ネコネコ・ペタバイト・サイコシス⑤
想実さんに付き、複雑な廊下をひたすら歩きます。いったいどこへ向かっているのか。いつになったら出口へ、お兄ちゃんと合流できるのか。
「誰だ貴様は!」
「きゃっ!」
殺気だった声が響き、わたしは身を竦めました。ですが、想実さんは全く表情を崩さず、ボイルドを倒す糸と同じもので信者の人を縛り上げました。とどめとばかりに壁へ叩きつけます。響いた鈍い音に、わたしはますます縮みあがりました。
「ぐわっ……」
どさりと倒れる人影。
「ヒメサマ、コワイノ?」
「ち、ちょっとだけ……ちょっとだけ、だよ」
「大丈夫。目的地には着いたから」
そう言って想実さんは笑いました。
大きな、コンサートホールの出入り口のような扉。黒塗りで重く、銀色のいかめしい取っ手が付いています。
「これが、出口……ですか?」
「いいえ」
首を振ると、扉を開けます。錆びついた音とともに、湿った空気が溢れてきます。思わず鼻を押さえました。
「姫花さん。あなたにはもう一つ、やってほしいことがあるの」
「この先は、施設の中央に繋がっているわ。ここで、歌を発動させてほしいの」
「は、はい。ボイルドがいるんですか?」
想実さんは、黙って頷きました。
扉の先は、広いホールのような場所でした。天井は破れ、空からは。
「ひゃ……」
垂れるように、ボイルドが存在していました。大きさは二回目に出会ったものよりも、遥かに大きく、広い部屋を埋め尽くしています。上からムリヤリ詰め込まれたように顔と体の半分がひしゃげ、地上に降りてきている半分も、砂に覆われていました。
「この巨大ボイルドに、「もう狙われないように」って祈るの。ボイルドが作用して、この人達を捕獲に走らせているわ」
「このボイルドを倒さない限り、次なる組織が出てくることに変わりはない」
「そんな……」
永久に狙われる、なんて。
「そうならないために、歌うの。できるわね?」
「はは、はい!」
◆
「なんだ、これ……!」
走り回って辿り着いた場所には、見たことがないほど大きなボイルドがいた。長谷部は驚愕するが、緑海は楽しそうに見上げる。
「すっげぇ、こんなデカイの初めて見た!」
「はしゃいでる場合じゃねぇよ、早く倒さなきゃ!」
扉が乱暴に開かれる音。そして響くのは。
「長谷部様!」
「長谷部様だ!」
「早く石膏像を造らなければ!」
信者だった。
「まだ言ってんのかこいつら」
「神のお告げだからじゃね?」
心底げんなりするが、鉄と鉄が擦れる音……銃は脅威だ。ボイルドを倒しながら、こいつらもなんとかしなければならない。
さらに、誰かが叫ぶ。
「ぷーぺ様!」
「姫花様だ!」
心臓が止まりかけた。
「姫花が……!?」
「姉ちゃん、あの子を連れてきたのか!?」
◆
現れたわたしに、信者の人たちが口々に叫びます。
「我らに粛清を!」
「正しき道を外れた人間に裁きを!」
……その熱量は凄まじくて、ギラギラした目に射抜かれてしまいそう。
けれど。
ここから帰るために。
お兄ちゃんを救うために。
わたしは、無意識の縁に立つ。
声を張り上げると、研究所の全てが見渡せます。誰かを強化する力を、今はこの場所に溜まった、悪い怨念を浄化する力に変えて。
◆
旋律に合わせて、空気が振動していく。耳鳴りでもなく、風ではなく、地震ではなく。決して不快な感覚ではない。
「空気……いや、世界が振動しているんだ!」
「歌は改変を呼び寄せる! 止めさせろ!」
信者の一人が、姫花の方角へと銃を向ける。一瞬で思考が熱され、長谷部は信者へと自在武器を向ける。一直線に、その首を狩りに……!
「ごふっ!?」
足を引っかけられた。顔面から転倒はしなかったものの、思い切り床に肩をぶつける。
「な、なにすんだ!?」
「今するべきは信者のフルボッコじゃねぇだろ?」
正論。
「あいつらは俺に任せて、お前はあの改変怪物を叩け! お兄ちゃん!」
「お前に兄ちゃんって言われる筋はねぇよ!」
ボイルドに斬りかかる。直前に飛びかかってきた信者は、額に矢を当てられ吹っ飛んだ。背後からは「これこんなこともできたんだなー! すげー!」と緑海の能天気な声。戦場にいるとは思えないテンションが気になるが、目の前の脅威が全てだ。
超巨大だけあってか、口には身長ほどもある牙がびっしりと並び、大きなヤシのような葉っぱがあちこちに絡み合っている異様な風体だ。
見れば見るほど懐かしくなる。
(……懐かしい?)
困惑を振り切り、刃を一閃。姫花へとツタが伸びあがっていく。これも一閃。
もし、想実と出会っていなかったらどうなっていただろう。……簡単なことだ。ただ食われて死ぬだけの、ただの人。こうして姫花を守ることもできず、ただ死んでいくただの人。
固い上に巨大。自在武器を脚に着け、大きく飛び上がる。一面に広がる綿。苦渋の呻きも聞こえないが、意志ある生物の血飛沫に似たもの。
回想する暇もないほどの中、囁きが思い返された。白い女性の、慈愛に満ちた囁き。
(これでいいんだよな)
『ええ。これでよろしいのです、坊ちゃん』
自在武器の声が、直接脳内へと響く。
「……さっき、白い誰かにに言われたんだ。どんどん殴りなさい、って」
「想実様が正しい。絶対的な暴力には、惜しみなく反抗するのです。事実、誰かの為に戦う今の姿は、勇ましいものです」
「サンキュ」
短く答え、再度ボイルドへと向かう。
しかしその時、刃が跳ね飛ばされた。
「やべっ……!」
負けるわけにはいかない。例え身一つでも、まだ……!
信者の一人が、こちらを向いた。銃口が、長谷部の方へと向いている。反射的に身構え、そして。
誰かが叫んだ。
「ロードローラーだッ!!!!!」
文字通り、ロードローラーが壁を割って突っ込んできた。驚きよりも、嫌な予感が背中を駆けあがる。こんな派手なことをする奴は……!
「ハッハー! 元気そうだな長谷部! 御大層なモン下げやがってよ!」
「……」
一番見たくなかった、この状況を見せたくなかった人影。グレースーツの細い男。
「え、アイツが木島さん!? あんな派手なことしでかす人だったのか!?」
緑海の驚愕には答えず。なぜここにいる、なんてことを考えず。
無言でボイルドの方面に弾き飛ばした。自在武器から伝わってくる極めて冷静な思考は、弾一つでロードローラーの進路を変えてくれた。焦ったような男の声が聞こえる。木島もテンパっていればいいのに。
けれど。
(……助けられた)
……感謝なんてしないが、ただ思った。
◆
ボイルドと、目が合いました。
ボイルドは巨大な体の全てから、悪意を放出していました。
えぇ。お前は獣を目覚めさせ、人々を傷付けたいのでしょう。
……消えろ。消えてしまえ。わたしたちを害する者。
怒りで沸き立つ心をも、歌は包んでいきます。
大切な世界を守りたい。
わたしの意識は、無意識は願います。この穏やかな日々を、平穏な世界を続けたい。狙われ、怯える日々など送りたくない。
思い出せないほど昔も、わたしはそう願ったのです。それは、今も何も変わらず。
願いを込めて、旋律をひたむきに織り上げてゆきます。
ボイルドも、ホールも、信者の人も。想実さんも、お兄ちゃんも、何もかもが煌めいて見えます。それは確かな光となって、全てを包みました。
旋律に乗って、生まれた光が瞬くように回転し……頭の芯が、ふわーっと開いていきます。まるで空からわたしに向かって、一点の孔が明いているような。
わたしの心は世界へ溶け、わたしの願いを叶えてゆきます。施設に渦巻いていた悪意は、欲は消え、薄れ、暖かい空気だけが取り巻いてゆきます。絶大なエネルギーは渦を巻き、ボイルドを呑み込んでゆきました。渦の中に、綿となって消えていくボイルド。最後の一糸が消えると、重苦しい雰囲気がふっと消えてなくなりました。
お、終わったの?
歌を止めると、どっと疲れが沸き上がってきました。思わず倒れ込むと、背後から温かい腕に抱き留められました。
「やったな、姫花! お前が倒したんだぞ!」
「お兄ちゃん……」
「よくやったわ、姫花ちゃん。成功よ」
想実さんが頭を撫でてくれます。
周囲は、何もかも変わったようで、何も変わっていないようで。天井がなくなったホールから、名残りのように小さな砂が落ちています。
ふらふらと、信者の人たちが起き上がりました。わたしもお兄ちゃんも警戒しますが。
「わ、私は何を……?」
「このメスはなんだ?」
「ホ、ホールが壊れている!?」
誰もがうろうろと、ふらふらと。ぼんやりとしたまま、実感が無さそうに周りを見回しています。
「どうしたんだ、こいつら」
「ボイルドに操られていたから、その反動ね。すぐ正気に戻るわ」
そして、想実さんはスマホを取り出します。
「晴海。車を出してもらえる?」