⑧ マスクウェルside
グッと手を握ったマスクウェルは悔しさを噛み締めていた。
(あとどのくらい努力すれば、ファビオラを手に入れられる?)
この半年、ファビオラのことばかり考えている自分がいた。
顔を合わせないと手紙をもらった時、どれだけショックを受けたかなどファビオラは知らないはずだ。
最初は母の言うことに反発していた。
アリスとは恋愛感情はないが、婚約者として大切に思っていた。
ファビオラ・ブラックの噂は知っていた。
傍若無人でわがままばかり言って、散財しては威張り散らしている。
実際にパーティーで偉そうに踏ん反り返っていた姿を思い出す。
貴族としての気品もなく、ブラック伯爵家で働く者たちをいじめて楽しんでいる。
そう聞いていたため、悪いイメージしかなかった。
しかしファビオラとの顔合わせで彼女の雰囲気は大きく違っていることに気づく。
自分を貶める罠かと思ったが、どうも違う。
二度目では派手な容姿になっていたが、明らかに無理をしているように見える。
拒否しても嬉しそうにしている彼女に我慢ができずに本音が漏れ出てしまう。
元々、あまり人の機嫌を窺えるような人間ではなかったマスクウェルだったが、ファビオラはその態度すらいいという。
(馬鹿じゃないか……こんなこと)
全てを受け入れられる。
懐かしいようなむず痒い感覚になった。
だけど、彼女に会うたびに心惹かれている自分がいた。
(好きになるはずがないと思っていたのに……)
プレゼントを持っていっても好意を伝えようとしても、最初の態度が悪かったのか、自分に嫌われてると思っている。
ファビオラはマスクウェルと別れる前提で話を進めていると気づいて愕然とした。
それには焦って挽回しようと名前を呼んでみるものの、紅茶を吹いて倒れてしまう。
慌てて言い訳するファビオラが可愛いと思った。
やはり自分の気持ちをちゃんと伝えようとしていた時に、ファビオラがとんでもない事実を口にする。
それはマスクウェルがファビオラとの婚約を破棄して捨てられたらアリスの幼馴染であり、ダイヤ公爵の次男、トレイヴォン・ダイヤと結婚するというものだった。
マスクウェルが侍女ではないと気付いたのか、呆然としていたファビオラからはさりげない告白。
(僕を好きと言いながらトレイヴォンの手を取るのか?何故だっ)
怒りで頭がおかしくなりそうだったマスクウェルはどう返事をすればいいかわからなかった。
マスクウェルは生まれて初めて強烈な嫉妬を覚えた。
そしてファビオラに何を言えばいいか考えているうちに彼女から半年間会わないようにするという手紙が届く。
それから自分が今までファビオラにしてきた対応を後悔していた。
(もっと早く彼女に想いを伝えていればこんなことにはならなかったかもしれない)
半年間、マスクウェルはファビオラに会えない間に死にものぐるいで努力していた。
ファビオラに釣り合うように、少しでも好きになってもらえるようにだ。
母も感心するほどだった。
マスクウェルはファビオラと結婚したい、彼女を幸せにしたいと本気でそう思っていた。
うまく気持ちを伝えなければ……学園に入る前のこのパーティーで想いを伝えよう。
そんな時、トレイヴォンが護衛となることが母から伝えられる。
彼からは前々から敵意を感じていた。
「なぜ、もっとファビオラ嬢を大切にしないのですか?」
トレイヴォンにそう問われて、手のひらを思いきり握り込んだ。
大切にしようとすればするほどに、彼女の勘違いはひどくなる。
マスクウェルにもファビオラの行動は読めないままだ。
「君にファビオラは渡すつもりはない。僕は諦めるつもりはないから、君に可能性はないよ?」
そう言って牽制したものの、ファビオラに気付いてもらうにはどうすればいいかわからない。
(どうしたらファビオラに僕の気持ちをわかってもらえる?なにが彼女をそうさせるんだ?)
いくら考えてもファビオラの心の内はわからない。
焦りだけがマスクウェルを蝕んでいく。
ドレスを贈ったのもファビオラに愛されていると、気にかけていると思って欲しい、そう願って送った。
ドレスのサイズはファビオラの侍女、エマが教えてくれた。
彼女はファビオラと婚約者になった時から二人の関係をサポートをしてくれていた。
マスクウェルが今までファビオラを諦めずにいたのは彼女の言葉があったからだ。
『ファビオラ様を幸せにできるのはマスクウェル殿下だけです』
『どうかファビオラ様を諦めないでください』
マスクウェルはその言葉を信じてこの婚約関係を続けていた。
しかし、ファビオラのドレスに合わせる髪飾りを買い忘れたことに気づいて街に出ると、そこにはファビオラとトレイヴォンの姿があった。
仲良さげに会話して触れ合う二人を見て、何かが音を立てて崩れ去る。
(……何故)
ファビオラは以前よりもずっと美しくなっていた。
トレイヴォンの髪を結う彼女の指と屈託のない笑顔を見て、マスクウェルはグッと手を握り込んだ。
そのまま髪飾りを買うことなく、城へと戻る。
モヤモヤとした気持ちは膨らんでいくばかりだ。
彼女の心からの笑顔を向けられたい……しかしファビオラを拒絶しようとしていた自分にその資格はないのかもしれない。複雑な想いは募っていく。
そしてパーティーの日を迎えた。
ファビオラを迎えにいくために馬車に揺られながら考えていた。
(僕は……彼女に相応しいのだろうか)
そんな考えを掻き消すように、いつものように笑みを浮かべる。
すると屋敷から出てきたのは想像を絶するほどに美しいファビオラの姿だった。
照れたように俯くファビオラに見惚れていたが後ろにいるエマは力強く頷いた。
久しぶりにファビオラに触れた瞬間、このまま自分だけのものにしてしまいたいと強くそう思った。
マスクウェルは馬車の中でファビオラの赤らんでいる頬を見て窓を開けた。
髪が風に揺れるたびに甘い香りが漂ってくる。
愛おしさだけが募っていく。
ファビオラにドレスが似合っているかどうかを聞かれて、以前ならば恥ずかしくて誤魔化すように冷たいことをいっていた。
「とても……とてもよく似合ってる」
久しぶりに会ったからか素直な言葉がこぼれ出た。
ファビオラは手を合わせて喜んでいる。
マスクウェルのために頑張ってくれたのだとわかった瞬間に彼女を抱きしめたくてたまらなくなる。
その後もファビオラを独占したい、誰にも見せたくないと思っていた。
会場に着いてからもファビオラに見惚れる令息達を笑顔の裏で睨みつけていた。
ファビオラとダンスをしている時はまさに夢心地だった。
この幸せがずっと続けばいい、そう思っていたのにファビオラの頬からは涙が溢れ落ちる。
そのままファビオラが泣き出してしまう。
一体、何がそうさせるのかはわからない。
(ファビオラの笑顔を守りたいのに……!)
『ビオラ』という愛称を呼びながらこちらに駆け寄ってきたのはトレイヴォンだった。
ファビオラの涙が見えないように隠したのだろう。
ファビオラが他の男に連れて行かれてしまう。
そう思った瞬間、何かがプツリと音を立てて切れたような気がした。
マスクウェルはトレイヴォンの腕を引き留めるようにして掴んだ。
「待て」
「……!」
「ファビオラは僕が連れて行く」