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死のう、と思った時。どうやって死のうか具体的に悩んだ人間はどれほど居るだろうか。そしてそこから、実行に移そう。と思った人間は、そこから更に何人に減るだろうか。
わたしは、飛び降りてしまおうとして、靴を脱ぎ、六階のマンションの塀の上に立ち、地面を見下ろしたことがある。けれども勇気が足りなくて、結局は空を飛ぶことはできなかった。そこに至るまでも自分の気持ちが入り込むような音楽を爆音で聴きながら、五回ほど家を出入りして、エレベーターに乗っては戻って、また出て、そうしてやっとたどり着いて、イヤホンを置いて、微かに音が漏れている音楽を聴きながら、靴を脱いで、塀の上に立つ。なんて、面倒くさいことをやっていたのに。立つ直前には、飛び降りじさつ専用のスレを見て、何度も何度も脳裏でシミュレーションを繰り返してみるくらいには、真剣だったのに。
ベッドから起き上がるのも、家を出るのにも、死ぬ場所にたどり着くまでにも、乗りあがるにも。全ての工程に勇気がいるのに、最後のたったひとつの勇気だけ、私は無理だった。
じさつ希望者専用のスレ。というものがある。そこには、死にたがっている人間だけがいて、死にたがっている人間のために知識を持ち寄り、語り合い、集まっていた。
そこでは誰も、じさつを止めようとはしなかった。字面だけで見ると凄く冷たい集まりに見えるかもしれない。けれども私には、そこがなぜだか凄く、暖かい空間に思ってしまったのだ。
「行ってきます。これでやっと楽になる」と書き込む人間がいた時、大半の人間は早まるな。と止めに入ると思うが、そこの人達はみんな「行ってらっしゃい、戻ってくる事にならないといいね。お疲れ様、今までよく頑張ったよ」と、見送っていた。やさしく、やさしく。背中を押していたのだ。さっきの人、無事に行けたかな? なんて、考えている人も居て。それがつい、じーんを響いてしまった。それこそが真の優しさなんじゃないかと思ってしまったのだ。勿論、そのスレではしねませんでした。と帰ってくる人間は、ひとりもいない。けど多分、あのスレから人がいなくなることもない。
今の時代、生きるにも、死ぬにも金がかかってしまう。死んだ後も、更に金がかかってしまう。そんなことをぐるぐる考えられているひとは、随分やさしい心を持っていると思う。そんな人だからこそ、こんな世の中とサヨナラしたくなるんだと思う。人に気をつかって、当たり障りもなく、笑顔の人間こそ死にたがっている。と、私は思っている。だからわたしは、死にたがっている人間をなるべく見逃さないように、なるべく、まだ生きているうちは楽しく過ごせるように、どうにか関わっていきたいと思う。