Ⅱ.pitié—冷たい心臓と熱い鼓動、そして決意—
「何を―――?」
「そんな―――どうして―――」
彼女が初めて見せた感情は、困惑だった。
まるで林檎が重力に逆らって天に落ちてていくのを見たような困惑が、表情に表れていた。
「『封』」
「―――!?」
そしてその困惑は更に強まる。
司令官が魔術を行使したからだ。
「―――何をしているんです?」
「何って―――分からない?捕縛だよ」
「何のために―――」
「此奴を操って私の戦力にするだけさ―――よもや、邪魔はしないね?」
口元は笑っているが、目が笑っていない。
寧ろ瞳からは光が消え、まるで世界のそこだけが切り取られたみたいに―――空っぽだった。
「さぁ、オーダーだ―――『アル・レピオスを殺せ』」
「『仰せのままに』―――『天龍』」
「―――何しやがる、、、『消えろ』」
目から光が消えているのは、眼の前の女神も同じだった。
まるで機械みたいに命令に従い、俺を攻撃する。
「精神干渉系統の魔術は国法第二十五条で禁止されている―――ってのはわかってるよなぁ!―――『魔法障壁』」
「わかっているとも―――だがそれは法の理解が浅いやつのセリフだぜアルくん―――『命令―――奴のアキレス腱を狙え!』」
「何を言ってんだお前―――明らかに法に反して―――」
「国法二十五条、精神干渉系統の魔術の項〔これを人類種に使用することを禁ずる〕彼女は神だぜ?アルくん―――」
「ガキの屁理屈かよ!」
それにね―――と、恍惚な表情で彼女は続けた。
「それにね―――アルくん。この女神に私は―――一目惚れしたんだ」
「―――は?」
「すべてを超越する圧倒的美貌に、生物という枠組みを超えたその身体―――私はどうしてもこの神を汚したくて仕方ないのさ―――先程まで夜空の如く輝いていた瞳も今となっては何も映らない虚無の瞳に成った、、、いや、私がそうしたのさ!そうさせたのさ!それだけで―――あぁ、身体の奥底が震えるんだ―――わかるかい?その上で―――」
言葉が出なかった。
気持ち悪い、とかそういう言葉じゃ表せない。
悍ましいのだ。
欲望の為に神を汚すなんて―――といえば信徒みたいだが、そう感じるほどに悍ましいのだ。
「その上で、彼女が何より大切にしている君を―――彼女自身の手で殺させて―――そうやって心の奥まで穢してやりたいのさ―――この娘の真っ白な心にどす黒い何かを植え付けてやりたいのさぁ―――はははっ、どうだいアルくん―――私は狂って見えるかい?」
「さぁ―――一般常識からはかけ離れていると思うけど―――どうなんだろうな、俺はお前から悍ましさしか感じられない」
「そうかそうか―――それじゃあ君は何も思い出せなかったんだね、アルくん―――そいつは残念でならないなァ、、、君が勇し―――
突然、声が途切れた。
見れば、胸から鎌が生えている。
否、背後から鎌で胸を貫かれている。
■■■■■
神の心臓は冷たい、と誰かが言った。
世界の法則の為に人を殺し、その事になんの感情も抱かない神々に心など無い―――それが転じて神の心は冷たい、とそう言った。
神々はそれに『君達は蟻を殺した時に悲しみを覚えるか』と返した。
たった一柱を除いて。
私だ。
私だけが悲しんだ。
神の理などという理不尽に殺された人々の記憶が延々と流れ込んできたからだ。
全能神も全知神も、それを気味悪がって―――最後には私を叛逆の女神にした。
スケールが大きいだけのよくある話。
よくある話なのだ。
私がもし人の身に生まれていたら。
そんなもしもの話でも、私はきっと気味悪がられて追放された。
そしてその後彼が私の所になんの遠慮もなくやって来て―――そうやって広い世界に私を連れ出してくれるんだろう。
―――だから。
■■■■■
貫かれた胸からは、不思議と血が全く垂れず―――真っ黒な鎌は其の美しさを血で曇らせること無く輝いていた。
「何が―――」
『アル・レピオス。手短に伝える―――貴方は本来の力を取り戻した。記憶は―――ごめんなさい、戻せなかったけれど―――貴方はどうか、自由に生きて』
「君は―――誰だ?」
『私はメモリス。今から貴方が忘れる記憶の女神の名前』
挨拶が遅れてしまいました。
漸く次の話から本編です。
それなりに長くなる予定ですので末永くよろしくお願いします。