憧れは恋になる
「好きなアイドル?」
「うん!」
「そういうのは特に興味ない」
我ながら的外れな質問だとは思ったけど、一緒にテレビを見ながら何気なく投げかけた質問に、予想通り、高梨琉星はそっけなく返してきただけだった。
「じゃあ、女優さんとか俳優さんとか……他に興味のある芸能人とかは? まったくいないの?」
「テレビに出ている人間の中で、ということか? あえて言うなら、夜のニュースに出ている高田史郎さんには常に注目している」
「誰?」
「経済評論家だ。あの人は、分析もコメントも的確でいい。いつも大変参考になる」
なんの冗談だ、という感じだが、高梨はあくまでも大真面目だ。
そういえばこの人、経済学部に通っているんだったな、と成瀬紬は思い出した。
「高梨さんは、勉強熱心だよね」
紬のぎこちない反応を見て、高梨はわずかに目を伏せた。
「すまない。オレはこういう、おもしろみのない男なんだ。同級生にも、いつも呆れられる。やはりオレはやめておいた方がいいかもしれないぞ」
紬のことを好きだと言ってきたくせに答えを聞くのを拒んで、紬が追いかけてようやく付き合うことになったというのに、高梨は相変わらず、隙あらば消極的なことを言い出す。
「でも、オレみたいなのが好みのど真ん中なんでしょ?」
まだ二人が、家庭教師と生徒の関係であった時、高梨がうっかり口をすべらせたことを、紬はすかさず持ち出す。
「…………」
「ねぇ、なんで? どこが好みだったの? 顔? 性格? 初恋の相手に似てるとか? それとも昔好きだった有名人に似てるとか?」
特に恋心が発生するようなイベント案件は、自分たちの間にはそれまでなにも発生していなかったはずだ。
「顔は……そうだな」
なにか言いかけて、高梨はまた口を噤んでしまう。
「あっ、言いたくないほど恥ずかしい思い出?」
「そうだな。恥ずかしい。だから正直、誰にも言いたくない」
そこはキッパリ断言するんだ。
ちぐはぐさに、紬は笑った。
「言っちゃいなよ。秘密にするからさ。ほら、オレも高梨さんに、絶対に誰にもバラされたくない秘密を知られてるし、お互い様じゃん?」
紬は以前、同性の友人に片想いをしていた。そいつと同じ高校に行きたくないという理由で中学三年の冬にいきなり志望校を変更したのは、紬と高梨だけが知る秘密だ。
志望校変更に反対する親を説得してくれたのは、この高梨である。
「……シンクウジャーって知ってるか?」
しぶしぶといった様子で、高梨が口を開く。
「え? 炊飯器の名前?」
「違う。十五年前くらいに放送していた、特撮の戦隊ヒーローだ」
「うーん、オレ、特撮系は全然見てなかったから、わかんないなぁ。ていうか十五年前って、オレ、まだ一歳くらいだし?」
「……たまたまうちの近所で撮影をやっていたんだ。それで見に行ったら、シンクウオレンジが」
「シンクウオレンジ……?」
「『レッドの方見たかったでしょ?』って聞いてきた」
「レッドって、えーと」
「主役の方だ。オレンジはその仲間。オレンジはちょっと間抜けなキャラで、子供たちからはどちらかというとバカにされていた。でもオレはオレンジの方が好きで……『オレンジもかっこいいよ!』って言いながらオレが持っていたシンクウオレンジの人形を見せてやったら、はにかんだように笑って『よっしゃー!』と喜んでいた」
「嬉しかったんだね」
「成瀬くんはその彼に似ている。顔と喋り方と、あと、笑った時の雰囲気が」
「やっぱり初恋の相手じゃん!」
紬は叫んで、立ち上がった。
ここは紬の部屋で、親は仕事でいないから、騒いでも怒られることはない。
「恋というほどのものではない。単なる憧れだ」
安っぽいインスタントコーヒーをすする姿がここまでさまになる男はいるだろうか、というぐらいクールに、高梨はカップを傾けながら答えた。
「いいなぁ。高梨さんをそんなときめかせた相手がいるんだ。なんていう俳優さんだろ」
ほのかな嫉妬心をくすぐられた紬は、スマホの検索画面に『シンクウオレンジ』と打ち込む。
しかし、検索ボタンを押す前に、「あれだ」と高梨がテレビを指差した。
液晶画面には『大ヒット上映中!』という文字とともに、傷だらけのイケメンの顔が映っている。最近公開されたばかりの映画のCMだ。
「榊道流じゃん! ていうかこの人、アイドル出身だよ!」
確か、男性アイドルグループの一人だったはずだ。今は三十すぎのはずだけど、昔からよくテレビで見かけていた。
紬の母親は、彼と同じ事務所の別グループのファンなので、チラッとだけは知っている。
「ああ……そういえば、シンクウジャーのエンディングで、一番ダンスが上手かったような……」
憧れていたというくせに、そのぐらいの認識しかないあたりが、いかにも高梨っぽかった。
「そういや確かに……あんたは道流くんの若い頃に似てるって母さんに言われたことあるかも……」
時間差で記憶が蘇ってきて、紬はハッとする。
「やはりな」
高梨はなぜか得意顔をしている。
「オレも今から事務所のオーディション受けてみようかな!?」
「やめておけ。東聖は、芸能活動と両立できるほど生半可な学校じゃないぞ」
卒業生がそう言うのだから、実感がこもっている。
だが、オーディションに落ちる可能性には言及されなかったことに、紬は口元をほころばせた。
「じゃあさ、オレが高梨さんの『好きなアイドル』ってことでいい?」
高梨も珍しく、整っているわりに気難しそうな顔立ちに、わずかに笑みを浮かべる。
「好きにしろ」
END