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POUPEE  作者: 柚木トモカ
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最大の危機!? 空を飛ぶのはスラックスか!?②

 ふやけた思考の中、廻るのは悔しさと、未練。

 やっと、手に入れたのに。

 温かなご飯を、仲の良い友達を。お兄ちゃんの平穏を、笑顔を、手に入れられたのに。

 知らないはずの光景。倒れ伏している少年、茶碗の底が見えるほど少ない米、全てに絶望したお兄ちゃんの横顔。

(……なんとかしなきゃ)

 怯んじゃいけない。恐怖に浸り、安穏としている時間は一秒たりともない。

 ぷーぺとは獣。獣の牙に、人間は敵わない。けれど、こちらには……人間には文化というものがあります。

 身一つで、この知恵一つで、獣と渡り合わねば。 世界全ての知識を、一度でも触れた者なのだから!

「あ、あのっ!」

 わたしは、女王へと声をかけました。

 人間を食べるのなら、それと同じくらいの美味しいものを!

 とびきりの、和牛特選肉を呼び出しました。ここはわたしの夢の中。わたしが望めば、どこからだって手に入るのです。

「牛肉、どうですか?」

 今のわたしが差し出せる、最大の代替案。いつか、「オトウサン」から送られてきたお歳暮。心底いらないと思いながらも、牛肉には罪がないと食べました。悔しいけど、美味しかったです、ものすごく。そんな思い出が、こんなところで役に立つとは誰も思わなかったでしょう。

 女王は肉の塊を見るなり、鼻で笑いました。

「そんなものを誰が食うか。わらわは人肉しか口する気はない」

「一口、一口でいいですから」

 わたしは女王に近づきます。一歩、一歩。女王は気だるげに、鬱陶しげにわたしに視線をよこしているだけなのに、プレッシャーで震えそうになります。必死に押し殺し、牛肉を女王へと差し出しました。

「……む」

 女王はその鋭い爪で、肉をこそげ落としました。ほんの小さな一片をつまみあげ、匂いをかぎ、口に放り。むしゃむしゃと咀嚼。

 カッ!

 目を見開いた。

「うまっ!?」

「やった!」

 わたしは思わずガッツポーズを決めました。高揚感が心の底から湧き出してきます。

勝った。わたしは今、ものすごい存在に勝ったんです! ただの少女だったわたしが、全てを喰らう獣に!

「なんじゃこれは! 食べたことのないとろみ、脂、やわらかさ! 小娘、今すぐ教えよ! このモノの名を!」

 女王はわたしに掴みかからん勢いで詰め寄ります。胃袋を掴んでしまえば、後はもう野となれ山となれ。わたしは女王の気迫に押されつつも、自信満々に胸を張りました。

 日頃引っ込み思案な自分が、そんな自信をどこで手に入れられたか。

 積み上げられた、意志の力です。

「牛肉です! どうです、人間を食べるのを我慢すれば、この牛肉が手に入りますよ!」

 そんなお金、どこから手に入れるって?

 「オトウサン」ですよ! 想実さんから「オトウサン」に頼んでもらって、牛肉を買わせるんですよ!

 それくらいはしてくれますよね、「オトウサン」!

「ぐっ、ぐぬぅっ……! し、しかし人肉を喰うのはわらわのアイデンティティにしてな……!」

「じゃあお肉は無しですね」

「わ、分かった! 三か月! 三か月だけ待とう!」

「だめです」

「い、一年っ! 一年、これ以上は待てぬ!」

「……分かりました」

 本当は一生分吹っ掛けたかったのですが。女王、いえ、ぷーぺの態度はとても必死で、彼女の言う通りこれ以上は決裂しかねません。それに「オトウサン」に通用するか確かめる必要があるし。

「交渉成立ですね」


 ◆


 やがて、神獣の動きが止まった。

「やったわね、姫花ちゃん」

 想実が風を少しずつ緩めていく。弱風と共に綿が舞い上がり、ふわりと落ちてきたのはいつもの姫花。肩にはぷーぺ。

 長谷部を見ると、ふんにゃりと頬を緩ませた。

「やったよ、お兄ちゃん! わたし、ぷーぺに勝ったの!」

「そっか、良かった……本当、良かった」

 全身の力が抜けそうになるのを堪える。せめて、姫花の前では頼れる兄でいなければ。姫花はよほど嬉しいことがあったのだ、微笑んでいる。

 耐え切れなかった。

 あと少しで、姫花の笑顔を消し去るところだった。ほんの少し想実が遅れていたら、この表情は一生見ることが出来ないものになっていただろう。何より、長谷部を殺した神獣を、妹は生涯憎み続けただろう。そんな人生を、送らせるわけには。

 申し訳なさと安堵で、思わず姫花を抱き締めていた。

「お、お兄ちゃん、どこか痛いの?」

「……ごめん、ごめんな。俺が意地張ったばっかりに、お前を危険にさらしちまった」

 声は微かに震えていた。

「ううん。わたし、ケガはないよ。それに今、すごく誇らしいの。言ったでしょ、ぷーぺに勝った、って」

「どういうこと? 見た目、変化はないけど」

 想実はぷーぺの鼻先をつつく。ぷーぺはくすぐったそうに嫌がりながら、「じんに……」と呟いている。

「人を食べるのを、一年間先延ばしにしてもらったんです!」

「えええええっ!?」

 想実が派手な悲鳴を上げる。

「そ、そんなにすぐ、じゃなくて長く!? どうやったの!?」

「それなんですが、ちょっと、想実さんに手伝ってもらいたいことがあって……」

 姫花は話し出す。

 最高級の牛肉で、神獣の胃袋をゲットしたこと。

 その出費を木島にさせるので、想実から依頼して欲しい。

 牛肉であの神獣を止められたのは正直信じられないが、長谷部個人として木島に被害が行くのは嬉しいのでどんどんしてほしい。

「分かったわ。頼んであげる。木島さんも人類の危機だからね、きっと聞いてくれるわ」

「あいつがそんな人のために行うタマかよ。地球が滅んでもいつものノリだぜ」

 吐き捨てる長谷部を、まぁまぁ、と想実がなだめる。

「……あれ、想実さん、よく見たら顔色が悪いですよ」

「大丈夫大丈夫。いい栄養ドリンコ飲んだらすぐ治るわ」

「ドリンコ?」

「ドリンクのこと、ドリンコって言わない?」

「ゲームかよ」

「まぁいいじゃない、呼び方くらい。ちょっと、術を使いすぎただけだから」

 あっけらかんと言ったものの、肩がふらついている。その肩を、長谷部が支えた。

「あら、紳士ね。……長谷部君?」

 だが、長谷部の表情は暗かった。唇を噛み締め、想実を直視できていない。

「俺のせいだ。俺が疑ったせいで、姫花にも、お前にも負担をかけちまった」

「いいのよ、このくらい。って言いたいとこだけれど、確かにだいぶまずい状況だったわ。一つ頭だけだったけれど、神獣の幼体が出てきてしまったものね」

 想実は長谷部の肩に手を回した。微かな温かさが伝わってくる。

「でも、私はあなた達が無事なら、それでいいの」

「想実……ごめん」

 頭を下げる。微かな微笑を浮かべ、想実は満足そうに長谷部の肩へ頭を置いた。確かな重さと頬の柔らかさに、思わず頬が熱くなっていくのが分かる。

「こっ、これからも、頼む」

「頼まれちゃったわ」

 少し照れたような笑い声を上げながら。想実は肩に回した手を下げていく。

 なぜか、ベルトのあたりに。

 ものすごく嫌な予感がした。

「じゃ、疑ったおしおきも兼ねて。例のアレ、行きましょうか」

 例の、アレ。

「お、おう!」

 長谷部は体幹に力を込めた。すごく嫌だが、男に二言はない。こ、このくらいで済むなら、安いものだ!

「いやでもやっぱちょっとヤダぎゃーーーーーーっ?!??!?!??!?!」

 青い空に、黒いスラックスが舞った。


 そして、白いスカートも舞った。

「……へ?」

 ぱさりと落ちた、それは。

「追いつけなかった。これは私の分よ」

 白いパンプスから伸びる柔らかな曲線。ほっそりしたそれは、膝で一度膨らんだ後、徐々に肉付きを増し、その上には……!

「ぱ「見ちゃダメッお兄ちゃんッ!」」

 姫花のタックルがみぞおちに突き刺さり、長谷部は驚愕と共にせき込んだ。

 今まで見たことのない勢いだった。なんならぷーぺが発現した時よりも激しい動揺だった。

「……な、なななんあんな……」

「なんてことするんですか想実さんっ! お兄ちゃんが将来不良になったらどうするんですかっ!」

 姫花が口角を飛ばさんばかりに叫ぶが、当の想実はのんびりとした声で。

「お詫びの気持ちを、同じ行為で現したのだけれど。ダメだったかしら?」

「ダメですっ! 地球人はダメなんですー!」

 姫花は相当慌てており、長谷部をぎゅいぎゅいとシメ上げてくる。苦しい。

 しかし。

 網膜には、一瞬だけ、ちらっと見えた映像が焼き付いていて。

「お兄ちゃんっ? 見てたら今すぐ忘れてね? 見てたらだけどね?」

「お、おう……っ!」

 こんな必死な顔も初めて見る。

 自分の幸福と妹の懇願、どちらを信じるか……そんな平和な考えもしてしまうわけで。

「じんにっく」

 営みを壊すはずの獣が、呆れたように鳴いた。

これにて『POUPEE』は最終回となります!


読んで下さった皆様、ありがとうございました!

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