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お昼休憩に田中さんが用事があると言って私を日吉田に預けていった。
「田中さん、私、一人でも大丈夫ですよ?」
「いやいや、楠木ちゃん、相手を舐めちゃだめよ。常識無いから。それにね、目は沢山あるといいのよ。日吉田君、楠木ちゃんをしっかり守るのよ。相手は魔女よ。白雪姫に出て来る毒リンゴを持ってる女よ?分かる?」
「田中せんぱーい、任せて下さい。お姫様を守るのは騎士って決まってますからー。せんぱいとランチデートしてきますね」
「はー。心配だわ。余計な仕事増やさないでね?でも、これ以上ひっかきまわされたくないし。きっとここだけじゃ無くて色々被害は出てるわよね。人がちょっとリモートしてる間に、あっという間にこんなことになってるんだから。流石だわ。ちょっと情報収集も必要ね。日吉田君、早めにお姉様方に聞いといてくれる?魔女の話。支店に飛ばされてもびくともしない神経って羨ましいわ」
「はーい。早急ですね。了解です。他部署のお姉様達に聞いてみます。魔女って有名人ですか?」
「そうね。私と同じか、それより年上から聞いてごらんなさい。その年代には有名よ。聞き方は任せるわ。今度、唐揚げ奢ってあげる」
「了解でーす、任されました。唐揚げはピリ辛でお願いしまーす」
「はいはい」
田中さんはそう言うと、携帯を持って席を立った。
「さ、せんぱい、ごはん食べに行きましょ?」
「日吉田、私。守って貰わなくて大丈夫だよ。自分で戦うって決めたから」
「えー。せっかくせんぱい守れるって聞いて、僕、嬉しかったのに。でも、戦う先輩も恰好良いですね」
「有難う。今日、お昼、奢るよ。迷惑かけてるからね。お姉様達に聞くならお礼いるでしょ?何か買ったら私もお金払うから。本当に助かってる」
「もー。気にしなくていいのにー」
「うん。でも、ね。お昼は何食べようか」
「何でも、いいですけどー。奢ってくれるんですか?今度は僕が奢りますから、また一緒に食べましょうね。近くのキッチンカーに行きます?天気もいいし、裏の公園で食べてもいいですけど…今は寒いですね。休憩室でもいいですけど話が出来ないかな。せんぱい、肉好きでしたよね?かつ丼が美味しい食堂もありますよ」
「いいね、じゃあ、食堂に行こう。私、かつ丼食べるの凄く久しぶり。でも、キッチンカー見て行こうか。暖かくなったら田中さん達誘って公園でご飯もいいよね」
私達がエレベーターに向かって歩くと、目の前から有吉さんが歩いてきた。
「あら。楠木さん」
ニコリと音が出るように微笑まれ、私は「お疲れ様です」と言って通り過ぎようとした。
「あら、お昼?ルイは慌てて出て行ったけど、一緒じゃないのね。ふふ、可愛い子と一緒で羨ましいわ」
この、可愛い子は日吉田の事だろうな、年下といえ、いきなり初対面の人に可愛い子って言い方どうなのかな、と思っていると日吉田が「どうも、お疲れさまです」と挨拶をした。
「楠木さんの後輩?」
有吉さんはふふっと笑いながら日吉田に笑い掛けた。
「どうも、可愛い楠木先輩の後輩の日吉田です」
有吉さんは、じーっと日吉田を見ると口元に指を一本あてて、ニコリと微笑んだ。
「日吉田君?貴方が可愛いって言ったのよ。ふふふ。宜しくね。私、有吉奈々っていうの。ナナって呼んでいいわよ?」
冗談ともとれる言い方で日吉田に近寄ると日吉田の肩にトントンと触って、「ね?」とにっこり笑っていた。その間も有吉さんは私の方は見ず、首を傾げて落ちてきた髪を耳にかけて日吉田の方に笑いかけていた。
「いえいえ、楠木先輩の前で可愛いなんて。先輩よりも可愛い人いないでしょ。それに、大先輩にそんな言い方できません。すみません、僕達、お昼一番で課長からの仕事貰ってるんで、急ぎますね。さ、せんぱい、行きますよ。失礼します」
日吉田が有吉さんに真顔で礼をしてから距離をとって私の背中を押した。私も礼をして、有吉さんを真っすぐ見ると挨拶をした。
「では、失礼します」
私がそう言うと日吉田は私と有吉さんの間に入るように歩き出した。私が顔を上げた時には、顔を赤くした有吉さんが私を睨みつけていた。私は無表情でまっすぐに有吉さんを見てからエレベーターに乗ったが、すぐに日吉田が前に立って視界を塞ぎ、ドアが閉まると「あー」と日吉田が息を大きく吐いた。
「マジ、魔女。せんぱあい。僕、怖かったあ。白雪姫の魔女っていうから分かりやすい年上女性の魔女かと思ったのに。眠りの森の美女ってせんぱい知ってます?」
「え?あ、うん、お姫様が糸車に刺されて眠るのよね?呪いだっけ?」
「えー、そうなんだ。その悪役の魔女。あの黒い角があって美人だけど黒い感じの。有吉さんってマジ、あれに似てますね。綺麗だけど、こわーって感じ。映画の魔女よりもドロドロして、中身真っ黒ってかんじ」
「日吉田……」
「田中さんから聞いて、ちょーっと調べただけでもエグイですもん、あの人。せんぱい、気をつけて下さいね。せんぱいは可愛いから」
「もう調べたの?日吉田、相変わらず仕事が早いね。日吉田は可愛いって言われるのは嫌だったの?さっき、言い返してたから。私、言ってるよね。嫌だった?ごめんね」
「いやいや、せんぱい、謝らないで。僕って可愛いですよ。ただ、言われる相手を選びたいだけです。先輩は可愛いすきでしょ?」
「可愛いは好きだけど、日吉田はマスコットみたいな可愛いじゃないよ。日吉田は可愛いよりも強いね。すごいよ」
「えー。褒めてくれてる?」と日吉田に言われながらキッチンカーの前を通り何のキッチンカーが来てるのかを眺め、そのまま通りすぎ、日吉田お勧めの食堂へと向かった。
「日吉田。それにしても、結構、言うんだね。のほほんと受け流すのかと思ってた。笑って相手にしないとか」
「えー。そりゃ、いいますよー。ああも露骨なら、こっちも遠慮しなくていいですし。それに、せんぱいに嫌がらせする人ですよ?出来る事ならボコボコにしたいですけど、やっぱりそれは無理なんで、せめてあれくらいはね。それにしても鳥飼さんて変な女から好かれるんですね。僕だったら嫌だなー。ノーサンキューです」
「はは、ボコボコ。私も頑張って戦うよ」
うん、嫌がらせでもなんでもどんとこい、だ。来ると分かっていれば怖くない。覚悟を決めれば強くなれる。日吉田に言い寄る有吉さんを見て、こんな人なんだな、と思った。相手にしない方がいい。だけど、相手が来るならやられる訳にはいかない。にこにこ笑って、バカにされたくない。
私が黙ったからか、日吉田はその後、話を変えて日吉田が好きな最近のアニメに出て来た一発芸の真似をしたり、アニメの主題歌の話になった。
私がその歌好きだよと言うと、日吉田はサビの部分を歌いながら食堂まで歩いた。
かつ丼を美味しく頂いて会社に戻ると、デスクにはぐったりとした田中さんがいた。
「田中せんぱーい。ただいま、帰りましたー。僕、騎士、バッチリでしたよー。魔女、追い払いましたからね」
「日吉田君……。ご苦労……」
「ありゃりゃ。大変でしたね?魔女、ひょっとして、そっちに行きました?流れ弾に当たりました?あ!白雪姫の魔女じゃないですよ。あれ、悪魔に近い魔女でしょ?」
「ああ、もう、妖怪でも悪魔でもなんでもいいわよ。楠木ちゃんは無事なのよね?もう、どうしようかしら」
はあ、っと溜息をついて、田中さんは食べかけのサンドイッチを鞄から出すと、それを食べだした。
「田中さん、ご飯は食べられなかったんですか?」
「ああ食べられてないのよ。ちょっと忙しくてね。あと、コレ、鳥飼さんから」
ポンっと私の席に置かれたのはブラックコーヒーだった。
そこには油性マジックで、『ユイさん大好き』と書いてあった。
「もう、恥ずかしげもなく、こんなの私に頼むんだから。必死ね。でも、鳥飼さんはぶれないわね」
私はマジックを手でなぞると、それだけでもう、嬉しくてコクコクと田中さんに頷いた。
「あーあ。僕、一生懸命にお姫様を守ったんですよ?でも、美味しい所、持っていかれた感じ。まあ、好きで守ってるからいいんですけどね」
「日吉田君。貴方もいい男よ。それに、女を見る眼はあるわ。でも、もう少し余裕を持ちなさい。チャンスは色んな所に転がってるんだから」
「はーい」
瑠生さんの『大好き』って言葉だけで気持ちがふわっと上に向く。二人の声が耳を通り抜け、ゆっくりとコーヒーを開けると、香りが立って瑠生さんが傍にいてくれている気がした。