第四話 VS北条玲花
試合の前に軽くラリーをして今一度ラケットの感触を確かめる。
新しいラケットは前のラケットと比べてちょっとの力で球が弾むし、回転のかかり方も全然違う。
今までと同じ感じで打つと球がオーバーしてしまうから、力の調整が必要だ。
それにラケットもラバーも厚みが増したからその分重くなっている。前よりも勢いがつきやすくなったから、そこも考えて攻撃をしないといけない。
ラケット一つ変わっただけでこんなに違ってくるなんて思わなかった。でも、使いこなせたら前よりも出来ることが格段に増える。
ラバーは違うけど、このラケットは土屋選手と同じラケットなんだ。僕の実力次第で、あの領域に近づける。
「「最初はグー、じゃんけんぽん!」」
僕の負け。
「レシーブ」
北条先輩はレシーブを選択した。
ピンポン球を受け取り、サーブの構えを取る。
サーブの種類はあれから増えていない。いまだに右回転と下回転のサーブしか使えない。
でも、ラバーが変わって回転量が以前とは比べ物にならないほど上がった。コーチとの試合で、サーブの後の対応も前より的確の出来るようになった。
僕だってレベルアップしてるんだ。
まずは右回転のサーブから!
ドライブと同じで、ラバーにピンポン球がしっかりかかると音が静かに鳴る。
完璧!
綺麗な右回転がかかったサーブはネットを超えた後、短くそして台のエッジに逃げるように曲がった。
北条先輩はどう返してくる?
『チキータか!』
真横の突き抜けるようなチキータだった。フォアは間に合わない。それに、コースがギリギリ過ぎてカウンターも間に合わない。
ここは一度、球を拾うことを優先して高めに上げる。
相手のチャンスボールになるのは想定済み。かといって、後ろに下がり過ぎてもこの前のコーチとの試合みたいにフェイントがある。
前目で構えて、あえて強打を誘発する。多分先輩の位置からならフォアで僕のフォア側に返す方が自然だ。
反射では間に合わない。ここは山を張ってフォアで構える。
バチんと強打の音がなり、直後フォア側にピンポン球が飛んできた。読みは当たり。
僕のカウンターがバックストレートに決まり、1点が入る。
すごい。やっぱりこのラケットはすごいや。いつもならもっと力強く振んないと力負けするのに、軽く振っただけでこんなに威力のあるカウンターが出来る。
次も同じく右回転のサーブ。今度は長めに出して揺さぶってみる。
が、これは失敗だった。
バック側に出したのに、先輩は回り込んでドライブで返してきた。
フォアストレートに決められて、そのまま追いつけずに僕の横を通り過ぎた。
キレキレのドライブ。さっきのチキータもそうだったけど、先輩の卓球は攻撃型だ。
後ろに飛んだ球を拾いに行くと、壁に向かってまだ前に進んでいた。すごい回転だ。
「このドライブを返すには、角度をつけたブロック。それかーーコーチがやってたみたいに」
「何ぶつぶつ言ってんの?」
「いえ。さあ、先輩のサーブですよ!」
「なんでそんな笑顔なんだか。まあいっか」
いろんな案が浮かんでくる。選択肢が増えると、戦術に幅ができていろんな展開の卓球ができるんだ。
僕が目指してる卓球に少しでも近づいてる!
北条先輩のサーブ。これは、YGサーブだ!
僕がまだできない左回転をかけるサーブ。腕を自分の体から前に差し出すように振って、手首使って回転をかける。
コースは僕のバック側。軌道も短くて隙のない綺麗なサーブだ。
ここは左側を擦って受け流すように返球する。
うまく擦れた。軌道は低い。だけど、この長さならドライブでの返球がある。
先輩ならきっとそうしてくる。そして狙うコースは対角線のフォア側!
先輩のラケットに球が当たる。僕は大きく後ろに下がった。
狙われたコースはフォア側。
普通のブロックだと多分弾かれる。それに返球できても相手のチャンスボールになってしまう。
この距離だとカウンターも無理。
だから、金田コーチのフォームを思い出す。あの時のカットのフォームを。
前までのラケットだったら力負けしてた。でもこのラケットとラバーなら、逆回転をかけてカットできる。
ピンポン球の下側に回転をかけて、切るように打つ!
逆回転がかかった球はネットをスレスレに、低軌道で超えて、相手に攻撃のチャンスを容易に与えない。
先輩は僕のカットをループドライブで対処する。次のカットで対処。その攻防が繰り返される。
だんだん先輩のドライブの回転量、狙うコースの癖、カウンターのタイミングが見えてきた。
そしてーーフォアにきたタイミングで僕はカットの構えをやめた。
ドライブへのカウンタードライブ。今先輩の頭にはこの選択肢はない。
意表をついた僕のドライブは先輩の右横を通り過ぎた。長い攻防を制した。
今のやりとりで先輩は僕への対応策を考える必要ができた。僕の選択肢が増えれば、相手の対応の選択肢も増える。
試合の中で時々カットを混ぜるのはアリだな。
「おいおい、あさひお前......」
「コーチどうかしました?」
「いやなんでもない。これで2-1だ」
まだまだ試合な序盤。でも、着実に成長してる。前とは違って対処できてる。相手が北条先輩でも、僕の卓球が通じてる!
*****
『天才』俺はこの言葉が好きじゃねえ。理由はその言葉一つで、そいつの努力を全部否定しちまうからだ。
若い頃、俺はいろんな奴に天才と言われて生きてきた。俺がどれだけ努力してるかもわかってねえ外野の人間は天才だから俺が強いと勘違いしていた。
そうじゃねえ。確かに人より才能はあったかもしれない。でも、天才が天才たる所以はそうじゃねえんだ。
自分で自分の才能を磨き続ける奴が、天才になれるんだ。
どんなに才能があったって、その才能を持て余してる奴は世の中にたくさんいる。そんな中でただひたすらに自分の才能に向き合い、研鑽を積んだものだけが天才になれるんだ。
それを踏まえた上であえて言わせてもらう。
あさひ、お前は天才だ。
卓球が好きで、いつでも卓球のことを考えていて。どうすれば自分が強くなれるか、自分の頭で考えてなんでも吸収して己の糧にしちまう。
卓球を初めてたったの3ヶ月ちょっとでこのレベルになったのはこいつが誰よりも卓球が好きだったからだ。卓球に対するこいつのひたむきな執念が、この脅威の成長スピードにつながってるんだ。自分の持ってる能力を全部使って、卓球の上達に励んだ。
その結果が今、こうやって現れている。
反対に、玲花は最近伸び悩んでいる節があった。うちに来た時から高いレベルの選手ではあった。
みるみるうちに実力を伸ばしていったが、いつしか焦りのようなものが見えるようになった。特に最近はそれが顕著に見えた。
俺が話しても聞く耳を持たなかったが、この試合で何かを掴んでくれたら。自分自身の殻を破ってくれたら、玲花はもっと伸びるはずだ。
*****
なんなのこいつ。セット数を重ねるごとに、こっちの考えを読んでるみたいに対応してくる。
これっぽっちも舐めてなかった。一年生だからって油断をするなんてことはあり得ない。だって、コーチに認められたってことはそれくらい実力があるってこと。
だから最初から全力だった。なのに......。
気づけば2セット取られてる。1セット目は互角だったけど私が取った。でも2セット目からは全部あいつの流れに持ってかれてる。
どうして、どうして? あいつの方が才能があるから? なんであいつに勝てないの!
私の方が先にここにいて、毎日毎日努力してるはずなのに。なんで......。
4セット目。ここで取られたら私の負け。何がなんでも取らなければいけないゲーム。一見私の方が状況的には不利に見える。でも、先行している相手にもそれなりの緊張はある。
相手としてもここで決めておきたいからだ。フルセットになった場合、直前のセットを取ったプレイヤーが流れに乗る傾向がある。
追い詰められてるのは私だけじゃないーーは?
この状況なのに、なんで口元が笑ってるのよ。ここは緊張する場面でしょ!
サーブは私からだ。あいつは私のサーブにも対応を重ねている。次々いろんな返し方をしてくるから厄介。
私の行動を揺さぶるように毎回違う返球をしてくる。それに付き合ってたらキリがない。1番得意な技で迎え撃つ。
あいつはまだ私のドライブの回転を完璧に返球できていない。だからカットで時間を稼いでくる。
もっと台を広く使わなきゃ。あいつが追いつけないくらいのスピードで、回転で!
サーブはもうシンプルでいい。下手に対応され続けるより、こっちがレシーブて対応してやる。
後輩に負けてらんないのよ!
下回転のサーブを打ち、ツッツキでこちらに返ってきた。
私のドライブを警戒してバック側に返球されたけど、関係ない。無理やり回り込んで、ドライブで打ちかえす!
さっきより膝を深く落として、縦の回転重視でドライブの威力を上げる。相手のバッククロスへ打つ。できるだけエッジ側を狙って、追いつけないように。
たとえ追いつけても、今までより回転が上がってる。初見でこれを返すのは至難の業だ。
さあ、どうする! 今までの対応力を見せてみなさい!
あいつが選んだ選択は、ブロックだった。
この土壇場で、今までと違う選択!?
さっきまではカットかカウンターだったじゃない。なのに、ここでブロックなの!
まさかーー私のドライブへの回答ができたというの? でも、さっきまでより威力が上がってるから回転の分析は出来っこないはず。
考えても仕方がない。ブロックで帰ってきた球をもう一度打ち返すだけ。少し台と距離を空けて、どこにきても対応できるように集中するんだ。
パァン!
完璧な角度にラケットを当てるタイミングが重なったブロックは、相手の球の勢いを殺さずに反射するように跳ね返る。
あいつがやったのはカウンターブロック。
バック側に打ち返された球に私は追いつけなかった。
今の一連の攻防で私の脳裏に敗北の文字が過ぎる。もう、目の前の敵に私は勝てない。
自分とは別の世界にいる人間だ。この試合であいつはどんどん進化してる。対する私はどうだ? その差はどんどん開いていっている。
ここが私の限界なんだ。これ以上先に私はいけない。
「よし!」
あいつがガッツポーズをした。その声に反応して、ハッと頭を挙げると、無邪気に喜ぶあいつの姿が目に入った。嬉しそうに今のブロックの構えを何度もやって頷いている。
点数を決めたことよりも、自分のプレーに納得して喜んでいるようだった。
......そっか。この子は、卓球がとんでもなく好きな子なんだ。
試合の勝ち負けも大事だけど、それ以上に自分自身の卓球を極めることを考えているんだ。
だから、どんな時も笑ってる。自分が不利な状況でも絶対に諦めない。
私は?
私はいつから、諦めるようになっちゃったんだろう?
昔は負けててもその状況でどうすればいいかを必死に考えて、最後まで足掻いてた。
でも、もっと上の世界を見てから自分の限界を決めつけてしまっていた。私では手が届かない世界があると。
必死に練習して自分を追い込んでたけど、いつもどこか諦めた気持ちで卓球をやっていた。
こんなことやり続けても意味がない。私の才能は結局ここまでなんだって。
そんなのやってみなくちゃ誰もわかんないのに。
最後まで足掻いて足掻いてそれでもダメだった時、そこで初めて諦めるかどうか考えても遅くないんじゃないの?
もっと自分のことを信じてみてもいいんじゃないの?
「さー!」
この試合だってまだ終わってない。ここから逆転の方法を考えるのよ!
今は相手に流れがあっても、試合が終わるまで結果は誰もわからない。
私だってこの試合で成長できるんだから。先のことなんてもうどうでもいい。
今はただ、こいつに勝つことだけを考えるの。
もう一度、下回転のサーブから。
展開はさっきと同じだけど、返ってきた球がさっきよりも短い。これじゃあドライブはできない。
だからまずはフリックで放り込むように返す。相手のチャンスを作らないようにできるだけ手前に落とすように。
今度はバック側にプッシュするような返球が来た。この高さなら、台上で薙ぎ払える!
ここはあえてバック側に揺さぶるのではなく、フォアに攻撃を集中させる。
次の返球ももう一度フォア側に打つ。今度はさっきより強い威力で!
この攻撃に、あいつはフォアでのカウンターを選択した。
球の行き先は、私から遠いバック側だ。脳が認識するよりも先に、私の足はもう動き出していた。
ステップの勢いを活かして体を軽く捻り、そのままバックスマッシュを繰り出す。
さっきまでフォアに集中していたのはこのための布石。あいつは今、意識がフォアに集中してる。
だからここでバックに攻撃をすればーーあいつは綺麗な体制でブロックができない!
ギリギリラケットに当たっただけの球は宙を舞い、山なりの軌道を描いて私の方へ飛んできた。
絶好のチャンスボール。私の狙いはこれだった。
勢いをつけて、上から叩きつけるように今度は反対側のフォアに打ち込む。
キュ!
その攻撃に反応しようとあいつの足が素早く動くが、間に合わない。
「っし!」
一点取っただけなのに、今までやられてた分やり返した気がして気持ちが昂る。
これだ。私が忘れてた感覚はこれだったんだ。
試合中は勝つとか負けるとかごちゃごちゃしたことは考えなくてもいいんだ。
一点一点目の前のことに集中して、それを積み重ねる。その結果が勝利なんだ。
もう迷わない。立ち止まらない。やけくそにならない。
私は、私の卓球をやるのよ!
*****
先輩の雰囲気が変わった。
さっきからプレーに迷いがない。攻撃の威力も尻上がりに上がっていってる。
今は何とか食らいついてるけど、このままだと僕の体力に限界がくる。
どうする? あの威力のある球にどう対処したらいい?
カウンターか。でも、威力がまばらで毎回綺麗には決まらない。この点差のない状況で試している余裕はない。
僕が今まで見てきたプレーで、こんな状況に対応しているプレーはあったか?
記憶を遡り、思い出す。
それは、僕の卓球の原点。土屋選手の粘りの卓球だ。
ブロックの瞬間に、ラケットのを上向きにしてドライブの威力を相殺する。試合のスピードに緩急をつけて、僕自身が次のポジションに行けるように時間を稼ぐ。
そしたらもっとラリーが増える。粘れば粘るほど、より大変なのは先輩の方だ。
先輩のサーブから展開されたラリーは、この試合の中で一番の長さになった。
お互いが一歩も引かない攻防の繰り返し。そして、ついにそのラリーが途切れた。
フォア側から外に逃げるようにギリギリを狙った先輩のドライブがオーバーした。
「はぁはぁ」
先輩のが息を切らしている。僕もすでに限界に近い。先輩のドライブに追いつくために左右へ素早いフットワークを行ったからだ。
でも、攻撃の動作がなかった分まだ余力がある。
8-9、僕が一点リードしている。でもこんな点差あってないようなものだ。
パァン!
右回転のサーブへのフリックが甘く入ってしまい、先輩の速攻が決まった。
9-9。もう追いつかれた。次は僕のサーブから。
僕のサーブは点を取れる武器にはならない。勝負は先輩のレシーブから展開されるラリーで決める。
下回転のサーブを短めに出して速攻を封じ、ツッツキでのラリーが展開された。
そして、少し浮いた隙をついた先輩が台上でドライブを放つ。
この回転量ならカウンターできると判断し、すかさず僕も攻撃に転じる。
激しい撃ち合いが始まる。
思考よりも先に体が反射で動くこの状況で、一瞬バッククロスの手前側がスポットライトで照らされたみたいに明るく光って見えた。
そこへ向かってすかさず打ち返すと、球は先輩のラケットの横を突き抜けた。
......今。今一瞬だったけど、どこに打ったらいいのか無意識に分かった。
僕の経験値が上がったから、瞬時にああやって判断できたのか?
まあいいや。まだ狙ってできることじゃない。あんまり意識しすぎない方がいいかも。でももし狙ってあの判断ができるようになったら......絶対凄いことになる!
これで9-10。僕のマッチポイント。
試合は先輩のレシーブミスであっけなく終わりを迎えた。
僕が放ったサーブを今まで一度もミスせずに返してきた先輩が、最後の最後にミスをした。
「「ありがとうございました!」」
つ、疲れたぁ。
今までの試合で1番疲れたかもしれない。
僕の卓球にできることが増えたから、その分色々やって体力を消耗したからだ。
先輩は僕以上に疲れているように見えた。攻撃してる時間が僕よりも圧倒的に多かったからだ。
「玲花、あさひ。お前ら一回休憩してこい。飲み物はあるか?」
「持ってきてます」
「私もあります」
「そうか。じゃあ休憩で」
ラケットを一度台の上に置き、先輩が外へと向かう。
僕も先輩の背中を追いかけるように外へ向かった。
「北条先輩」
「外で座って話しましょ」
「はい」
カバンから水筒を取り出して、僕たちは外のソファに腰掛けた。
「ひー」
体から力が抜けていく。このソファ座り心地がいいんだよね。
「名前、何だっけ?」
「春野あさひですよ」
「あさひ、あんた強いのね。これっぽっちも油断してなかったのに、普通に負けちゃった」
「今日は僕が勝ちましたけど、次は分かりませんよ。だって、先輩ももっと強くなりますし」
「......そっか。そうね。まだまだこれから、よね」
「もちろん負ける気はないですよ。僕ももっともっと強くなります」
結局先輩のドライブには最後まで力負けしてしまった。あのドライブを強打で打ち返せるようにならないと。
課題はまだまだ多いな。
「明日から部活行くから」
「いいんですか!」
「約束だし。でも意味がないって思ったら辞めるからね」
「2人で練習すれば絶対強くなれますよ。明日から早速頑張りましょう!」
「はいはい」
先輩、別に嫌そうな感じではないな。強引に誘っちゃったけど、納得はしてくれたみたい。
これで先輩の負担が少しでも減るはず。
「戻ろっか。もうだいぶ休んだでしょ」
「はい! コーチにさっきの試合の課題を聞かないとですね」
その後は北条先輩とペアを組んで練習をした。
最初に会った時は刺々しかった先輩だったけど、話してみると凄い話しやすいし、結構優しい。
それに、意外と笑顔が多い人なんだなってことがわかった。
次は玲花がメインの話を進めます。あさひの試合はちょっとの間お休みです。