ぷーぺが町にやってくる!①
人間を喰らう猫の顎。
(止めて)
知らない少年に。知らない女性に。知らない男性に。犬猫すらも喰いつくし、やがて、兄を視界に収め……(止めて、やめて、止めて!)
「姫花ちゃん」
「きゃあっ!」
唐突に声をかけられ、わたしはしりもちをつきました。
見ると、ネコの被り物をしたお姉さん……いえ、この声は……。
「想実、さん……?」
「おはよう姫花ちゃん。ここは姫花ちゃんの夢の中。ドリームインザプリンセス」
「ですか……?」
それにしてはずいぶんテンションが違います。現実の、ちょっと知的で、少しピンボケたお姉さんとは思えません。
「唐突だが、姫花ちゃんは呪いを受け入れなければならない」
「その……呪いって、なんなんですか」
「基本的には、全人類の中からランダムに選ばれた人間が掛けられる。怪物の苗床にね。発現すれば全人類が喰い尽くされる」
「いやです、そんなの!」
わたしは否定します。この星に住む人々の敵になり、お兄ちゃんですら喰い尽くしてしまう。さっきも、そんな悪夢を見ていた最中。到底そんな提案は受け入れらません。
「何も怪物になれ、と言っているわけではない。しかし、怪物にも怪物の居場所が必要なんだ」
「か、勝手に滅びればいいと思います! 想実……さん? も、人間の味方なんじゃ……!」
「私は中立派さ。人間の立場も、怪物の意向も尊重する。そして君の意志はそんなに尊重しない。というわけで」
もぞ、と肩で何かが動きました。痛みはありません。ただ、いつの間にか着ていた制服の、右肩だけが盛り上がっていきます。まるで、何かが飛び出そうとしているような……!
「ひひゃっ!?」
首筋を擦り上げ、何かが飛び出す!
「じんにく!」
それは、ネコの骨のような生き物でした。
「こ、これは……! この前の、ぷーぺ!」
「あぁ。この状態は胎児さ。成長すれば、じきに人類と同じ量の多頭になる」
「そんなの……」
(全人類と、同じ多さ? 六十億か、それ以上?)
ありえません。ですが、呪いの獣というのなら。人知を超えた存在なら、そんなに増えてもおかしくはなく。首を横に振ることはできませんでした。
「それを、こう、封印して」
「っ……」
想実さんらしき人は、どこからか出した小刀で指を少し切り裂きました。薄く血がにじむ程度の傷でしたが、それでもわたしには刺激が強く、嫌な汗が出ました。
「先ほど受け入れなければならないといったが、ただ受け入れるだけではさすがにキツかろう。獣の事情があるように、少女の事情がある」「そ、そうなんですけど」
「封印するんだ。私の術で」
言うなり、骨の中に手を突っ込みました。
(な、何してるの、この人!?)
噛まれちゃうじゃないですか! 食べられちゃうじゃないですか!案の定、獣の骨は大きく口を開け、想実さんの腕に噛みつきました。わたしはぎゅっと目を瞑ります。ですが、血が出るような切羽詰まった音はいつまでもせず。恐る恐る、閉じていた目を開くと。
「……え?」
虚ろな眼窩の骨はなく。くりっとした愛らしい目に、やたらぺらぺらしてそうな質感の顔。腕に突き刺さるはずの歯は、途中から歪んでいました。まるで折れた紙のように。
「これ、紙ですか」
「ああ。術をかけて紙にした。ほら、へにゃへにゃ。これじゃ肉は食えないだろ」
「そうです……ね……?」
てっきり、完全に封じてくれるものだと思っていましたが。まさかの材質変更でした。紙に変えられた獣は、きょとんとしたまま想実さんの腕に噛みついています。想実さんが腕を引き抜きます。言う通り、紙のせいか傷はありません。獣は薄くなった歯を、実感なさそうにぱちぱちかちかちと鳴らし。
「じんにく!」
金属の擦れるような、甲高い声。確かに「じんにく」と聞こえました。
「これ、お肉食べたいんですか」
「獣だからな」
「牛肉でいいですか」
「じんにくが適切だなぁ」
「……」
沈黙。
「さあ!」
固まった空気を爆破するように、想実さんが腕を広げました。
「ともかくこれで受け入れやすくなったろう! なにせクリクリお目目のキュート怪物! 女子高生ウケはばっちりだ!」
「ウケませんっ! た、確かに目は可愛いですけど! 人も食べれなさそうですけど!」
「おはようぷーぺ、長谷部姫花! 朝の目覚めはもうすぐだ!」
「や、やっぱりあなたもぷーぺって呼ぶんですか!?」
「封印された獣の名だ! フランス語で人形、というんだったかな! 微妙に綴りが違うけど、ご愛敬だ!」
「人形ですか、獣なのに!?」
「詳しいことは明くる日の私に聞くがよい!」
君が覚えていればだがね、と言い残し。
「……夢?」
じゃ、ないのでした。ふと、右肩に違和感を感じると。
くりくりアイズと、目が合いました。
「おはよう姫花ちゃん、昨日は眠れた?」
リビングに出ると、想実さんがソファに座っていました。一瞬、なぜ想実さんがここにいるのか混乱しましたが、そういえば昨日壊滅した施設から送ってもらい、そのまま護衛兼・疲れたので、長谷部家に泊まってもらったのでした。
「それなんですが、……想実さんが夢に出て来まして」
「私が? なんだか嬉しいわね」
「これが、肩に……」
わたしはそうっと、肩からぶら下がるぷーぺを見せました。




