最大の危機!? 空を飛ぶのはスラックスか!?①
昨夜の出来事が、どんよりと溜まっている。空は呼応するように、重い曇り空だった。
「長谷部君、姫花ちゃん。今夜もボイルドが出てくるわ。放課後に会いましょうね」
朝にそう言われたが、守る気はなかった。
「お兄ちゃん、想実さんとの約束は?」
「もう五回目だ。俺一人でいける」
夜の街を、どんどん進んでいく。姫花は想実のことを気にしながらも、しっかり後ろをついてきている。後は自在武器を頼りに、ボイルドを探す。
小さな囁きが聞こえる。近い。
オモイダソウヨ……。
「そこだっ!」
自在武器を振るうと、細かい綿が飛び散った。続いて二匹目、三匹目。現れた頭や手足を斬り落とす勢いで叩き落としていく。
数が多いが、いつものことだ。このまま続ければ今夜のボイルドは全滅する。そうすれば、想実がいなくても長谷部は姫花を守れる。
正体不明の人間を、姫花から遠ざけることが出来る。
「きゃあっ!」
「にっく」
響いた悲鳴に振り返ると、姫花が、ゼリーのようなものに呑まれていた。
「な、なんだこれ……!」
ボイルドから出たのは、半透明の綿。そしてそれらを引き裂くようにして現れたのは。
猫ではない。
神の獣に相応しい姿。
巨大な竜!
そんなもの目にしたことはない。だが、現実として立ち塞がっている。黄色く細められた光彩は、長谷部を見ている。
餌として、見つめている。
「喰われてやるもんかよ……!」
長谷部は自在武器を呼び出す。
牙を打ち返し、爪を弾き返し、けれどこの内部には姫花がいるのだ。ボイルドならば一撃で倒せるが、ジリ貧である。耐久戦でしかない……けれど、やるしかない。食われるという運命に抗うなら、今示さずにいつ示すのか。
想実を待っている暇などない。一人でできる、一人だけでも生還できる……!
◆
視界を染めていく、チェック模様。ふわふわと千切れた自分。
気がつくと、大きな玉座のある場所へ辿り着いていました。
(精神世界ですね、分かります)
あっさりとわたしは理解します。やはり、夢の、精神の中だからでしょうか。
目の前には、とてつもなく偉大な女王様がいて。姫花……目下のわたしを睨んでいました。姿は以前出会った女性姿のぷーぺと似ています。しかし、恐ろしさが段違いでした。
「……誰かと思えば、苗床の娘か」
女王は玉座から、わたしを見下ろしました。
「……あなたは」
「わらわを誰と心得ておる。人類を喰いつくすために生まれた神獣、ぷーぺ様じゃぞ」
髪色は夏の花のような紺色。朝焼けの空に似た紫がかった青い服装。夢のように顔立ちは整い、目の下から頬にかけては奇妙な紋様があります。塗料をつけているのではなく、皮膚に直接浮き上がった、神を示す証。
「あの人形はよくやった。おかしな術を払い、わらわを紙の獣から、あるべき姿へと変化してくれた」
もしかして。
「お兄ちゃんを……みんなを、食べるの?」
「決まっておろう」
女王は当然のように言いました。
わたしたちが肉を食べるのと同じ。命も意志も考慮されない、自然な動作。それが女王にとっての人間、ただそれだけなのです。
そしてわたしたちは、抵抗もできずただ喰われていくのみの存在。
(……どうしよう)
精神が緊張に耐え切れず、どろどろと融解し始めます。汗のように流れていくわたしの体。
このままじゃ、想実さんが、ひよちゃんが、たまちゃんが、夜さんが、朝さんが、……そしてなによりも、大好きな兄が。
みんなみんな、わたしの前からいなくなってしまう。
◆
「……っ!」
壁が背後に迫り、長谷部は息を呑んだ。壁に叩きつけられれば命はない。息の止まった瞬間を、竜は見逃さないだろう。
『坊ちゃん! お嬢様が向かっております、救援を待ちましょう!』
「うるせぇ、これくらい……!」
牙も爪もボイルドの比ではない。なにより満月の如く巨大な目が身を竦ませる。食欲と殺意しかない黄金色。
『妹様の身をご案じではないので……っ!』
途端、自在武器の言葉が止まる。
ガキィン!
長谷部の意志に反して、刃が等身大の盾となる。今の動きがなければ、ひとたまりもなく裂かれていただろう。
「くそっ……!」
神獣が、大きく鳴く。瞳に獰猛な光が宿る。内部にいるはずの姫花は、どうなっているのだろうか。
汗ばんだ腕から、ぬるりと盾と長谷部を繋ぐバンドが滑る。盾が地面へと当たって硬い音を立てる。
その隙を逃さず、神獣が横薙ぎに裂く。自在武器が再度展開するが、一度体制を崩した以上防戦が続く。盾が軋みを上げる度に、力が抜けていく。
(俺だけじゃ……)
自分一人では、守れないのか。
このまま、人々を殺害させる罪を背負わせ、家族を、友達をさえ殺させるという罪業まで……!
(嫌だ……!)
初めて、誰かを頼った。
誰でもいい、誰か、自分を助けて欲しい……!
「もう、一人で行っちゃダメって言ったじゃない」
強い春の風が吹いた。瞬きする間もなく勢いを増し、神獣をビルの屋上ほどまで吹き上げた。
舞う花びらの中、見えたのは結ばれた金髪に、白いスーツの。
「想実!」
「後でちょっとしたおしおきが必要ね。今、結構ヤバいんだから」
神獣は巻き上げられながらも、想実に視線を向けた。腕が届かないと見ると、口を大きく開ける。内部に眩いばかりの光が溢れかえる。
「こいつ、ビームまで撃つのか!?」
「神の獣だからね! 今、姫花ちゃんも中で頑張ってるわ!」
「俺は何をすればいい!?」
「だいぶ消耗してるでしょ。待機してなさい」
「……」
確かに、立ち上がるだけでも辛いくらいの疲労だが。
「一人で突っ走った子には、それが使命よ!」
更に一陣、風が吹く。光を押し返し、消滅させる。




