第六話 北条玲花県予選優勝/新コーチ金田鈴音登場
男子・女子個人戦準決勝が始まった。
最初は30台も卓球台が並んでいたのに、今は準決勝仕様で4台しか並んでいない。
ここまで勝ち上がってきた8人の選手に、会場にいるすべての人間の視線が降り注がれる。
コーチとして後方の椅子に座っている僕ですら少し緊張してしまう。
選手にかかるプレッシャーはこんなもんじゃないはずだ。けど先輩は大丈夫そうだ。堂々としていて貫禄を感じる。
試合前のラリーが終わり、お互いラケットの確認をしたあとじゃんけんを行う。
先輩はじゃんけんで勝ったため、サーブを選択した。
審判からボールを受け取ると、その場でピョンピョン跳ねて準備運動をする。これルーティンのようなもので、先輩が集中するために行う動作でもある。
お互いが構え、そして試合が動き出した。
短めのサーブをバッククロスに出し、相手がストップで対応する。フォア側に少し浮いたその返球を先輩は見逃さなかった。
台上で素早いフリックしてバックストレートに打ち込み、1点先取を決める。
「よし!」
綺麗に決まった3球目攻撃。先輩が左手でガッツポーズをする。
先輩の1番の強み。それは、少しでも隙がある球を見逃さない判断力の高さだ。そこが先輩の攻撃力に直結している。
2球目のサーブ。次も同じように短めのサーブをバッククロスに出す。相手はストップではなくチキータで強気に攻めてきたが、これがネットを超えず、連続で先輩が点を取った。
サーブから2点先取。流れはかなり良い。これで相手には先輩のサーブに対する苦手意識が少し生まれたはずだ。特に今のチキータ失敗はじわじわと効いてくる。
僕もだけど、一度失敗すると次に挑戦するのが少し怖くなってしまうんだ。そこでもう一度踏み出せるかどうかが試合の展開を変えるために大事なことになってくる。
さて、相手のサーブだ。遠目で見た感じでは回転がわからなかったから分析はできてない。
先輩の対応と球の軌道をみてサーブの種類を特定していかないと。
「さ!」
相手が声を出す。きっと自分を鼓舞するためのものだ。
そして放たれたサーブは、先輩のフォア側に長く速いロングサーブだった。
この先制されている場面でオーバーを覚悟で攻めた強気のサーブ。対応に迷ったら最後、相手のチャンスボールになる返球になってしまう。
ダン!
先輩はすぐさまサーブに反応すると、右足に力を入れて腰を落とし、思いっきりラケットを振るった。
相手もこれは予想外だったのだろう。身動きすら取れず、先輩のドライブがフォアクロスに突き抜けた。
すごい。
僕なら今のサーブ、反応できなかったと思う。反応できたとしても浮かせてたと思う。
次の相手のサーブは先輩の攻撃を警戒してか、ネットの手前にくる短いサーブだった。
お互いツッツキで返しあい隙を窺うラリーが続いたが、相手の返球が少し浮いたところを先輩は見逃さなかった。
綺麗に決まったスマッシュにより、これで4点目が決まった。
流れは完全に先輩のものになった。
1セット目、11-3。先輩の圧勝だった。
取られた点についてもネットにかかったボールに対応できなかったり、攻めすぎた結果オーバーしたものなので悪い内容ではない。
「先輩、すごく良いプレーでしたね」
帰ってきた先輩に飲み物を渡す。
ここから数分の1分間の間コーチからアドバイスを受けることができる。
相手の選手もコーチからアドバイスをもらっているはずだ。僕も何か言いたいところだけど、今のところ目立った注意点はない。
「あさひの言った通り、私の方が先に攻撃する展開が多かったわね。途中から弱気になっちゃったのか全然攻めてこなくなったし」
「攻撃しても先輩にカウンターで返されますからね。ただ、相手もそのことを指摘されて次からは積極的になってくるかもしれません」
「そうね。ならそこを警戒しつつ、今までと同じように自分から攻めていくわ」
「それで良いと思います。後ろに下がりすぎないようにだけ気をつけてください。先輩の反射神経なら下がらなくても反応できます。あと、先輩1セット目でYGサーブのフェイントっていれました?」
通常のYGサーブは左回転を入れる。だが、フォームを同じようにして最後に手首のスナップを使えば逆回転の右に変更することも可能になる。同じフォームで別の回転を入れれるフェイントは相手の返球ミスを誘える上級テクニックだ。
「何回かね。でもあまり効いてなさそうだったけど」
「それ誤解ですよ。相手の人、先輩のYGサーブの回転が分かってないんです。1回目はストップだったけどそこで上手く返球できなかったからそのあとは全部フォアで回り込んでドライブで無理やり打ってるんです」
「そういうことなの? てっきり私のサーブは通用しないから簡単に返されてるかと思ってたんだけど」
「相手は先輩のサーブにドライブでしか対応できないんです。だからこっちはカウンターを狙って打っていけます。それも、回り込ませてから反対方向にです」
「うわ、鬼畜だわそれ。まあやるんだけど」
「2セット目もこの調子で行きましょう。ファイトです!」
「うん!」
県予選は5ゲームマッチ。次のセットを取れれば一気に勝利へ王手となる。
さっきのセットの流れでここも取っておきたいところだ。
「しゃあ!!!」
ひとつ奥の方でやっている男子個人戦から声が聞こえた。
この聞き覚えのある声は、樋上さんの声だ。
どうやら樋上さんも1セット先取したらしい。
樋上さんはここまで全ての試合をストレートで勝ち上がってきている。去年は怪我で辞退しているとはいえ、1年生の時は全国大会ベスト16に上り詰めた実力者だ。
まさに王者の貫禄を見せている。さすがだ。
と、先輩の試合が始まるな。よそ見はしてられない。
次は相手のサーブから。さっきの作戦はこのサーブを2回捌いてから開始だ。
相手のサーブをチキータで返球し、そこからバックドライブの打ち合いが続く。
先輩がコースを変えて相手の隙をつき、相手の返球が高く浮いた。そこをすかさず叩き込み、1点先取。
2セット目の入りは完璧だ。先輩の攻撃は相変わらずキレキレ。攻撃の前のラリーも相手に隙を与えないようにネット前ギリギリを攻めていた。この調子だ!
続く2球目のサーブ。また短めに出されたサーブだったが、今回はサーブが少し浮いていた。
先輩はそこをすかさず強打、呆気に取られた相手の選手はその攻撃に追いつけなかった。
2-0。サーブを捌ききった。
ここからさっきの作戦が始まる。
YGサーブを出し、相手は予想通り回り込んでドライブで返してきた。そこを待ち構えていた先輩はカウンターで反対方向へ強打する。3点目が入った。
勢いをそのままに4球目もYGサーブからのカウンターが決まり、これで4連続得点。いいぞ! 先輩がノリノリだ!
5球目の相手のサーブ。先輩のストップがネットに引っかかり、相手に点が入る。
続く6球目、ストップからのラリーが続き、相手がついに先行して攻めてきた。
ドライブから展開されるラリーは迫力満点で、お互いの力と力がぶつかり合う。
ダン! ダン! と床を蹴る音とピンポン玉が勢いよく打たれる音が鳴り響く。
そしてついに決着がついた。
相手のドライブがバック側の端に入り、打ち返すのが絶望的かと思われる状況で、先輩はバックドライブを相手が今いる位置の反対側ーーバッククロスに打ち返し、5点目を決めた。
5-1。激しい撃ち合いの末に手に入れたこの得点は、点差以上に価値のある1点だ。
流れに乗っていた先輩はさらに追い風に乗り、鮮やかなプレーを続ける。
気づけば11-2。2セット目も圧倒的な点差で奪取していた。
「先輩! 完璧なゲームメイクでした!」
「ありがとう。あさひのおかげで1セット目より有利な展開が多かったわね。これで王手だけど、まだまだ油断はできないわ。相手も去年ブロック大会まで勝ち進んだ猛者だもの。次は何か対応してくるはずよ」
「サーブへの対応が少しずつ良くなってきてますね。次はYGサーブを少し減らして、3球目攻撃に展開しやすいサーブを使って行った方が良さそうです。先輩の方が攻撃力は高いので、強気に攻めていきましょう」
「そうね。次は私のサーブからだから、1球目は右回転のサーブから展開してみる。じゃあ、行ってくる」
3ゲーム目、サーブからの展開が上手くはまり、1、2ゲームの勢いをそのままに11-3の点差で先輩が勝利した。
圧巻のストレート勝ち。地区大会の女王の威厳を見せた素晴らしい試合だった。
そして、奥の台で試合を行っていた樋上さんもストレートで試合を決めて、金田TTCの生徒が2人揃って決勝へ進出するという快挙を成し遂げた。
*****
少しの間インターバルが開き、その間に卓球台がさらに2台減らされた。
広い体育館に、たった2台の卓球台が並ぶ。
男子・女子個人戦決勝戦がいよいよ始まる。
「先輩、いよいよ決勝ですね」
「ええ。このまま優勝してブロック大会に行くわ。絶対に」
「次の対戦相手も今まで通り攻めの姿勢で行きましょう。さっきの対戦相手より攻撃力はないですが、粘るのがかなり上手いです。でも先輩のドライブなら数回打ち返せれば突破できると思います。もしかすると、回転に対応するのに時間がかかって1セット目は楽に取れるかもしれません」
「とはいえ、打ち返してくることを前提に次の準備をしておいた方が良さそうね。台からはなるべく下がらないように気をつけるわ」
「はい。先輩らしい卓球ができれば大丈夫です」
僕もコーチらしくなってきただろうか。
今のところは先輩の役に立ててる気がする。
「ねえあさひ。ちょっと卓球に関係ない話しない?」
先輩が急にそう言った。
そこで先輩の手が震えていることに気づいた。そうか。先輩は今、緊張しているんだ。
今までは全くそのそぶりを見せていなかったのに、決勝戦という舞台はそれほどまでに特別なものなんだ。
「お腹空きましたね。先輩はどうですか?」
「え? そうね。もう4時過ぎだし、結構お腹空いてるかも」
「じゃあ、この試合が終わったらご飯食べに行きましょうよ。駅の周り、ご飯食べれそうなところいっぱいありましたし」
「それ良いわね。私蕎麦が食べたい」
「決まりですね。勝って蕎麦パーティーです!」
「ありがとう。緊張解けてきた。ちょっと手出して」
「? はい」
右手を差し出すと、先輩が握手をするように僕の手を握った。先輩の右手は緊張のせいかすごく冷たかった。思わず左手をあげて先輩の手を温めるように包み込んだ。
数秒間そのままでいると、徐々に先輩の手が温まってくる。
「もう大丈夫」
その言葉に頷いて手を離し、先輩を見上げる。
そこにはもう不安な表情は一切なく、いつもの凛とした先輩がいた。
「じゃあ、勝ってくるわ!」
「はい!」
卓球の試合は、ダブルスを除き全て個人戦だ。
台の前に立った瞬間に、選手は孤独な戦いをしなければならない。
ここから先は先輩だけの戦いだ。先輩が自分で頑張るしかない。
でも大丈夫。
最後に触った手にはもう震えはなかった。
*****
私はいつも冷静そうに振る舞っているけど、実は結構緊張に弱い。
地区大会の1回戦ですら最初は緊張して攻撃がオーバーになってしまう。そんなわけでいつもはエンジンがかかるのは遅いスロースターターなタイプだ。
けど今日の試合は全部最初から上手く行っている。
あいつには恥ずかしくていえないけど、あさひがいてくれたおかげ。
自分の後ろに味方がいるってことがこんなにも心強いだなんて今まで知らなかった。
試合中の応援なんて何の意味もないと思ってたのに、全然そんなことなかった。
良いプレーをした時に後ろを見ると、私以上に喜んでるあさひがいる。
その姿を見ると、もっと頑張ろう! って気持ちが込み上げてくる。
「ヨー!」
1点、1点ずつ勝利へ近づいていく。
今日はたくさん試合をして疲れてるはずなのに、どんどん動きが良くなっていく。
今なら誰にでも勝てそうな気がする。そんな感覚すら湧き上がってくる。
調子がいいとか、そういう感じじゃない。自分の中の壁を一つ乗り越えた確信がある。
たぶんこれ、どのスポーツの選手にも当てはまるゾーンってやつだと思う。
きっとこの状態をキープしているのが最上位の選手なんだ。全国で戦うにはこの感覚を忘れないようにしないといけない。
パアン!!!
綺麗に決まったスマッシュが、最後の攻撃になった。
11-2。セットカウント3-0。
決勝戦とは思えないほどの圧勝。自分でも驚くくらい研ぎ澄まされていた。
「「ありがとうございました」」
相手と握手をした後に、相手側のベンチの座っているコーチの元にも挨拶に行く。
それが終わってから後ろを振り返ると、あさひが手を大きく振っていた。
その姿を見た瞬間に、今まで張り詰めていた気持ちがぷつりと切れて、疲労が押し寄せてきた。
「先輩、優勝おめでとうございます!」
「ありがとう。あさひのコーチングのおかげね」
「本当ですか! 役に立てて嬉しいです」
あさひが腕をブンブン振って喜んだ。
こういうところが可愛いんだよなこいつ。
背も小さめでまだ声変わりもしてないところもその可愛さを倍増させている要因だ。
まさか私、中2にして母性本能をくすぐられている? まあ悪いことではないからいいのかな?
とにかく、これで県予選1位通過が決まった。
去年は同立4位でギリギリ突破だったところから随分成長したものだ。
そしてブロック大会では2回戦で敗退した。1回戦もギリギリ勝った感じで、他の県から来た代表と私の間には高い壁があった。
でも今年は違う。県予選での戦績にも出てるけど、私は今ブロック大会でも十分通用する実力がある。
今年こそ全国に行って見せる。私の卓球が全国でも通用するってところを証明するんだ。
そうしたら私はまだまだ卓球ができる。
*****
午後6時。表彰式が終わり、本日の予定が全て終了した。
個人戦はこれにて閉会。団体戦に参加する選手は明日もあるけど、先輩は個人戦だけなので今日で終わりだ。
「よっす! 2人ともお疲れさん」
「樋上さん、優勝おめでとうございます」
「お前もな北条。お互いコーチにいい報告ができるな」
「ええ。樋上さんは明日も試合ですよね。頑張ってください」
「おう。明日も優勝するぜ」
樋上さんの自信は慢心などではない。実力に伴った本物の自信だ。
その証拠に樋上さんは今日の試合全てで1セットも落とさずにストレートで勝利した。
圧倒的な実力がないとできない芸当だ。僕と試合をした時よりもさらに一段階レベルが上がっている。
僕も早くその領域に辿り着きたい。追い越したい。
卓球がしたくなってきた。今日一日自分では打たずにすごいプレーを見続けてきたせいで、今とてつもなく卓球がしたい。
試したいことがたくさんある。早く明日にならないかな。そしたらクラブに行って練習ができるのに。
「2人ともこれから電車で帰るんだよな? 気をつけて帰れよ」
「はい。それではまたクラブで会いましょう」
「バイバイ樋上さん」
「ああ。またな」
「さて、私たちも帰りましょうか。蕎麦の約束、覚えてるわよね」
「もちろんです。もうお腹ぺこぺこです」
先輩がスマホを取り出して帰りのバスと電車の時間を調べ始めた。
ご飯を食べてから家に帰ることを考えると、家に着くのは結構遅くなりそうだな。
母さんに連絡した方が良さそうだ。公衆電話を探しに行くか。確か体育館の中にあったはずだし。
「あと10分でバスが来るみたい。それに乗りましょ」
「あ、じゃあちょっと体育館の中に行ってもいいですか? 公衆電話で母さんに電話したいんですけど」
「なら私のスマホでかければ? 番号教えて」
「ありがとうございます。えっと...ちょっと待ってくださいね」
カバンから財布を取り出してその中に入っているメモ用紙を取り出す。
そして先輩に番号を伝えると、先輩が電話をかける準備をしてくれた。
「あとここを押せば繋がるから」
「わかりました」
受話器のアイコンを押すと数回のコール音の後に電話がつながり、母さんが出た。
晩御飯を食べて帰ることと帰りが少し遅くなることを伝える。
『あさひ、携帯を貸してくれた先輩に代われる? 私からもお礼を言いたいんだけど』
「わかった。今代わるね。先輩、母さんが先輩と話したいそうなので、いいですか?」
「え? わかったわ」
先輩に電話を渡す。
「はい。はい。ーーいえ全然そんなこと。こちらこそ今日はとても助かりましたし。いえ。はい。わかりました。あさひに伝えます。はい、ありがとうございます」
先輩がスマホを耳から話、電源を切ってポケットにしまった。電話が終わったみたいだ。
「あさひのお母さん、すごくいい人ね。向こうの駅に着いたら車で迎えに来て私のことを家に送ってくれるって」
「それは良かったです」
「私のお母さんもこうだったら良かったのに」
「先輩?」
「ごめん今のは忘れて。さ、バス停に行きましょ」
先輩、お母さんとの間に何かあったのかな。今一瞬見せた表情はそうとしか読み取れない。
ついこの間まで母さんとの間に壁を感じていた僕みたいだった。力になってあげたいけど、先輩の家庭の事情にドカドカ踏み込むわけにもいかない。
僕にできることはたった一つしかない
「北条先輩、僕はいつでも先輩の味方です」
「あら、気をつかってくれたの? 大丈夫よ。ただ親にそろそろ勉強に専念しろってうるさく言われてるだけだから」
「卓球、やめろって言われてるんですか」
「中学で終われってさ。だから実力で黙らせることにしたの。全国で活躍する実績があれば、内申点を言い訳にして続けれるでしょ?」
「それ、すごくいいアイデアじゃないですか! 全国で活躍したら、先輩のご両親もきっと考えを改めますよ!」
「そうだといいんだけどね。ほんと、こうやって卓球やれてるのもおばあちゃんがなんとか説得してくれたからでさ。あいつら私の意見は意見を聞いてくれないのよ。っと愚痴はここまで。ここからは楽しく行きましょう」
「はい! 蕎麦パーティーが待ってます!」
先輩の家庭の事情。簡単に解決できるようなことではない。
今はただ強くなって全国に行くしかない。その結果どうなるかはその時になってから考える。
先輩が全国で勝つためには、学校での練習相手である僕のレベルアップも重要になってくる。
今まで以上に気合を入れて練習しないとな。
*****
翌日。今日は1週間ぶりのクラブ練習だ。
昨日の夜に北条先輩と一緒に行く約束をしたので駅で待ち合わせをしてクラブへと向かった。
受付には僕が知らないおばさんの店員さんがいて、先輩に尋ねたところ金田コーチの奥さんとのことだった。
「「おはようございます」」
練習場には金田コーチの姿しか見当たらなかった。
樋上さんは団体戦があるとして、高校生組は一体どうしたんだろうか?
「おはよう。今日は誰も来ないかと思ってたんだが、よく来たな。疲れは溜まってないか?」
「私は平気です」
「僕も大丈夫です」
「そうか。陽介のことは知ってると思うが、高校生3人組も今日試合があってな。そう言うわけで今日はお前たちだけだ。せっかく来てくれたからにはみっちり鍛えてやる」
そういうことか。でもコーチをほぼ独占できるのはいいチャンスだ。
「ところで玲花、昨日はどうだったんだ?」
「優勝しました。樋上さんも優勝です」
「そうかそうか。さすがは俺の愛弟子たちだな。鼻が高い高い」
コーチが顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。それに釣られて僕も少しニヤけてしまった。
「あくまでも目標は全国です。優勝は喜ばしいことですけど、うかうかしてられません。さあコーチ、練習しましょう」
「お、おう。もうちっと褒めさせて欲しかったが、まあ練習するか。まずはストレッチだ。あさひとペア組んでやっといてくれ。ちょっと外に出てくるが、すぐ戻る」
「「はい」」
先輩、ストイックなんだよな。昨日もそうだったけど、優勝した本人より僕の方が喜んでたし。
そんな先輩でも、流石に全国で優勝なんてしたら跳んで喜んだりするんだろうか。ちょっと見てみたいな。
練習前のストレッチを入念に行い、コーチが来るまで軽く基礎練を始めた。
「お待たせ。悪いな思ったより遅くなっちまって」
「いえ。先に基礎練をしていたので問題ないです」
「実はこの金田コースに新コーチが加入してな。2人に紹介しようと思って連れてきたってわけよ。というわけで、よろしく」
コーチの後ろから登場したのは、金色の髪が特徴的な大人の女性だった。一言であらわすとすればギャル。それ以外ないだろう。
「ちーっす。新コーチの金田鈴音でーす。苗字で察したと思うけど、この人の娘だよー」
「北条玲花です。ではコーチと被らないように鈴音コーチとお呼びしてよろしいでしょうか?」
「オッケーそれでいいよ。実は昨日の県予選見に行ってたから玲花ちゃんのことは知ってるんだよねー。君、すごくいいと思うぜ」
「ありがとうございます」
終始テンションが高めな鈴音コーチといつも通りクールな北条先輩。対照的な2人だ。
「僕は春野あさひって言います。鈴音コーチ、これからよろしくお願いします」
「あさひちゃんね。はいよろしく〜。親父、今日は自己紹介だけでいいか?」
え? この人帰るつもりなのか? びっくりなんだけど。
「言い訳あるか。ほれ、ラケットは用意してある。さっさと2人と試合して見てやりなさい」
「ちぇ。わーったよ。でもこの後予定あるから1試合だけな」
「いいだろう。その代わり真剣にやれよ」
「はいはい」
頭をボリボリかいて渋々ラケットを受け取る鈴音コーチ。この人、大丈夫なのか?
「あさひ、ちょっと」
北条先輩に小さく手招きをされたのでコーチと鈴音コーチから少し離れた場所に行く。
「あの人、つい3年前まで現役のプロだった選手よ。日本代表に選ばれて世界選手権にも何度も参加してる」
「本当ですか!?」
「間違いない。試合中に肘を痛めてそこから半年後に突然引退しちゃったんだけどね。治らない怪我じゃないし、まだまだこれからの選手だったはずなのに、どうしてこんなところに......。それに、選手時代と印象が全然違うし」
「ヤンキーみたいですよね」
「あんた、ストレートにいうのね。まあそうなんだけど。とにかく実力は申し分ないどころかトップ中のトップだった人ってこと。これはチャンスよ。引退したとはいえ、現代のプロの実力を生で見れる」
金田コーチは元プロだったとはいえ歳が歳だ。現役時代と比べてかなりの衰えがあることは仕方がない。
反して鈴音コーチは怪我をしてそこから卓球を続けていたのかどうかわからないが、つい3年前まで現役だった選手だ。ブランクがあっても、たぶん僕や先輩よりも強い。
「2人とも作戦会議はもういい? あたしはいつでも準備オーケーなんだけど」
「すみません。大丈夫です」
「さあて、さっきも言ったけど予定あるから1試合だけってことでよろしくー。んで、問題はどっちと試合するからなんだけどー」
ラケットでピンポン球をリフティングしながら話す鈴音コーチを見て、元プロの実力の高さを肌で感じた。
ただのリフティングなら僕でもできる。鈴音コーチがやっているのはいろんな回転をかけたり、ラケットのエッジで打ったりと一球一球いろんな打ち方だった。
ラケットを自分の手と同じような感覚で扱うことができる選手なんだ。研ぎ澄まされたボールタッチのコントロールがないとこんな芸当はできない。
試合もしてないのに、こんな遊びみたいなことでもプロの凄さって伝わるんだなと勉強になった。
「玲花ちゃんにはごめんだけど、あさひちゃんと試合させてもらうね。昨日の県予選で玲花ちゃんの実力は大体わかってる。良いとこも、悪いとこもね。あとで教えてあげるね」
「楽しみにしてます」
「あたしが言ったところ直せば、てっぺん取れるよ。もちろん全国でね。そんくらいのポテンシャルが玲花ちゃんにはあると思う。もっと自分に自信持ちな」
「はい。ありがとうございます」
鈴音コーチのアドバイスか。それ僕もめっちゃ聞きたいんですけど。
だって、僕の視点と鈴音コーチの視点でどれくらい分析能力に差があるのか比べられるし、そこを物差しにして今後どういう視点で分析すれば良いかの勉強にもなる。絶対先輩と一緒に聞きに行こう。
「あさひちゃんはまだ実力を見れてないからね。実績もまだないけど、親父が認めたってことはポテンシャルは期待しても良いのかな。まあこれから見てあげるよ。3セットマッチ、全力でかかってきな」
「はい!」
たぶん今まで試合をしてきた中で1番強い相手になる。
僕が今できる全部のプレーを出す。実力を見てもらうための試合でも僕は負けたくない。絶対に勝つ。