ぷーぺが町にやってくる!②
「じんにく! じんにく!」
「じんにく!?」
長谷部は案の定驚き、ぷーぺを眺めた。
隣では想実が解説用だろう、ノートを広げている。彼女も珍しいのか、時折ちらちらと揺れるぷーぺを見ている。
「伝説にあるわ。獣はこれを禍々しくした外見をしているそうよ。だとしたら、……たぶん、術者の趣味が混ざったのね」
「趣味!?」
「じんにくって鳴きそうじゃない? 私も見てると、そんな気がしてくるのよね」
「えぇ……そんな気楽でいいのかよ」
「術はそういうものよ。術者の思い込みや概念を利用して物質を変化させる。今だって、長谷部君は私より背が低く見えてるわ」
「マジ!?」
「『年下は年長より背が低い』という思い込みを利用してね!」
それ、想実だけの話じゃなかろうか。
姫花は接続部分が気になるのか、しきりに肩にくっついた根元を引っ張っている。
「わ、ペラペラ。これ千切れますね」
「何か起こるか分からないからね!? 千切らないでね!? かけた人が誰だか分からないんだから!」
「え、想実さんがかけたんじゃ……」
言いながら、姫花はぷーぺの顎を持って。
引っ張って。
ぷちぷちと……。
「って、言ってる側から首を引き抜こうとしない!」
「……ごめんなさい。なかなか慣れなくて、引き抜こうと…・・やっと千切れると思ったのに……」
「何か言った?」
「いいえぇ……」
姫花はがっくりと肩を落とした。
想実はそんな彼女を気遣いつつも、ノートを読み上げる。
「獣の伝説は二種類あるの。サラマンダー創建が出版した、永遠に生きる怪物というもの。それと、日和家に伝わっていた、人間を残らず食い散らかす神罰を顕したもの。このぷーぺがどちらかは分からないけれど……とりあえず、人間を喰いたがることは変わらないのね」
「じんにく!」
「放っておいて危険はないのか?」
「まぁ……紙だしね」
「紙だけに」
「火で燃やせそうですもんね」
「姫花ちゃんお待ち。ともあれ、学校に行く間は私の術符で押さえておくわ。あんまり長い時間は続かないけど、ないよりかはマシよ」
「ありがとうございます……」
「姫花、大丈夫だ」
不安がる姫花に、長谷部が肩を叩く。
「暴れるようだったら、俺がやっつけてやるからさ」
「……うん。頼りにしてるね、お兄ちゃん」
ようやく笑顔が戻った。
◆
けれど、二時間目の休み時間。
わたしは、最大のピンチでした。
「ぷーぺ、出てきちゃだめってば!」
なんと。あの獣が、むにむにと出てきたのです。想実さんの術が思いのほか弱かったのか、獣が強いのか。
慌てて人気のない場所に走ってきたから、なんとかなっていますが……。
「長谷部さん、誰かといるの?」
「あ、う、うん! ちょっと急いでるの!」
クラスメイトの声に、身を竦ませ。
人気のないところで、慌てて制服の中にぷーぺを押し込みます。
「じんにく……」
手の中からは、じとーっとした目。
そんな目しないでっ。私だって世話したい訳じゃないんだから-!
「キャンディー……は、食べないよね……」
うぅ、早く来て、想実さん!
「襟でうまく隠せるかな……」
短いベストとブラウスの組み合わせでは、肩から飛び出すぷーぺを隠すことはどうやったってできず。
「足りないよね。制服、セーラー服だったら良かったのに……いや、あんまり変わらないか……」
「じんにく! じんにく!」
ぷーぺは鳴き終わりません。
仕方なく、わたしはお弁当を出します。連絡が必要かと思って、カバンを持ってきておいて良かった。ぷーぺの首が勢いよく伸び、ハンバーグにかぶりつきました。
人間用の食べ物だから、ぷーぺが食べられるかも怪しいけれど……ぷーぺのお腹には関係ないみたいです。「ぷぺ」
食べ終わると、ぷーぺは満足そうに首を揺らしました。口元は肉の脂で汚れています。このままわたしの中に仕舞われるのはいやなので、ティッシュで拭いてやりました。
薄く開けた口からは、びっしりと太い牙が並んでいます。こんなのに噛まれたら、ひとたまりもないでしょう。
「じんにく」
「はぁ……大人しくなったかな」
ひょっとしたら足りないかも、と思ってお弁当を広げていましたが、その心配はなかったようです。しかし、ぷーぺはじぃっとお弁当、もう一つのハンバーグを見ていて。
「だめだよ、これ以上はわたしのお昼ご飯がなくなっちゃうから」
「じんに……」
そんな残念そうにされても。
第一、わたしとしては早く去って欲しいのに。早く呪いが解けないかなぁ……。
人間は食べられないそうだけれど、まだまだ不安は盛りだくさん。
「そうだ、予備のお札をもらってたんだ」
いきなり飛び出すというアクシデントだったので、すっかり忘れていました。
お札を貼ると、ぷーぺは掃除機のコードが縮むように、しゅるるるると右肩に納まっていきました。わたしはそっと、ぷーぺが消えていった肩を触ります。小さく窪んでいるような感触。鏡で確認すると、捻り昆布のような痣がありました。明らかに、自然で出来たものではない痣。それだけでも、もう前の生活には戻れない、普通の女の子じゃなくなってしまった気がするのに……。
「ひーめーちょー!」
「は、はひっ!?」
背後から急に声をかけられて、わたしは思わず姿勢を正しました。
「どしたの、急にカバン持って走ってっちゃって?」
「探したんだぞ」
ひよちゃんたちでした。
「姫っち、今日の放課後クレープ食べに行かない?」
「あ、今日は……」
想実さんと約束してるんだっけ。それに、早く帰ってきなさいとも言われていて。
「ちょっと連絡してみるね」
「おぉ、愛しのお兄様にですか」
「いっ、愛しのっ!?」
顔が赤くなります。た、確かにお兄ちゃんのことは大好きで、でも、こう面と向かって指摘されるのは馴れていなくて……!
「ひより。あまり姫花をからかうな。ラブラブなのは本当の事なのだから」
「たまちゃんまで!」
「いっつも一緒にいるもんねー。羨ましいじゃない、このこの!」
「ち、違うの! 連絡するのは、別の人で……」
「「二股!?」」
「違うってーーーー!!!!」
もう、みんな聞いてよ!
ああ、また盛り上がってしまった。わたしとしては、はやくお兄ちゃんラブの指摘を切りたかっただけなんだけど。
「え、ええと、お世話をしてくれる人で」
混乱した頭では、余計に火を注いぐだけ。
「家政婦!? ひ、姫っちの家ってそんなお金持ちなの!?」
「お帰りなさいませお嬢様って言われるくらいか!?」
「そうじゃなくて、えと、えと……!」
怪物退治のお世話、なんて言える訳がありません。
「広告とかでよくある、家事代行サービスみたいな?」
「そう、それ! 掃除とかを手伝ってもらってて!」
厳密にいえば違うのですが、もう乗っかっておいたほうが良いでしょう。ボイルド退治も、獣の対処も、大きく見ればもう世界のお掃除といっても過言ではありません。そう、世界の事業仕分けです。
自分で言っておいて、もう意味不明の極みです。
「わたしもお兄ちゃんも、そろそろ勉強が難しくなってくる頃だし。雇った方がいいって、お兄ちゃんが……」
だいぶ嘘を吐いています。
罪悪感がすごい。
でも、本当のことを言う訳にはいかなくて。
「確かに、姫花は数学が特に苦手だからな。対策は必要だ。で、姫花」
「な、何かな?」
たまちゃんがずいっと顔を近づけてきて、わたしは身を竦ませました。真面目なたまちゃんがじっと見てくるということは、ひょっとして、嘘がバレた?
「お嬢様と呼ばれているのか」
「呼ばれてないよっ!」
その時タイミングよくチャイムが鳴り、ようやく質問攻めから解放されました。




