ネコネコ・ペタバイト・サイコシス②
「……あの」
わたしは不思議な場所にいました。
目の前には、玉座に座った偉そうな女性がいます。わたしはごく自然に話しかけていました。夢の中だからでしょうか。
「なんじゃ。わらわは機嫌が悪い。後にせい」
「で、でも……これは、まずい状況だよ……」
「まずいもうまいもあるかいっ。貴様は今縛られとるのにっ!」
そうです。
わたしは今、縛られているのです。
わたしが歌って、大きなボイルドを倒して、みんなでご飯を食べたところまでは覚えているんですが、そのあとが何も分からないのです。
気が付くと目の前が真っ暗で、何も見えなくて、ただ布らしきものが目に巻かれているのと、縄のようなもので椅子に縛られている……そんな猟奇的な状況しかなく。
夢の中で、そんな危機だけがリアルに思い返せるのです。
「大体な小娘、貴様がぼけーっとしておるからこんな目に遭うのだ! 大人しくわらわが! 人類を喰う獣が目覚めておればこんな事態は起こらんかったわ!」
「そんな無茶苦茶な……」
そうか。この人、あの獣なんだ。
でも、そしたらみんな食べちゃうじゃないですか。全人類の危機じゃないですか。
「責任取ってなんとかしろっ!」
「できないよ!」
そんな奇術師でもあるまいに。
歌は、お兄ちゃんと想実さんがいないと使えないし。なにより二人を強化する歌で、縄が解けるとは思えません。
でも、彼女が手伝ってくれない以上、自分でなんとかするしかありません。
現実に戻って体を揺らしてみるけれど、寂しく足が揺れるだけ。黒一色の視界が、よけい不安を増幅します。
「その意気じゃ小娘。もっと揺らせ揺らせ」
夢の中なのに、獣の声だけが聞こえます。
「倒れたらどうするのっ。確実に起き上がれないんだよ!」
適当に言われると、腹が立ちます。この子、関係ないと思っちゃって!
「起き上がれないと、犯人にひどいことされるんだよ! こんなに縛り上げる人だもん、きっとすっごくひどいことされるよーっ!」
「ぴーぴー泣くな。小娘に何があろうとわらわには関係……ん?」
彼女はふと、何か思いついたような声を出します。
「いやすごく関係ある。小娘が食われたらわらわ……わらわも死ぬではないか!」
「今気づいたの!?」
「小娘、今すぐお前の体を貸せ! 神の獣の力で縄如き破いてやろう!」
「み、みんな食べちゃわない!?」
「条件として一人……ああもういいわ、一回くらいオマケしちゃる!」
途端、頭の芯がすうっと冷えて、果てしなく眠くなるような感覚。自分がどこか遠い所へ消えていくような……。
薄ぼんやりとした視界。自分の体のはずなのに、誰かの、彼女の意志で動き出して。
「憤怒ッ!」
獣が力を込めた途端。
椅子が倒れました。
最悪の展開でした。
「……」
わたし、放心。
「……」
彼女、沈黙。
「……そもそもさ」
その状況を紛らわすように、獣が口を開きました。
「何故捕まった。よもや盗み食いしたわけでもあるまいに」
「判んないよう……うぅ、お兄ちゃん……」
「泣き言は巣に帰ってからでも吐けるだろう。ともあれ」
肩からにゅるんと出てきたのは、ネコのようなトカゲのような頭。あぐあぐと縄を噛みますが、繊維の切れる音は響きません。
「ふむ、やはり無理だな。今は縄も無理か。あんの呪術師目、こんな状況を想定できんとは」
「呪術師?」
そんな肩書といえば、想実さんですが……あの人は、一体どうしているんでしょうか。
わたしが指を動かしても、縄は強く締められていて、爪如きでは太刀打ちできません。
かじかじ、かじかじ。
一人と一匹で途方に暮れます。
「イケメンでも来ぬのか。神に繋がる存在がピンチの時は、必ずやイケメンが助けに来てくれると決まっておろう」
「どこで知ったの、それ」
雑談なんてしている暇はありません。けれど、少し錆がかった甲高い声は、本当に少しだけ、恐怖を紛らわせてくれました。
「雑談はよそう。早くここから脱出しないと、お兄ちゃんが心配しちゃうよ。きっと今も、わたしのこと探してるよ……」
「ふん。一人の人間に固執するか。わらわ的には食える人肉が増えて好都合なのだがな」
……こいつ、どこかで燃えるくずかごに出せないかな。
怒りが燃え、縄に爪を立てました。相変わらず爪の間を痛めるだけでしたが、ほんのわずかに手ごたえがありました。
と、ひらめき。
「……そうだ! 肩から出れるなら、今、周り見えるよね!?」
「そういえばそうだな!」
この子、脳味噌の大きさネコ並み!
「ふむ。小娘のしているのはアイマスク。縄は太いな」
「だ、だれかいる?」
「おらん。小娘だけだ。殺風景な部屋だな、わらわがいた部屋よりつまらん」
彼女がいた部屋……わたしの家でしょうか?
「なにかないの?」
「なんもない。通風孔だけじゃ」
「そんな……」
……なんのために?
余計ぞっとします。身代金目的? ……ひょっとして「オトウサン」? あああああのばか「オトウサン」、ついに娘を巻き込む立場に!?
「……どうでもよいが、何故父親がカッコ付きのカタカナなのじゃ……?」
小さな声が聞こえてきたのは、その時でした。
「……もしもし、もしもし」
男の人の声です。少し高くて、優しそうな。覚えはありませんでしたが、どこか能天気な雰囲気からは、敵意は感じられませんでした。
「聞こえているかい? 聞こえてたら返事を返してくれるかい?」
「は、はい、聞こえてます!」
思わず声がひっくり返りました。
「……はて、この声、聞き覚えしかないような……」
「よしよし。うまく通信できてるね。僕の名前はサンドラ」
「待て、サンドラ、とな?」
急に獣の声が高くなりました。まるで、思いがけない出来事に出会ったような。
「あのサンドラか! いや「あの」も「どの」もひとつしかいないな!」
「そう! あのサンドラだよぷーぺ! 久しぶり! また捕まってるね! 相変わらず人間に関わるとロクなことないよね!」
……ぷーぺ? この子、ぷーぺって言うの?
「はーっはっは、いわゆるドジったというものだ! しかしお前がいるとなれば事態は万全。今すぐ全人類を喰らいつくしてやろう!」
「の前に縄を解こうね」
「そうだった! ハイテンションになると忘れるな! はっはー!」
(す……すごいハイテンションだ……)
あまりにハイテンションすぎてついていけません。
「小娘、よく聞けよ。こやつはサンドラ。わらわの相方であり、知略を以て食料を調達するぷーぺの雄! わらわと組み、よく巨大生物を仕留めたものよ!」
「そ、そうなんだ……」
獣、オスとメスがいたんですね。
ようやく縄が解け、自由になりました。目の前には、頭が山型の、Tシャツのロゴみたいな形のぷーぺ。これが、サンドラ……さん。
「さあ、これで準備は整った! サンドラ、お前の知見を聞かせてほしい!」
「はよ帰れ」
サンドラさんの返事は簡潔でした。
「えー」
ぷーぺ、すごく不満そう。
「だって一網打尽にできるんだぞ? お前だってわらわと一緒にいたいだろ」
「そりゃやまやまだけど。キミこそ言ってたじゃないか。成人するまで待つって噂、どうなったのさ」
サンドラさんは不満そうに頭を揺らします。ぷーぺは気まずそうに視線をそらしました。
「それに、一見するとキミはその女の子にくっついたままじゃないか。くっついたままで狩りはできないだろ」
「む、無視れば」
「キミがくっついたままってことは、なにかのっぴきならない事情があるってことだ。それは無視できるものじゃないだろう」
「ぐ、ぐぬぅ……」
すごい。サンドラさん、あっという間にぷーぺを黙らせてしまいました。というか、こんなに言うことを聞くぷーぺを初めて見ました。
「ならばせめて、お前がついてくることはできぬのか」
「そのことなんだけど……」
こちらに向かってくる足音が聞こえてきました。
「こ、こっちに来るよ!」
「よし。わらわの牙が本領を果たす時が来た」
それじゃいけない。ぷーぺに人を襲わせちゃいけない。怖いけど、これはわたししかできない役目なんだから。
「でも、今すぐ出れば見つかる可能性は少ない。この施設はまだ人が少ないからね。実働部隊で五人、精鋭もとい人材不足だ。人事部の人がぼやいてたよ。そんなんだから、女の子の足でも逃げ切れると思う」
「あ、ありがとうございます……サンドラさんは無事なんですか?」
「通信だからね。あと僕の仲間が売店してるよ」
「売店!?」
「全く……合法的に食べるチャンスだったというのに」
「文句言わない。その時が来れば、いつでも食べれるよ」
◆
部屋から出ると、我に返ったように現実が押し寄せてきました。微かに漂う、お香のような香り。微かに響くお経のような声すら聞こえるほど、神経が張り詰めています。
そうっとドアを閉め、廊下を駆けます。病院のように白く、無機質な空間。
ばくばくと、心臓が破けそうに鳴っています。怖くて怖くて、今にも奥歯が震えて、その音でばれないか、恐ろしくて足が竦みそうになるけれど。
「行かないと……帰らなきゃ!」
必ず、お兄ちゃんのところへ。ひとりでも、なかないで、むかわないと。
だから、
「おい! 神の子が逃げ出している!」
「捕らえろ!」
「見張りが倒されている! どつき倒されてるぞ!」
遠くから聞こえてくる声の恐れを振り切り、走り出しました。
いくつものドアを見、廊下を抜け、ひたすら人気のない出口を探します。
「……あれ」
その中の一つで、わたしは立ち止まりました。他のドアと変わりはありません。何の変哲もない、白いドア。けれど、どうしても開けなければいけない。そんな気がしました。
ドアには、綿のような欠片がたくさん詰まっていました。ここではない別の場所で、夜の町で、破裂音と共に見たソレガ。けれど、不安でいっぱいのわたしは、気づくことが出来ませんでした。
ドアノブに手をかけ、まるで我が家の玄関のように、自然な手つきで開けました。
そこにいたのは、信じられない光景。
なにもかもが壊れた室内で。
倒れた男の人に、ネコミミをつけまくる兄。
……ネコミミ。
百円ショップで売っているような、けれどどこか高級身を感じる不可思議な品。
どうして。
なぜ。
何もできないまま立ちすくみます。というか道理の外れすぎた出来事に脳味噌がパージし、何も考えられません。
疑問を巡らす前に、引きつった笑顔が顔を包みます。この状況を、なにを、どうしろというのでしょうか。
「お兄ちゃん……」
お兄ちゃんがこちらを向きました。初めてぎょっとした表情を見せます。
「……ちょっと、頭冷やすね」
「ま、待て! え!?」
途端、天井が軋みを上げて落ちてきました。
◆
その少し前。
「うん。よくできてるじゃねーの」
ネコミミ地獄となったフロアで、長谷部はひとり呟いた。
あの女性の言うとおり、ネコミミをつけるってこう、相手のソンゲンもブチかましていくことだったんだな、と。
そこで制御が解けた。
「……あれ」
気が付くと、目の前には倒れ付した研究員がまばらに。
「……」
その頭には、ネコミミが。
「へっ?」
どの研究員の頭にも、ネコミミが。
「な……なんでネコミミ?」
気づくと自分の手にもネコミミ。
「!?」
どうやら自分が付けた……なんで!?
微かに思い出す。夢の中で聞こえた、悪戯という声……いやほんとに悪戯とは。
「お……お兄ちゃん?」
「姫花ッ!」
妹の視線は、ただ兄が持つネコミミに。
「……ええと、これは……だな」
途端、天井が崩れた。