ネコネコ・ペタバイト・サイコシス①
「……どこだここは?」
目覚めると、知らないベッドの上だった。昨夜はおにぎりを食べ、寝床に入り、疲れていたのかすぐ眠ってしまった。
ベッドは妙に硬い。見上げる天井は白く味気ない。
周囲を見回すと、知らない棚。知らない男。白い服を着ており、顔はマスクをしていて見えない。晴海に似ているが、彼とは雰囲気が違う。
反射的に身構えた。生まれてこの方、部屋にいる知らない男には良い目に遭ったことがない。というか不審者である。
男は長谷部を見ると、深く一礼した。
「長谷部様、目覚めましたか」
「だ……?」
長谷部様……だと?
一般高校生でしかない自分が様付け?
さらに周囲を見回すと、白い服を着た一団がいた。
長谷部の顔を見るなり、彼らも敬礼してくる。
(なんなんだ、こいつら……)
マスクの下からは、讃える言葉が。
「偉大なる獣の王の側近」
「目覚めの使者」
「姫花様のついで」
「囲っておけばなにか貰えるかな」
明らかに怪しい。それに。
「本音が漏れてるぞ」
五人中二人くらい。
ともあれ。
「あなたが偉大であることは変わりません」
「その、止めてくれよ、偉大とかそういうの。俺はホントに、単なる高校生だし、姫花も呪いを除けばふつうの女子中学生なんだから」
「……つきましては」
全てを無視し、男は続ける。
この調子では何を言っても流されるだろう。長谷部は半ば諦め、男の言葉を聞き流すことにする。何がなんだか知らないが、ここまで崇めているのならば危害を加えられることもない……のか……?
危害といえば、自在武器は何しているのだろうか。長谷部が自分の意志でここまで来たとは思えない。そもそも記憶がない。ひょっとして、連れ去られてきたのか……? そんな危機を、メンタルケアまでしてくれる自在武器が見逃すのだろうか。
「ぷーぺとは、偉大なる獣。某達はずっと待ち侘びていました、覚醒の時を……」
遠い目で、男は語る。
「……何で、ぷーぺを起こすんだよ」
ようやく、対等に話せるくらいには落ち着いてきた。
「ひ……知り合いから聞いたぞ。人類みんな食っちまうって」
想実の名前は出さないほうが良いだろう。
「想実から聞いたのですね。なにより……」
「ぷーぺは萌え萌え美少女!」
「偉大なる導きの乙女!」
頭の隅で、何かが弾けたいのを堪える。
暴れれば、取り返しのつかないことになる気がする。
「そして、その使者であるあなたを讃え、像を造りたいと思います」
「像っ!?」
そんな唐突な。
ものすごく断りたいが、断ってもこの一団、納得してくれるのだろうか。
「とにかく! 俺は帰る! 止めても無駄だからな!」
「いいでしょう。帰れるのならば」
リーダー格の男が指を鳴らした。
直後、どこからか重い音が聞こえてくる。何かが動くような、微細な振動を伴って。
音は頭上から響いてくる。照明の上、いや、その奥から……。
ぱかりと壁の一部が開き、せり出してきたのは巨大な筒。嫌な予感がした。端からてろりと白色の液体が流れ落ちる。微かに粒々したそれは、石膏に似ていた。
「あなたを、像にします」
「そういうことかよーっ!?」
想像以上に狂気に塗れていた。長谷部は逃げようとするが、他の男達が立ち塞がる。
自在武器を稼働させようとするが、動かない。
「……あれ? ちょっ、こんな時に!?」
リストバンドを叩いても捻っても引っ張っても、うんともすんとも言わない。そのうちに男達の包囲網は狭まってくるわけで。
「後、姫花様を覚醒させた後で再会させましょう。石膏越しですが」
「覚醒……!?」
銃が見えた。真っすぐ長谷部へと向けられている!(メス!? 銃!?)
やばい。やばいやばいやばいやばい。何がやばいって言わずなくとも。自在武器がない今、長谷部はただの高校生で、今死ぬのは絶対に嫌で、でも傷つけるのは許されなくて、けれど、動かなければ鉛玉が突き破るのは絶対で……!
途端、頭の隅で、何かが弾け飛んだ。
乱暴はいけない。
幼い頃、父親にそのことを嫌というほど教え込まれた。反面教師的に。
だから、今だってホントはやりたくない、そう思いたい。どんな形であれ、暴力は暴力。意志あるものを傷つけていいはずがない。
父親と同じになる、そのことが怖くて。
けれど同時に、楽しくもある。嫌になるほど嬉しい。自分の力を誇示し、ひれ伏させ、地を舐めさせる。
どこまでも落ちそうになる、それが怖くて。
いつまで「普通」の人間でいられるのだろう。
「いつまでも、だ」
気が付くと、白い女性が隣にいた。髪は白く、服も白い。天の使いのようだ、抱いていた恐怖も忘れ、場違いな感想を思う。
側に居ることに違和感はなかった。ただ当然のように、女性の声を聞いていた。
「私は言いなりになっちゃいけないところで言いなりしちゃってね。でっかくておっきい存在に、アレコレ差し出しちゃったんだ」
女性は寂しそうに。
「自分の信念の誤りで。以来、私は決めた。本当に殴るべきものは殴ろうって。だから、あなたもどんどん誇示してやりなさい。俺を酷い目に遭わせると、こんな目に遭うんだぞ、って」
「……いいんだ」
「ああ、解放してしまいなさい。君を石膏像にしようしたんだろ? そんな奴らに遠慮するものなんてない。ぜひぜひ、怒りを振るいなさい」
恐れるものが怖いなら、私が許してあげよう。
君だけは抑制されず、進みなさい。
「どうしても暴力が嫌というならば」
白い女性は、黒いものを手の中に出現させる。
白い手には似合わないほど黒く、半月型で。先端になればなるほど細く、二つ鋭利な棘が付いている。
ネコミミだった。
女性は長谷部の手にそれを握らせた。ふわふわしていて……とても可愛らしい。
「このネコミミで、恥という名の制裁を加えてあげなさい」
これならば、死ぬことはない。
長谷部は強く頷いた。
気づくと、目の前に銃が突きつけられていた。時間が止まっていたのか、そもそも夢を見ていたのか定かではない。
ただ、恐怖はなく、やるべきことははっきりしていた。
先ほど見た微笑が、心の中にある。安心できる笑顔。心の中の暗い部分を、受け止めてくれる、ような……
「なんだこいつ、なにを持ってぎゅぎゃあ!」
「ぐあああああ、某の頭にネコミミが! かわいく! 愛らしくゥッ!」
まずは一人。
◆
「なぁ、あの献体どうする」
彼が聞いているのは、捕まえた少女のことだ。縛り上げているが、いつまで経っても力の片鱗すら見せない。こうなれば、
「……」
ハキ、と言おうとして。
「……まだ利用価値はある。焦るな」
その言葉は、まるで心の奥から溢れてきたようだった。自分がまだ届かない、未知の場所から……らしくない言葉だ。このリラクゼーションミュージックがそうさせるのだろうか。いつ頃からか流れている曲。職務を向上させるらしいが……。
なんともいえず、職員は職員を見送った。
途端。ネコミミがぶっとんできた。
(ネコミミ!?)
黒く、三角耳の、スタンダードな。
なぜネコミミがすっ飛んでくる!?
それは職員の額めがけてストレートに飛んできた。間違いなく意図的に職員を狙っている。
誰かがいる。敵意ある第三者が。
たった今別れた職員の声。同時、角から何者かが飛び出してくる。職員は銃に手を掛け、
ネコミミ持ってる少年と出くわした。
「……」
顔には覚えがある。少女と共に居た少年だ。少女と同じく捕獲し、貴重なサンプルのため確保しておくようにと言われている。脱走したのか。厳重に捕縛しておいたのになぜ。
目は血走っており、恐らく理性はない。しかし正気もない。
いやそれよりも手にはネコミミ。
ネコミミ。
正気があったら研究所の真ん中でネコミミなんて持ってない。そもそも脱走してこんな奇行を……!
そこで職員の意識は途切れた。
ネコミミを着けたことのない歴も途切れた。
動きはまるで蝶のよう蜂の如く。銃弾は当たること無く壁へと機材へと吸い込まれ、掠りもしない。的確に職員の頭へネコミミをぶち込んでいく。検体の動きは迷い無く、明確な敵意があった。
いみふめいすぎてこわい。
あらゆる怪物の所業をその眼で見てきた職員ですら恐れ戦く。
BGMは恐怖も混沌もなく鳴り響いていく。