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人間が死にたいと思う時は、どんな時だろうか。
くらい夜が怖くなった時か、人前で怒られたり、ヘマをして恥ずかしいと思った時、顔にニキビができてしまった時、はたまた、大切な人を失ったときか。些細なしにたいで溢れてる世の中は、住みやすいけどすごく生きにくい。
SNSが普及してから可愛い子が増えて、自分の顔面でも生きていけはするのに上を望んで、また死にたくなる。最近はそういう自分みたいな若者が多い気がする。たとえば、顔で虐められた事は無いし、損をした事もない。けど、得をした事はないし、親か、もしくは友達か、もしくは兄弟か自分かネットのコメントか。どれかには可哀想だね。不細工だね。と言われる。だから、死にたい。そんな人間が、私は多分結構いると思っている。
重い瞼と潰れた鼻と、長い下がった歯茎とぐちゃぐちゃの歯並び、あとは標準以下の体重になっても肉がつきやすい、饅頭みたいな丸顔。それが私である。
目は埋没手術をした。けど、重すぎて奥二重にしか出来ないらしく、私の理想の平行瞼は手に入らなかった。切開するしか無かった。けどまだ学生なのでお金がない。というか、学生ではなくニートだったので金がない。なんて言いながら、親の金でちょっとグレードアップした三点留めをしてしまった。最初の予定通りの二点だか一点だかだったら、直ぐに取れていたのか、今のように奥二重をキープしているかどうかは分からないけど、ちょっと後悔している。どうせいつか死ぬ人間の為に、金をかけさせてしまったことを後悔している。
でも明るい状態の時の自分はとても活発なので、その時に出歩くことを考えると人間になれて良かったとも思う。
では何故、人間になれたと思っているのに更に上を目指して鼻をいじりたい。矯正したい。二重幅をさらに広げたい。顔のリフトアップがしたい。と思ってクリニックを調べるのか。これはやっぱり、SNSの可愛い子と自分を比べて、目指してしまっているからでしかなかった。
ここで、少し前の話題に遡る。私は別に、顔で虐められたことは無いのだ。これは自慢している訳ではなく、普通に不細工の部類ではあるけれど、多分もっと、世界には悲惨な言葉を投げかけられたりしている子がおおいと思う。無慈悲な言葉に傷ついて泣いた女の子が、きっと沢山いると思う。そういうことを考えた上での言葉なので、恨まないでほしい。そんなつらい経験をした子達と比べたら、私はかなり環境に、恵まれていると思っている。なのにもっと上を目指してしまうのは、かなりの贅沢だ。そう言い聞かせて、今は無駄な金の消費を抑えている。
そもそも、ただの村民が神の領域に上り詰めたいと思うこと自体が間違いなのだ。神を羨んで、真似事をしても最初のベースが違うのできっとその人にはなれないし。仕方がない。そう思うしか生きていけないのだ。仕方ない。
まだ見た目の話をするが、自分で言うのもなんだけれど私は痩せている方だと思っている。所謂シンデレラ体重、もっと言えば、流行りのスペもそこそこだ。けれどそもそも、こんな単語は夜の世界でがんばっている世の中の女性以外知らなくても良いと思う。ただ普通に生きる女性が、気にするべきじゃない数字。学校や社会では絶対に使うことの無い数字。
なのにSNSという閉鎖的なツールでは女性は自分に磨きをかけたいが為に、上の、上の、生まれてから一回も顔で悩んだことがなさそうなくらいに、綺麗で、夢みたいにかわいい女の子を見て、自分をさげて数字を見比べて、辛くなっているのだ。
きっと、スペがどうのやら、整形がどうのやら言っている動画で、ネガティブなコメントを残している人達のほとんどは街ですれ違った時に「今すれ違ったあの子、可愛すぎる!」なんて、私が思うような容姿をしているに違いない。気にしてる時点である程度可愛いのは保証されているし、目に見えて努力の形が残っている女の子は、本当に冗談抜きでかわいいと思っている。なんて、可愛いに囚われて、こう思う時点で私もまた、SNSのルッキズムに毒されて、囚われてしまった身だなあとも思う。
SNSがない時代になればいいって訳でもない。普通にネットで色々と学ばなければ、黒歴史ばっかり生み出してそうだし、今ある交友関係の三割はネットで繋がった人脈なので、全てが最悪だと思っている訳では無い。
多分、わたし以外にもネットがあったから生きてる人、ネットがあったから幸せになった人はこの世界に無数に存在してると思う。もちろん逆も、しかりだけれど。