ぷーぺが町にやってくる!④
「はぁ、散々な目に遭った……」
ワイシャツとスラックスを洗濯機に放り込み、念のため漂白剤をぶち込んでぶん回す。リストバンドと化している自在武器は、流石未知の武器というべきか、一切汚れていなかった。つけたまま浴室へと入る。思い出されるのは、最初の晩。
『坊ちゃん、坊ちゃん。吾輩は防水ですぞ』
「マジ!?」
驚愕すると、自在武器は心底誇らしそうに答えた。
『武器たるもの、常に主人を守らねば。水に浸かっても会話可能ですぞ!』
未来すぎる。
回想終了。
服を洗っているうちに、長谷部の洗濯、風呂に入る。シャワーだけではベトベトが落ちそうにないので、シャンプーも使う。
「……あー、疲れが取れる……」
半分ほど湯を張った風呂で一息。と、誰かが扉をノックした。姫花だろうか。なぜか姫花は一連の騒動に責任を感じているらしく、今日の夕飯は自分が作ると言って聞かなかった。長谷部としても割と精神的にも疲れていたから任せたが、材料の不足でもあったのだろうか。
「長谷部くーん、入って良い?」
「訳あるかーっ!!!」
力の限り叫び、脱衣所から想実を追い出す。
「このヘンタイ! 痴女! なんでそこで一緒に入る理由があるんだよ!?」
「だって、私にも責任はあるし……ぶん投げちゃったの私だし……」
「なんなら姫花を手伝ってろ!」
「姫花ちゃん、買い物に行っちゃったし」
「がーっ! とにかく来るなよ、絶対来るなよ!」
壊れんばかりの勢いで脱衣所と浴室のドアを閉める。向こうからは「あーん、長谷部君のいけずー」なんて声が聞こえてくる。湯船に浸かると、空気を読んで腰布に変化していた自在武器が解かれていった。
(油断も隙もねぇっ!)
出会い頭にスラックスをめくられてから、かなり大人しかったから油断していたが、やはり日和想実という女性はとんでもないヘンタイなのだ。
「……」
熱い。湯の温度を高くしすぎた。
……肉食系女子って、あんな感じだろうか。
◆
「今日はわたしが作るからねっ! お兄ちゃんたちは待ってるだけでいいから!」
いつになく張り切る姫花に台所を任せ、長谷部は想実と一緒に、縁側でぼーっと。ひたすらぼーっと。一見暇な時間ではあるが、台所から聞こえてくる野菜を切る音、具材を煮込む匂い、肉の油が弾けるリズム。それらを聞くのは楽しい。
「姫花ちゃん、手伝わなくていいのかしら」
「いいよ。姫花だってもう料理が出来る歳さ」
いつからか、ずっと楽しみにしていた。姫花がいつか、手料理を作れるようになる日を。時折「にく!」とか「ぷーぺ食べないの!」とか聞こえてきて、少々不安だが。
「……ところで、なんで長谷部君そんなに離れてるの? 社会的距離?」
「自分に聞いてみろっ!」
長谷部は想実から二mほど離れていた。念のため。想実が来た時立ち去ろうかとも考えたが、それはさすがにヒドイと思い、距離を取るに留まっている。
「……なんであんなことしたわけ」
「ごめんなさいね、私、人との付き合い方が分からないの」
にこやかに返される。
「それでスラック……めくる奴があるか!」
「えへへー」
「えへへじゃねぇっ!」
それ以来話題は途切れ、しばらく沈黙が流れる。
「……その割にさ。聞かないんだな、俺の家のこと」
「えぇ。人には事情があるからね」
「……ヘンな奴だな」
「私も訳ありですからね。仲良くしてくれるだけでいいの」
「もっとヘンな理由だな」
「あら、フラグ立つ?」
「誰が立つかっ! 大人しく座ってろっ!」
はいはーい、と想実は軽い調子で答える。
教師も町内会のおばさんも、長谷部家の様子を観ると、必ずどこか遠慮する。母親がいないし、父親も協力的とは口が裂けてもいえない家庭だ、気を使わなければならないのもとてもよく分かる。それに対し、想実の態度はとても自然だった。「気を使わなければならない家庭」ではなく、長谷部個人の「家」として接している。
空を見ると、朧げな半月がかかっていた。雲もなく、薄い光を町に降り注いでいた。
◆
夕飯は済み、お風呂。
「家計が心配なら、私は外で入ってくるから」
「い、一緒に入りませんか? 正直、この子が怖くって……」
「姫花、いいのか!?」
「いいのかって?」
首をかしげると、お兄ちゃんは「あ、いや、姫花が良いなら……」と不思議な答えを返しました。ちょっとヘンなお兄ちゃん。背中のぷーぺは時々鳴くだけで、噛みもしませんが、それでも見たことのない生き物なのには変わりません。それにどうしてか、つぶらな目をじっと見ていると怖くなってくるのです。不安を掻き立てるというか、嫌なことがあったというか……。
まだ出会って間もないなのに、変なお願いだと思うけれど。想実さんは、にっこり笑って頷いてくれました。
一人用のお風呂に二人入ると、さすがに狭いです。
「妹ちゃん、髪キレイねー。若いっていいわー」
そんなおば……お姉さんみたいなこと。
「は、恥ずかしいです……想実さんは、気にならないんですか? こう、誰かとお風呂に入ること」
「私の家、結構ヘンなところだからね。全員、血が繋がってないのよ」
「えぇっ!?」
あっけらかんと。
「だから、こういうヘンな生き物が生えるのも慣れてたり」
「は、話が繋がってませんっ! 血が繋がってもなくても、生き物は生えてきませんよっ!」
「じんにく!」
「ひぇっ」
叫ぶと、ぷーぺが一声鳴きました。少しがさがさした奇妙な鳴き声に、わたしは身を竦ませます。想実さんは、よしよし、とぷーぺの頭を撫でました。
「だいじょうぶよー。この様子を見ると、人間は食べられないから。ね?」
昼間の出来事を思い返すと、ハンバーグは食べてたんですが。
「いざとなったら、私の血で封印を強化するわ」
「強化って、どんな」
「こう、指をかっさばいて、血で印を」
「止めて下さいっ!」
わたしは思わず叫んでいました。もう、目の前で誰かが傷つくのはイヤなのです。それがどんなものでも、小さな傷でも恐ろしくて。想実さんはちょっと驚いて、けれどすぐに「大丈夫よ」と言いました。
「いざとなったら献血用の血を使うわ」
「それでもイケるんですか!?」
呪術、すごい。それでも不安は晴れず、わたしはぽつぽつと話し始めていました。
「わたし、すごく怖くて。想実さんが傷つくのも嫌だし、何かの拍子に……あの、想実さんを疑ってるわけじゃないけれど、こいつが、お兄ちゃんを食べちゃわないかって」
ぷーぺは意味も無く口を開いて、ふよふよと私の周りを動いています。口の中にはぺらぺらだけれど、確かに鋭い牙があるのでした。……ぷーぺ、紙で溶けないかな……。
「……根拠はないんです。けど、真っ先にお兄ちゃんに噛みつこうとしてるし……」
「紙の封印は神に通じるから、術の中でも強力なのよ。そうそう解けないわ」
想実さんは力強く言いますが、私の心は晴れません。
「本当、ですか」
「えぇ。命を賭けてもいいわ」
「それもダメですっ! 簡単に命を賭けちゃ!」
すると、ずっと微笑んでいた想実さんの態度が変わりました。真面目な顔で、私の目を見つめます。
「全人類だけでなく、あなたのお兄さんの命が掛かってるのよ。私も同じものを担保にするのが道理でしょう」
「想実さん……」
言いたいことも、反論したいこともあったけれど……結局、何も言えませんでした。ただ、その時の想実さんは、お兄ちゃん個人を見ているような気がして。
それが少し、気になりました。




