらを見ている感覚。
鉄扉の隙間から白い指が一本、そっと縁に触れた。
ガラスを爪で引っかくみたいな神経を撫でるかすれた音。
セラが反射的に剣に手を伸ばす――
その瞬間、隙間の奥から何かが身をかがめ、覗き込むように半分顔を出した。
暗闇の中、歪んだ輪郭。
頭は人よりも高く、異様に細長い体。
黒い影の奥で、一つの瞳がこちらを見ていた。
にたり。
口が裂けるようにゆっくりと笑った。
それは人の笑みを真似たようで、どこか学習している気配があった。
「……セラさん………」
「……わからない……だけど――」
そう言いかけた途端フユキの手の中――
彼女から預かっていた手帳が、パチッと音を立てた。
「……っ!」
反射的に手を放す。
手帳が床に落ちた瞬間、火が走るように燃え上がった。
赤い線がページの中をめぐり、瞬く間に灰へと変わっていく。
影の中の異形が、焼け落ちた手帳を見ながら小さく首を傾げた。
そして――嗤う。
フユキはその顔に不気味さ以外の何も無かった。
足元の紋様が光り空気が歪み始め、
「フユキ!」
「は、はい!」
二人は転移陣の中心へと駆け込み、光が弾け視界が白に染まる直前、鉄扉の隙間の向こうで――
その何かが、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。
まるで人の影が、別の形に作り変えられていく途中のように。
――その笑みだけが、頭の中で最後まで消えなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第一章完結までもう少し!だと思います^
明日も19時40分更新予定です!




