⑥ トレイヴォンside
そう言ったファビオラは背を向けて去って行く。
トレイヴォンは近くにあった椅子に腰掛けながら待っていた。
店員と仲良さげに話しながら、こちらを指差している。
恐らく「プレゼントで今つけたい」と話しているのだろう。
「パートナーですか?」とでも言われたのだろう。
「違いますよ。友達です」と言って話す声がここまで聞こえてくる。
その後に否定するように手を横に振りながらファビオラは笑っている。
(……友達、か)
ファビオラがダイヤ邸を尋ねてきた日のことを今でも覚えている。
我儘で手がつけられないと噂のブラック伯爵家の令嬢、ファビオラの話はトレイヴォンも聞いたことがある。
そんなファビオラが珍しくに訪ねてきたかと思えば「殺さないでぇえぇ」と訳のわからないことを言い出して号泣した時には、さすがにどうしようかと思った。
今後どうすればいいか相談を受けたトレイヴォンはとりあえず、他の令嬢達のようにマナーを会得することをすすめる。
まさかとは思ったが、アドバイス通りにすごい勢いでマナーや勉学に励み始めたのには驚いた。
その必死さはこちらが心配になるほどだった。
そして無理が祟り、高熱を出した際にトレイヴォンが責任を感じてお見舞いに行くと「悪役令嬢にならない」「断罪断固拒否」と次々に訳の分からない言葉を発していた。
体調がよくなり、ファビオラに独り言の内容を問えば「実は、わたくしは……!」と、言って自分が乙女ゲームに出てくる悪役令嬢で、何もしなければトレイヴォンに殺されてしまう。ひどい目にあうのだと説明を受けた。
実際に未来のことがわかるなんて信じられなかったが、学園のことやまだ知るはずのない令息達の名前をすらすら言っていたファビオラに信じられない気持ちもあったが、あまりにも必死なファビオラの様子にトレイヴォンは信じることにした。
そして自分がファビオラを殺すことになるのだと言われて、そうはなりたくないと強く思ったからかもしれない。
「信じてくれるの……?」
「ああ、信じる」
一緒に過ごしてわかったことはファビオラは噂とは全く違う。
無邪気で真っ直ぐで、兎に角放っておけなかった。
常に自分が見ていなければ、そう思うほどに。
そしてファビオラが決戦の日と言っていたあの時までは。
ファビオラは婚約を避けようとしていたマスクウェルに惚れ込んでしまい、婚約してしまったらしい。
見事に乙女ゲームと同じ道を歩みはじめたファビオラ。
落ち込むかと思っていたが、何故か彼女は幸せそうだった。
トレイヴォンはそれに驚きを隠せなかった。
しかしファビオラの話を聞いているとイライラした。
それは侍女のエマも同じようだ。
マスクウェルはファビオラを大切にしていないように見える。
それでもファビオラはマスクウェルを大好きだという。
トレイヴォンも昔からマスクウェルを知っているため、彼の二面性には気づいている。
(どうしてビオラは婚約者でいることにこだわるんだ……)
マスクウェルの婚約者でいなければ、この問題は解決すると聞いていたトレイヴォンにとっては焦った。
ファビオラに訴えかけても「マスクウェル殿下の幸せのためよ!」と言って取り合ってもらえない。
そして今度はファビオラが「半年間、マスクウェル殿下に会わない」と言った。
そこから精神力を鍛えるといって、また訳の分からないことをはじめた。
そのタイミングでマスクウェルの護衛を任命されることになる。
しかしマスクウェルは何故かトレイヴォンを敵視していた。
「お前にはファビオラを渡さない」
そう威嚇されたのだが、その言葉や行動からマスクウェルが本当はファビオラをどう思っているのかが理解できた。
(マスクウェル殿下は、ビオラのことを……?)
しかしそれがわかったところで、トレイヴォンはマスクウェルにずっと言いたかったことがあった。
「なぜ、もっとファビオラ嬢を大切にしないのですか?」
「……している」
「なら、どうしてまだファビオラ嬢は婚約を解消するつもりでいるのでしょう」
「…………っ」
マスクウェルは悔しそうに顔を伏せている。
「ファビオラは……っ!」
「……」
「ファビオラは僕と目が合うだけで変な声をあげるし、名前を呼んだだけで紅茶を吐き出す。そんな状況にして僕が想いを伝えたら彼女はどうなる?また失神して夢だったのかしら、とか言い出すに違いないっ!」
「は……?」
「そんな状態でどう想いを伝えろっていうんだ!ファビオラが好きなのは僕の顔だろう?本当は僕自身、見ていない。ましてや、結婚するつもりはないんだ」
「……」
「それに僕がファビオラを好きではないと決めつけている。離れるつもりは一生ないのに……。やはり逃げられない場所に囲って、よく話をした方がいいのかもしれない。ファビオラに僕の想いを聞いてもらうしか関係は進まないからね」
マスクウェルはファビオラのことをよく見ているのだと思った。
乙女ゲームのことをファビオラから聞いていないはずなのに。
「……ファビオラから聞いたよ。僕と婚約しなければ君と婚約するのだろう?」
「ファビオラ嬢がそう言ったのですか?」
「ああ、僕に捨てられたら君が拾ってくれるかを心配していた。まだ約束は有効かと。でも……」
マスクウェルはゆっくりと顔を上げる。
「君にファビオラは渡すつもりはない。僕は諦めるつもりはないから、君に可能性はないよ?」
マスクウェルはそう言ってからトレイヴォンの前から去って行った。
「ははっ、マジか」
仄暗い瞳の奥に強い執着が垣間見えたような気がした。
そしてトレイヴォンの気持ちに気づいているのだろう。
ファビオラのこともしっかりと考えて理解しているようだ。
確かにファビオラはマスクウェルと婚約はしていても、結婚するつもりはない。身を引く気満々である。
ファビオラは乙女ゲームのシナリオのまま進むと思い込んでいる。
しかしもうトレイヴォンは気づいていた。
ファビオラの変化は周囲を巻き込んで、彼女が話していたシナリオが変わっているということも。
それにはトレイヴォンとマスクウェルの気持ちも含まれている。
そしてファビオラとマスクウェルが会うことをやめた。
ついに婚約を解消するのかと動き出したのは令息達だった。
わがままお嬢様のファビオラが改心したのは社交界で有名な話だ。
それに親切でお人好し、感情豊かな部分が見え隠れする。
本人はその優しさを隠しているつもりだろうが、色々と漏れ出ている。
それにマスクウェルと距離があることもわかっていたのだろう。
万が一のためにと、ファビオラを狙う令息は後をたたない。
何故ならば何かのタイミングでファビオラがマスクウェルとの婚約を解消した場合、彼女の心を射止めた者が勢いのあるブラック伯爵家の跡継ぎなのだ。
しかし、もしもファビオラが望んでくれるのならトレイヴォンも側にいたい。
ファビオラのためならば、そう思っていた矢先にマスクウェルはこちらを見透かしたように絶対に手放すつもりはないと言い切った。
今の立場からの脱却したいと思いつつ、この関係を崩せないのはマスクウェルと一緒だった。
しかし恋愛対象に見られていないのは明白だった。
ファビオラの警戒対象からは抜け出したものの、熱い視線を送られるのは他の令嬢達ではない。
「はぁ……」
トレイヴォンは髪を掻こうとしてピタリと手を止めた。
『レイの髪、だいぶ伸びたわね。とても綺麗だから伸ばしても素敵じゃないかしら?』
こんな何気ない言葉に振り回されてしまうほどにファビオラのことが好きなのだ。
(ビオラ……)
ファビオラの幸せと笑顔を守りたい。
そのためならばなんだってしよう。
トレイヴォンはそんな決意を胸に笑うファビオラを見ていた。